吉見義明の発見と朝日の報道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 10:13 UTC 版)
「強制連行」の記事における「吉見義明の発見と朝日の報道」の解説
金学順の登場の翌年(1992年1月11日)、再び朝日新聞が「政府見解揺らぐ」 などとして、宮澤喜一首相の訪韓直前に吉見義明による資料の発見を一面で報じると、韓国では反日デモが沸き起こり、訪韓した宮沢首相が謝罪に追われた。西岡力によれば、混乱に陥った日本政府は、首相の謝罪は「強制連行」についての謝罪だったのかという西岡の問いに、外務省の担当者が明確に答えられない状況だったという:63。 あたかも「慰安婦の強制連行」を裏づける資料が発見されたかのような騒ぎになったが:37、記事にはその様なことは書かれておらず、朝日が報じたのは30年前から公開されていた文書で、吉見が文書を発見したとされる防衛研究所図書館の専門官が、存在は承知していたが朝鮮人慰安婦に関わる資料ではなかったので報告しなかったとコメントしたように、朝鮮人慰安婦とも「強制連行」とも無関係な資料だった。 朝日新聞はこれを、「慰安所 軍関与示す資料」というタイトルで報じたが、日本軍に慰安所があった事実(関与)は、アマチュアを含め海外の軍事史家にも知られており、ワルシャワ大のアンジェイ・コズロフスキーは、吉見の〝発見〟は、そういった人々の目に奇妙(strange)に映ったと述べている。 第三者委員会の報告書は、この頃から朝日新聞が徴募段階における「軍の関与」を「強要・強制」の意味をもつものとして報じていったと指摘している:57。
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