旧リンガー住宅(長崎県長崎市南山手町)
名称: | 旧リンガー住宅(長崎県長崎市南山手町) |
ふりがな: | きゅうりんがーじゅうたく |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1637 |
種別1: | 近代/住居 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1966.06.11(昭和41.06.11) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 長崎県 |
都道府県: | 長崎県長崎市南山手町2グラバー園構内 |
所有者名: | 長崎市 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 木及び石造、建築面積350.8m2、一階建、桟瓦葺 |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治元頃(1868頃) |
解説文: | この住宅は、英人フレデリック・リンガーが明治初年にたてた住宅であって、日本における洋風住宅としては、もっとも古いものの一つである。昭和四十年長崎市が買收した。 注フレデリック・リンガーは幕末に来日した英国の冒険商人で、ホーム・リンガー商会を設立し、活躍した。この住宅は彼の孫マニヤ・リンガーまで伝えられてきた。 |
グラバー園
(旧リンガー住宅 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/31 08:34 UTC 版)
グラバー園(グラバーえん)は、長崎県長崎市南山手町8-1にある観光施設である。1859年(安政6年)の長崎開港後に長崎に来住したイギリス人商人グラバー、リンガー、オルトの旧邸があった敷地に、長崎市内に残っていた歴史的建造物を移築しており、野外博物館の状態を呈している。
- ^ a b c d 本田榮二『ビジュアル解説 インテリアの歴史』秀和システム、2011年、437頁。
- ^ a b 「重要文化財」編纂委員会 1982, pp. 185–186
- ^ a b c d 福田 1981, p. 136
- ^ a b c d 旧グラバー住宅、往時の姿に…「長崎の心 伝える場所に」大規模改修終了 - 読売新聞(2021年11月17日)2021年11月17日閲覧。
- ^ a b 「重要文化財」編纂委員会 1982, pp. 189–190
- ^ a b c d 福田 1981, p. 144
- ^ a b c 「重要文化財」編纂委員会 1982, pp. 187–188
- ^ a b c d 福田 1981, p. 142
- ^ 片桐 2006, pp. 211–212
- ^ 令和4年10月ダイヤ改正について - 長崎バスグループ(2022年10月9日閲覧)
- 1 グラバー園とは
- 2 グラバー園の概要
- 3 沿革
- 4 交通アクセス
- 5 外部リンク
旧リンガー(弟)住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 05:53 UTC 版)
木造、平屋建、屋根は寄棟造、桟瓦葺き、建築面積385.0平方メートル。居住者のフレデリック・リンガー(Frederic Ringer, 1838年 - 1907年)はグラバー商会の幹部として元治元年(1864年)頃に長崎に来訪。明治元年(1868年)にはホームという人物とともに大浦にホーム・リンガー商会を設立。茶の製造と輸出、アメリカからの木材の輸入などを手がけた。リンガーは同じ明治元年頃にグラバーから借地権を譲渡されており、当住宅はその頃に建てられたとみられる。フレデリック・リンガーが1907年に死去した後は次男のシドニー・アーサー・リンガーが住んだ。隣地に建つ旧オルト住宅には一時期、シドニー・アーサーの兄にあたるフレデリック・エラスムス・エドワード・リンガーが住んでいたため、当住宅を「旧リンガー(弟)住宅」と呼んで区別している。太平洋戦争中の昭和17年(1942年)、リンガー家は帰国し、当住宅は川南造船所が取得した。太平洋戦争後、リンガー家はこの住宅に戻るが、昭和40年(1965年)、住宅は長崎市の所有となった。昭和48年度(1973年)に修理が完了し、明治期の姿に復元されている。 建物は西を正面とする。正面中央の玄関とその奥の廊下を挟んで南北に部屋を配置する。西側(手前)の部屋は北が応接室、南が居間。その奥は北が寝室、南が食堂である。寝室の東には化粧室と浴室、食堂の東には調理室がそれぞれ突出する。建物の西面全体と北面・南面の前寄りにはベランダを設ける。応接室と居間の正面側はベランダに張り出したベイウィンドウとなっている。裏手の東側に突出する化粧室と調理室の中間部分もベランダとする。 外壁は天草石張り。内装は壁は白漆喰、天井は板に紙貼りとする。応接室、居間、寝室、食堂の主要4室には大理石のマントルピースを、2室ずつ背中合わせの位置に設ける。ベランダの柱は柱頭はトスカナ式であるが、角柱に几帳面取りを施した独特のものである。ベランダの床は御影石の四半敷、天井は菱形網代組とする。 当住宅の設計者は不明だが、隣家のオルト住宅と様式手法が似ることから、同住宅と同様、天草の小山秀之進が施工した可能性がある。西洋建築のスタイルを取り入れつつも、小屋組は和小屋とするなど、和風の要素が強い。 1966年(昭和41年)6月11日、国の重要文化財に指定。 側面 居間付近のベランダ 応接室
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