旧ラジオ会館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 09:58 UTC 版)
東日本旅客鉄道(JR東日本)秋葉原駅電気街口を南側に出た目の前の正面に設置された「世界の ラジオ会館 秋葉原」(「ラジオ会館」部分が赤文字、それ以外は青文字)と書かれた大きなネオン看板が目立つ、秋葉原の顔ともいうべき建物であった。主に家電、オーディオ、パソコン、コンピュータゲーム、模型、プラモデル、玩具、書籍、VHS・DVDソフト、アマチュア無線機などを販売する店舗がいくつも入居、8階では貸ホール(貸会議室)の営業も行われていた。 「ラジオ」という名称は開業当時は無線機のみならず、電子機器全般の代名詞としても広く用いられていたものであり、秋葉原にある他の「ラジオ」等の名の付く小規模店舗が集まるビルと同じく、当初は戦後占領期にGHQが露店の排除命令を出したことで、行き場を失った電器店の営業拠点の提供を目的に建設された。こうした経緯により開業当初より電気製品・部品を扱う店が多く入居していたが、時代とともに一般家電、オーディオ、パソコンなど入居する店の扱う商品も変化していった。特にパソコンに関しては、日本電気や富士通、日立製作所、東芝、三菱電機といった大手メーカーのショールームが一時期集中していた。Bit-INN LOUNGE(旧・Bit-INN東京)が2001年8月まで入居していたラジオ会館7階には、「パーソナルコンピュータ発祥の地」というプレートが設置されていた。 8階に1893年創業の西東書房があり、「五体字類」など書道関連図書の出版を行っていた(株式会社秋葉原ラジオ会館 出版部 西東書房)。また創業者の七條兼三が日本将棋連盟・日本棋院の有力支援者であった関係から、8階の社長室には和室や日本庭園が設けられ、プロ棋士との対局場としても使われていた。 その後、パソコンメーカーのショールームが次々と撤退、家電やオーディオを扱う店も経営悪化で縮小・撤退し、その空きスペースに漫画、トレーディングカード、ガレージキットなどを扱う店舗が入居していった。 秋葉原のランドマークの一つとして親しまれたラジオ会館であったが、旧本館が築50年近く経過して老朽化が進み、東京都から建物の耐震性の問題が指摘されていた。2010年9月には一部のマスコミで2011年夏に閉館し取り壊すこととなったと報じられ、2011年4月には、同年7月末に閉館し8月に取り壊し工事に着手、2014年春頃に地上10階地下2階の新ビルが完成する計画が発表された。 旧本館は2011年4月より入居店舗が順次移転・閉店し、同年8月4日に丸山無線が閉店したのを最後に全ての店舗の撤退が完了した。
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