日本軍逆上陸とは? わかりやすく解説

日本軍逆上陸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 05:31 UTC 版)

ペリリューの戦い」の記事における「日本軍逆上陸」の解説

ペリリュー島アメリカ軍上陸したとの報告があったのち、パラオ第14師団司令部では連日逆上陸について議論が行われていた。歩兵第15連隊当初から、逆上陸を想定した海上機動部隊指定されており、その訓練積んできたので、連隊長福井義介大佐計画通り逆上陸を意見具申し「軍旗先頭連隊主力逆上陸すれば、米軍撃滅することも可能です。ましてや我が連隊第3大隊奮戦している今日連隊主力おめおめとパラオ安住してはおれません。速やかに増援出撃させて下さい」と師団長井上貞衛中将迫った。しかし、師団参謀長多田大佐が「1個連隊増援輸送するだけの舟艇足りない、それに制空制海権はまったく敵の手にあり、海上機動可能性疑問に思う。米軍ペリリュー上陸引き続いてパラオ本島進攻してくる可能性大きい」と反対意見述べた多田は「切れることカミソリのごとし」と評されている有能な参謀で、その判断合理的であったが、部下将兵苦闘しているなかで、連隊長福井連隊主力をもって救援したいという気持ちもよくわかり、また、逆上作戦成功可能性全くないとは思われないので、師団長井上判断をすることができず、時間だけが刻々と過ぎていった。 師団司令部方針決めきれない中、9月18日現地中川から、蟻の這い出る隙間もない激し警戒態勢のなかで逆上陸を敢行することは、火中飛びむようなものであり「我が歩兵第2連隊だけで十分であり、ペリリュー兵力をつぎ込んでも無駄である。」という増援拒否電文送られてきた。この中川の電文により、一旦は逆上断念という方針に傾いたが、第15連隊長福井部下将兵救援のため、なおも逆上陸を激しく主張し続けた。しかし、18日時点で、第15連隊第3大隊残存部隊は、島南部アメリカ軍の第7海兵連隊追い詰められて、爆薬抱いて戦車突入するなど勇戦敢闘しつつも、最後断崖から身を投じる兵士もいるなど、一兵残らず戦死していたが、それを福井が知るよしもなかった。 ペリリュー戦況悲観的なものではあったが、守備隊勇戦敢闘続けており、上陸して1週間経ってアメリカ軍進撃ぶりは遅遅したものであったまた、前線中川から送られてくる戦況報告は「米軍はわがペリリュー守備隊勇戦により、疲労困憊し、ことに砲爆弾欠乏悩んでいるのは確実であり、もっぱら、新戦力来着待っている模様なり」「米軍戦意もようやく衰え戦車わが軍の肉攻に恐怖し、退避つとめている」などと活気満ちたものであった。この戦況報告聞いた司令部で、再び逆上陸実施の機運高まり参謀長多田反対意見次第に力を失ってゆき、アメリカ軍上陸1週間後9月22日に、師団長井上は「米軍我がペリリュー守備隊勇戦にて疲労困憊し、ことに砲爆弾欠乏悩んでいることは確実であり、もっぱら新鋭戦力来着待っている今やペリリューはあと一押し米軍を完全に敗退導き、これを陸岸から駆逐することも可能である。」と判断下して増援を送ることと決定した。しかし、師団司令部としてもパラオアメリカ軍さらなる侵攻予想される中で、ペリリュー大兵力を注ぎこむことは避けたいとの判断もあり、最終的に歩兵第15連隊全部ではなく第2大隊指揮官飯田義榮少佐)にペリリュー島逆上陸することを命じた飯田茨城県出身で、第2連隊古巣であり、その古巣救援したいと意気軒昂であって飯田意気触発され大隊兵士も「上州男児底力見せてやるぞ」と意気盛んであった同日22時には第一陣として第2大隊第5中隊指揮官堀中尉215名が大発動艇5隻に分乗しパラオ本島アルミズ桟橋より出発した途中でアメリカ軍艦艇発見されるもうまく回避し7時間かけてペリリュー島北端のガルコル波止場到達揚陸作業中にアメリカ軍機の空襲を受け大発動艇全て撃沈されたが、人的損害死傷14名に止まり残り兵員ペリリュー守備隊合流した先遣隊堀隊の上成功の報に師団司令部湧き立ち、「援軍不要」と打電していた中川大佐も非常に感激し苦闘する守備隊士気大い高まった師団司令部次いで23日第2大隊主力出撃命じた第二陣の主力は総兵員570名で飯田が直卒し5隻の大発動艇分乗した。大隊配備している九四式山砲2門、四一式山砲4門も全て大発動艇積み込んだ。そして、海軍水先案内となる小発動艇付いて夜の20時にペリリュー向けて出発することとなった。この20時というのは、これまでの訓練により確認していた、潮の干満が最も海上機動適した時間であったが、一部部隊出撃準備手間取り出発30分ずれて20時30分となってしまった。 遅れた30分の間に潮は退き始めており、飯田は不安を抱きながらも、上陸成功した第5中隊進んだ航路と同じ航路突き進んだ。既に潮が退いてるため、水路大発がようやく通れるほどの幅と深さしかなく、海軍小発動艇先頭にして各艇は、完全無灯火のなかを慌ただしく舵を切って進んでいたが、ついに小発動艇がガラカシュール島周辺リーフ乗り上げてしまい、それに続いていた飯率い大発動艇5隻も座礁してしまった。この水路は、第15連隊連日海上機動の猛訓練重ね航行困難箇所一部リーフ爆破して水路作るなどして熟知していたが、海軍それほどこの水路には習熟していなかったので、飯田海軍先導不要であった後悔した後の祭であった飯田は完全に座礁して身動き取れなくなった大発動艇諦めると、それぞれ装備担いで徒渉の上陸を命じた。しかし、アメリカ軍は第5中隊の上成功で、日本軍の増援警戒しており、ほどなく沖合警戒していた駆逐艦徒渉していた日本軍発見されて、激し艦砲射撃浴びせられた。砲弾は、装備運びだそうと兵士作業していた大発動艇直撃作業中の日本兵とともに粉砕され逃げ惑う日本兵真ん中にも砲弾着弾し多数日本兵死傷した駆逐艦打ち上げる照明弾により周囲照らされ艦砲射撃加えて機銃掃射浴びせられる中で、飯田らは2km先のペリリュー島向けて必死に進んだそのうち潮が満ちてきたため、座礁した大発動艇のうち2隻が脱出成功し、こちらもペリリュー島目指し全速航行した徒渉ペリリュー島目指し飯田らはようやく陸地上陸したが、周り様子が何か違うのでよく調べるとこれはペリリュー島北側400mにあるガドブス島であった飯田小休止をとる間もなく続いてきた将兵らにペリリュー島への移動命じたが、その人数は砲兵中隊奈良四郎少尉以下20数人に過ぎなかった。しかし、夜が明けて空が白み始めると、他にもペリリュー島向かって進んでいる日本兵望見された。飯田らは翌23日早朝やっとの思いでペリリュー島のガルコル埠頭上陸したが、先に2隻の大発動艇到着しており、その中から九四式山砲2門が陸揚げされた。どれだけの兵士生き残って上陸したかを把握できないまま、部隊北上開始したが、やがてアメリカ軍のアムタンクで編成されパトロール隊が、道路上主砲乱射しながら進んできた。アメリカ軍日本軍逆上部隊歩兵のみと侮って装甲の薄いアムタンクを向かわせたようであったが、奈良すばやく山砲中に引き込むと、これまで一方的に攻撃され戦力発揮することもできず無為に戦死していった戦友たちの無念晴らすべく、アムタンクに砲撃開始した山砲貫通能力は低いが、相手のアムタンクの装甲薄くまた、巧みに山砲隠したので、アムタンクを十分に引きつけ零距離射撃できたため、次々と砲弾命中した車体側面命中弾を受けたアムタンクはとたんに砲塔吹き飛び爆発炎上した奈良指揮する山砲持ってきた砲弾全弾を撃ちつくし、8輛のアムタンクを撃破炎上させるという大戦果を挙げた。しかし、大損害を被ったアメリカ軍の反撃激烈で、今まで駆逐艦加えて巡洋艦沖合に姿を現して20cm主砲猛然と艦砲射撃してきた。巡洋艦20cm砲弾の威力すさまじく、たちまち山砲撃破されて、砲弾直撃しなくとも兵士強烈な爆風浴びて全身紫色腫れ上がり裂傷もないのに全身皮膚から血が噴き出してくるといった具合で、どうにか上陸できた日本兵次々と倒れていった。飯田率い第2大隊は、第2連隊合流する前に壊滅状態に陥り、飯田埠頭近く洞窟立てこもって様子をうかがうこととしたが、アメリカ軍警戒厳しく前進することはできず、夜になると少数将兵アメリカ軍陣地夜襲して、食料などの物資奪取するといったゲリラ戦展開していたが、9月28日には飯田掌握している将兵100名足らずとなっていた。 飯田中川同様にペリリューへの増援無駄な戦力消耗にしか過ぎない判断し戦況報告意見具申をする必要があったが、無線はなく連絡手段が無いため、誰か伝令警戒厳重な海を泳いで渡らせてパラオまで報告書届けさせる必要があった。ペリリューからパラオ本島までは60kmもあり、泳ぎ達者精神力も強い奈良以下17名が選出された。17名もの大勢人数選ばれたのは、非常に困難な任務であり、17名の内1人はたどり着けるだろうという最悪な状況想定してからのことであった9月28日ペリリュー出た奈良少尉は、部下励ましながら潮流強く波が高い海を不眠不休懸命に泳いだが、途中で執拗なアメリカ軍機の機銃掃射を受け12名が戦死し残りは5名となった途中の島で休息しながら10月2日パラオ本島到着した際は奈良少尉以下4名となっていた。この命がけ遠泳伝令により、第14師団計画していた第二以降増援計画断念することとなったその後飯田少佐らは悪戦苦闘しながらも9月28日中川大佐連隊主力合流成功し中川大佐飯田少佐互いに感涙にむせびながら手を取り合い日本軍戦意はさらに高まった

※この「日本軍逆上陸」の解説は、「ペリリューの戦い」の解説の一部です。
「日本軍逆上陸」を含む「ペリリューの戦い」の記事については、「ペリリューの戦い」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日本軍逆上陸」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日本軍逆上陸」の関連用語

日本軍逆上陸のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日本軍逆上陸のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのペリリューの戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS