旧レオマワールドの歴史
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「ニューレオマワールド」の記事における「旧レオマワールドの歴史」の解説
1987年4月 - 当時ゴルフ場運営大手の日本ゴルフ振興(大阪市北区、大西進→大西一社長)が瀬戸大橋開通後の四国への観光客増加に期待し四国・綾歌町に大型テーマパークを開業すると報道向けに発表。 1987年7月 - 株式会社レオマを設立。 1987年11月 - レオマ四国支社を設立、(株)インタープラン社による制作でレオマワールドのマスタープランを作成(総額750億円を投資、開発敷地面積約69万㎡)する。 1989年3月 - レオマ建設本部現場事務所を丸亀市綾歌町内に設置。 1990年7月 - レオマ起工式挙行、レオマ本体工事着手。 1990年10月頃、島俊文氏(デザイナー)がレオマワールドモチーフキャラクターの着想と初期デザインをレオマに提出。 1991年3月 - レオマワールドプレオープン。報道関係者向け招待会開催。 1991年4月20日 - ゴルフ場経営の「日本ゴルフ振興株式会社」が子会社「株式会社レオマ」を運営会社として設立し、正式開園。 1991年4月20日 - 最初のパレード「レオマ・ファンタスティックパレード」を挙行。 1991年7月 - レオマリゾートホテル開業、大西美術館開館。 1991年12月までの9か月間で、延べ約239万人の入園者数を記録。 1992年3月 - キンダーガーデンエリアとキンダークラブを拡張オープン。 1993年3月 - 新アトラクション「バトルビースト」オープン。 1994年7月 - 新アトラクション「キッズコースター」オープン。 1995年の来場者数は約140万人前後で推移。 1995年7月 - 新アトラクション「スーパーサイコホラーシアターZORA」オープン。 1996年4月 - 新アトラクション「LUCA」オープン。 1996年7月 - 新アトラクション「ビバーチェ」「パイレーツ」オープン。 1997年4月 - 日本初の3DCGアトラクション「RUN BABY RUN」オープン。 1998年の来場者数は約120万人前後で推移。 1998年7月 - 3Dシアター「メッセージ・フロム・ガラパゴス」オープン。 1999年の来場者数は約105万人で推移し、開園当初目標の半分以下に落ち込んだ。 1999年3月 - 新アトラクション「ホエールくん」「エイリアンウォーズ」「フリーズボックス」をオープン。 2000年5月 - レオマワールドの「9月から半年間」の休園発表、同時に全社員260人の解雇も発表。 2000年8月 - 1日から31日まで「レオマワールド・ラストカーニバル」と題した最終特別営業を実施。8月1日から31日までの来場者数は約30万人。 2000年8月31日 - レオマワールド最終営業日。当日のトータルアテンダンスは約45,000人で昨年同期の1日当り来客数と比較して36,000人の増加だった。 2000年9月1日 - レオマワールドが無期限の休業に入り、事実上の閉園。 旧.レオマワールドは以上の歴史と共に、テーマパークブームの終息と計画の甘さにより経営破綻し2000年(平成12年)9月1日から閉園した。後に両社は2003年(平成15年)に相次いで民事再生法適用の申し立てを行っている(その後会社更生法適用に切り替えた)。旧.レオマワールド(現NEWレオマワールド)の敷地は(株)レオマが所有していた高松空港の開港予定地を等価交換方式によって国有林と交換した敷地である。当初の開発計画では、ゴルフ場・遊園地・温泉(ホテル)を含めた「総合レジャーランド」だったが敷地の高低差と周辺環境に配慮した結果、遊園地開発計画に衣替えし「レオマワールド」が開園する形になった。「レオマワールド」の正式開園前の名称は地元の綾歌町にちなんで「フェスティバルワールド・サンアヤウタパーク」とする予定だった。だが、その名称はあまりに覚えづらい事から、後の「レオマ」の名称が編み出される事になり、一社員の「レジャーは・大西に・任せろ」の頭文字を取るというアイデアが採用された。(大西はレオマ社長大西一の事を指す)。「レジャー」の英語の頭文字はLだが、現在もウェルカムプラザの正面入口などに掲げられているレオマワールド(NEWレオマワールド)の青色のCIロゴは、R・O・Mの三文字を組み合わせて作製したデザインロゴである。1991年のレオマワールド初期開業時にはウェルカムプラザにそれらのロゴは掲げられておらず、同年7月のホテル開業時からロゴマークが掲げられた。 当初計画の総敷地面積は、約184ha、総投資額450億円、年間来場者予想300万人、年間売上目標金額200億円だった。当初計画と初期計画段階の主な施設は、プラザ、メインゲート付設の世界のショッピングセンター、キンダークラブ(子供のおとぎの国)、スペースシップ(宇宙体験アトラクション)、フェスティバルへの招待、ワンダーアドベンチャー、世界の鳥園、プラサット・ヒンヌ・ヌアンタム、四国物産館、ウォーターガーデン、パターゴルフ、大観覧車、パークホテルだった。 第一期完成後に拡張・造成するとした「レオマワールド第二パーク」の計画では、『マジックストロー』(世界一長いエスカレーター)を上りきったモスク周辺の敷地左に、高台の景観を活かした「大観覧車」と、その奥に「明の十三陵」(展望台)、右に「トップ・ザ・シェフ」と云う名前の大レストランが配置され、現在のプラサット・ヒン・アルンの右奥に「大西美術館」が配置される計画だった。旧オリエンタルトリップ(現在の復活した「オリエンタルトリップ」)は当初計画では「レオマワールド 第二パーク予定地」だったが、当時の香川県内に本格的な動物園や水族館が無かったため、大西一社長の発案で動物園エリアが併設設置される形で開発された。 旧レオマワールドには鳥をモチーフとしたイメージキャラクター「ペディー」と「ポーリー」など合計13体のキャラクターが存在。旧レオマのイメージを払拭するため旧体制下の「ニューレオマワールド」ではそれらキャラクターの出演と使用は見送られ、レオマフェスティバルパークエリアには、おもちゃ王国のキャラクターが出演し、四国お宝村エリアには「レオ」と「メア」という2体の独自キャラクターが出演したが、新体制下(=大江戸温泉物語グループ体制)ではペディーやポーリーなどのキャラクターを復活させた。また、旧レオマから数えて開園20周年となる2011年1月には丸亀市の成人式にペディーとポーリーが登場した。 現在はホテルレオマの森となっている、かつての「レオマリゾートホテル」はJALホテルズ(ニッコーホテルズインターナショナル)と業務提携をしていた。 1996年(平成8年)、園内に建設設置された水上ジェットコースター「ビバーチェ」の建設資金は(株)レオマの大西一初代社長(故人)が保有していた大西美術館の所蔵品や美術品を売却して捻出したと言われている。 南極探検船のアトラクション「フリーズィングシー」(2004年からはアドベンチャーシップと名称を変えたが、2014年に閉鎖)はリアル感を出すため1991年~1996年までの5年間、本物の氷をアトラクション内部の各所に配置し、アトラクション内の気温を下げるため空調を施すなどの工夫を行っていた。(96年以降、本物の氷は無くなり空調の温度も上がった)「フリーズィングシー」で見る事ができるオーロラを明滅・描画・発光させるレーザーチューブは1991年当時で1本当り3000万円する大変高額な物で、オーロラを描画するための制御装置とプログラムも特注の高価なものだった。(同施設と設備は現在も継続して稼働中) 旧レオマワールドのパーク主題歌は『めざせREOMA WORLD』で、歌手は松崎しげるが担当した。同主題歌は1989年後半に制作され、レオマワールド開園前のTVCMで使用された「女性歌手バージョン」と、現在のNEWレオマワールド園内でも聴く事が出来る「松崎しげる版」の2種が楽曲として存在する。旧レオマワールドの開園を記念して、松崎しげるが来園し1991年7月に開業して間もない園内のホテルで『レオマワールド開園記念 松崎しげるライブ』が行われた。 旧レオマワールド園内で行われたエンターテイメントショー、パレード、アトラクションの各BGMと、園内それぞれのエリアBGMの作曲・編曲は作曲家の神山純一が担当し、中編成のオーケストラ演奏による、ダイナミックで澄んだ曲調の様々な楽曲が、1990年当時の最新デジタル機器によって録音・制作された。(楽曲の一部は現在のNEWレオマワールド園内で行われるエンターテイメントショーやパレードなどで聴く事が出来る。) 新体制が発足した2010年7月17日からニューレオマワールドでは20周年イベントが開催されたが、この「20周年」は旧レオマワールドが開園した1991年(平成3年)4月20日を基準としている。旧体制では旧レオマの歴史はなかったことにされていたが、新体制では旧レオマを尊重する意味で歴史に含めている。また、2015年度から2016年度内は「レオマワールド25周年」として周年記念イベントやパレードなどが行われている。
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