日本軍輸送船団への攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 23:10 UTC 版)
「ミッドウェー海戦」の記事における「日本軍輸送船団への攻撃」の解説
アメリカ軍は5月30日以降、ミッドウェー島基地航空隊の32機のPBYカタリナ飛行艇による哨戒が行われていた。6月2日、フランク・J・フレッチャー少将の第17任務部隊とレイモンド・スプルーアンス少将の第16任務部隊がミッドウェー島の北東で合流。この合流した機動部隊の指揮はフレッチャー少将がとることになった。6月3日(09:00)、カタリナ飛行艇1機(ジャック・リード少尉機)が日本軍輸送船団と護衛の第二水雷戦隊を発見する。(12:30)、ミッドウェー島から第7陸軍航空部隊分遣隊のB-17爆撃機9機(指揮官:ウォルター・スウィーニー中佐)が発進、攻撃に向った。日本時間6月4日午後1時(16:23)、船団を発見したB-17部隊は爆撃を開始し、戦艦、空母、輸送船など、多数の艦艇撃破を報告した。実際は輸送船あるぜんちな丸、霧島丸が至近弾を受けたのみで損害も無かった。 (21:30)、オアフ島より増援されたPBYカタリナ飛行艇4機(指揮官:チャールズ・ヒッパード中尉)が魚雷を積んで出撃する。(現地時間6月4日01:15)レーダーで船団を発見(1:43)し、雷撃を開始した。夜間だった事で完全な奇襲になり、輸送船清澄丸が機銃掃射され、あけぼの丸に1本が命中し戦死者11名が出たが、両船とも航行に支障はなかった。この時、船団を護衛すべき第七戦隊(栗田健男少将)の重巡洋艦4隻(熊野、鈴谷、三隈、最上)は船団を見失って離れた地点にいた。これは栗田少将のミスというより田中頼三少将(船団指揮官・第二水雷戦隊司令官)の判断により、輸送船団が予定航路から北100海里地点を航行していたからである。 ミッドウェー基地からの艦隊発見の報を受け、米太平洋艦隊司令部は、B-17が攻撃した艦隊は敵主力機動部隊にあらずと判断し、第16・17両任務部隊に日本軍機動部隊と間違えて攻撃に向わないよう緊急電を打った。フレッチャー司令官も同じ判断を下し、行動を行わなかった。午後4時50分(19:50)には予想迎撃地点に向けて南西に進路を変更している。この段階では、フレッチャーとスプルーアンスも南雲機動部隊の位置を把握していなかった。
※この「日本軍輸送船団への攻撃」の解説は、「ミッドウェー海戦」の解説の一部です。
「日本軍輸送船団への攻撃」を含む「ミッドウェー海戦」の記事については、「ミッドウェー海戦」の概要を参照ください。
- 日本軍輸送船団への攻撃のページへのリンク