日本軍関与説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:19 UTC 版)
「アメリア・イアハート」の記事における「日本軍関与説」の解説
イアハートの遭難から5日後の1937年(昭和12年)7月7日、中国大陸では盧溝橋事件が発生、日中間は全面戦争に発展した。さらに以前より日本とアメリカの間で対立が深まっていたこともあり、「アメリカ海軍はイアハート機捜索の名目で、日本の委任統治領をはじめとする南洋諸島の空中調査を行った」という噂が流れた。逆に、イアハートが諜報行為をしたことで日本軍の捕虜になったという噂も立った。 「イアハートがアメリカ軍の要請を受けて、カロリン諸島やマーシャル諸島などの、日本の委任統治領における日本軍の活動を探るべく飛行した後、カロリン諸島に駐留する日本軍によって撃墜され捕らえられた」という話が、地元住民の目撃談として唱えられていた。さらに、「日本軍に捕らわれた後にサイパン島を経由して東京に移送され、第二次世界大戦中に皇居内で拘留され続け、終戦直前に処刑された」という説まで、同じく目撃者の証言と共に唱えられたこともあった。その上1970年に出版された本の中では「終戦後解放された後にひそかに帰国し、偽名でニュージャージー州で暮らしていた」との説まで唱えられた。 しかし、このような話は、失踪前のイアハートからの通信では(日本軍を含めた何者かから)攻撃を受けたとの報告がない上に、日本側には撃墜や拘留、処刑の記録が無いばかりか、上記のように日本海軍の艦艇はアメリカ海軍艦艇とともに多額の費用を投じた捜索活動も行っている。また日本関係者によるイアハート目撃の報告もないため、信憑性が無いいわゆる「陰謀説」と言えるレベルのものであった。 さらに2017年7月に、アメリカの歴史娯楽専門チャンネル「ヒストリーチャンネル」は、特別番組「アメリア・イアハート:失われた証拠(Amelia Earhart: The Lost Evidence)」において、「イアハートとヌーナンが日本軍に拘束されたとする従来の説が有力である」旨を公表した。根拠として同番組がアメリカ国立公文書館から入手した、日本委任統治時代のマーシャル諸島ジャルート環礁の港にて撮影された写真を挙げた。 この中にイアハートとヌーナンにそれぞれ特徴が似ている白人の男女、そして破損した乗機とされる物体が貨物船に曳航されるとされる姿が写されており、これを「2人がミリ環礁に不時着した後に撮影されたもの」だと主張している。同番組は2人のその後の行方として、「サイパン島に移送され同地で拘置中に死亡した」とする仮説を立てている。 しかし、マーシャル諸島での戦史を研究している軍事専門家によれば、写る船舶の形式などから、写真はイアハートが遭難する以前の1920年代後半から1930年代前半のものとしており、またマーシャル諸島を含めた日本の委任統治領は、1937年1月以降外国船の入港が禁じられたにも関わらず、あきらかに日本籍でないと思われる商船が写っていること、写されている人影の中に日本人らしき姿が見られない事、さらにこの写真は1935年(昭和10年)10月に出版された日本語写真集の中に収録されていることなどから、ヒストリーチャンネルの説は完全に否定された。
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