日本軍誤爆への報復説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 13:53 UTC 版)
北平特務機関補佐官寺平忠輔は誤爆直後に細木繁特務機関長が慰撫につとめ、「そのかいあってか、保安隊員は心中の鬱憤を軽々に、表面立って爆発させる事はしなかったのである」と述べている。 一方、北平駐在大使館附武官補佐官今井武夫は、保安隊員が「たまたま28日関東軍飛行隊から兵舎を誤爆されて憤激の余り、愈々抗日戦の態度を明かにした」と回想している。北京大使館参事官森島守人も、日本軍機が華北の各所を爆撃した際に、通州の保安隊兵舎を誤爆したことへの報復だったとして事件の責任は日本陸軍にあるとする。関東軍参謀田中隆吉は「この事件の発端は、当時承徳に在つた日本軍の軽爆撃隊の誤爆からである」と戦後書いている。 他方、誤爆の事後処理は通州事件以前には終わっていたという見方も存在している。松田純清は、細木繁特務機関長が謝罪と釈明によって十分な慰撫に努めており、報復説には無理があると述べている。
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