吉見義明による日本軍関与説
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「軍慰安所従業婦等募集に関する件」の記事における「吉見義明による日本軍関与説」の解説
1938年2月23日の内務省発警第5号支那渡航婦女の取扱に関する件に応じて作成されたこの通牒は中央大学教授の吉見義明が発見したが、吉見はこの通牒が北支那方面軍及中支那派遣軍参謀長宛てに出されていることから、旧日本軍が慰安婦の募集や慰安所の運営・管理に関与していた証拠であると主張した。また、「軍の関与は疑う余地のない明らかなものである」とし、兵務局が立案し、当時の陸軍大臣 杉山元が委任し、後の戦艦ミズーリでの降伏文書の署名者であった梅津参謀総長(当時次官)が決裁している以上「慰安所の設置は軍上層部が関与する組織的なものであった」としている。 この通達は、「派遣軍が選定した業者」が日本内地で誘拐まがいの方法で「強制徴集」をしていた事実を陸軍省が知っている事を示しており、日本軍に対する国民の信頼が崩れる事を防ぐために業者の選定をもっとしっかりするようにと指示している。 「軍の威信を傷つけるこれらの問題点を克服するため陸軍省が指示しているのは、(ア)募集などは派遣軍が統制し、人選などは周到に行うこと(イ)募集実施の際は関係地方の憲兵・警察との連携を密にすること、の2点である。つまり各派遣軍はもっと周到に徴集に責任を持て、と指示しているのである」という。この文書を、逆に「業者の犯罪行為を陸軍や内務省が取り締まっていたことの証拠である」とする、保守論壇によるいわゆる「良い関与論」に対しては、そういった「厳罰に処する」などという記述が一切ないことを指摘している。 また吉見は、支那渡航婦女の取り扱いに関する件と同様、軍の威信や社会問題を危惧したこの通牒は「内地において従業婦を募集するにあたり」と記していることから、内地(日本国内)にのみ適用された」事を指摘しており、植民地である「朝鮮、台湾では適用されなかったのである」と説明している。しかし、その後も、朝鮮、台湾では誘拐、甘言、人身売買等により女性達が集められている事から、「内地では違法行為が起こらないように統制したが、植民地ではそのような措置はとられなかった」か、もしくは「植民地では、軍または警察が選定した業者であれば、違法行為を黙認しつつ軍慰安婦の徴募を推進させた」というふたつの可能性を指摘している。
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