四条畷神社とは? わかりやすく解説

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しじょうなわて‐じんじゃ〔シデウなはて‐〕【四條畷神社】

読み方:しじょうなわてじんじゃ

大阪府四條畷市南野にある神社主祭神は楠木正行(くすのきまさつら)。明治23年1890)の創建俗称楠公さん


四条畷神社

四条畷神社
しじょうなわて

鎮座地 大阪府四条畷市南野2-18-1

ご祭神 楠木正行公 [まさつら]
    楠木正時
    和田賢秀公等
 当地四条畷の戦い討死された
二十五柱方々を祭る。

<別称> 小楠公さん

例大祭(ご命日) 二月十二
 楠木正行父の死後南朝の将として活躍し正平三年(1348)この地で足利軍激戦戦死した明治維新機に、この地の平田神社神職らが正行をはじめ、同正時和田賢秀四条畷の戦い南朝殉じた一族将兵の霊を祀る神社創建願い出ていた。
 明治二十二年(1889)に至り神社創立社号宣下勅許され翌二十三年四月五日
御墓所の東、飯盛山麓に社地定め創建鎮座した。
 小楠公は、鎌倉時代末期皇位の継承公郷幕府思惑絡んでもつれ時、不利を覚悟一身なげうって、あくまで、正統後醍醐天皇守り湊川において討死された楠木正成公(大楠公)
長男である。
 桜井の駅の別れにおいて諭された父の遺訓固く守って成人した小楠公は、南朝方の中心となって、幼い後村上天皇守護され正義為に戦われた。積極的な戦法で、しばしば賊を破られたが、この四条畷の戦いにおいて衆寡敵せず二十三才討死された。
正行の歌】
 
 四条畷合戦に行く前、楠木正行一族および兵百四十三人ひきつれて、吉野後醍醐天皇御廟参拝し今度合戦討死すべき覚悟であることを申し上げ如意輪堂壁板過去帳として各自名字書きつらね、その奥に
 
   返らじとかねて思へば梓弓なき数にいる名をぞとどむる

 の歌を書きとめて、生還期せぬ決意をかため、鬢の髪を切って仏殿投げ入れ戦場臨み討死した。(『太平記』二十六)

 毛利家本には、この歌の上句が 梓弓引返へさじと思ふより となっている。

 この説話は、過去帳に名を入れて読む伝承説話があって、それが正行伝記入りこんだのであろう。『発心集』巻四、『三国伝記』巻七に武州入間川の官首の発心後の話として、諸国観音霊地巡拝し年老いてのち、京都一条革堂近く草案を結び、過去帳書いて有縁無縁亡霊弔っていると、女がおとずれ自分の名をも書き入れてくれというので、存生の人は困ると断ると

 梓弓はづるべしとは思はねばなき人数にかねて入るかな とよんだとある。

 これと同類の話は異本『保元物語』巻二為義降参事、延慶『平家物語』巻四
宇佐神宮が娘後鳥羽殿へ被召事、『源平盛衰記』巻八讃岐院の事などに見える。
 『保元物語』では源為義の歌となっており、他はいずれ女性の歌である。
 浮世草子小夜嵐』中の同型の話は和泉式部関係している。
これらの説話は、女が運搬した信仰説話であろう。  

四条畷神社

読み方:シジョウナワテジンジャ(shijounawatejinja)

別名 小楠公さん

教団 神社本庁

所在 大阪府四條畷市

祭神 楠正行 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

四條畷神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/24 01:24 UTC 版)

四條畷神社

拝殿
所在地 大阪府四條畷市南野2丁目18-1
位置 北緯34度43分56.7秒 東経135度38分57秒 / 北緯34.732417度 東経135.64917度 / 34.732417; 135.64917座標: 北緯34度43分56.7秒 東経135度38分57秒 / 北緯34.732417度 東経135.64917度 / 34.732417; 135.64917
主祭神 楠木正行 他24柱
社格 別格官幣社
別表神社
創建 1890年明治23年)
札所等 建武中興十五社
なにわ七幸めぐり
神仏霊場巡拝の道第61番(大阪第20番)
例祭 春季大祭・4月5日、秋季大祭・10月5日
地図
四條畷神社
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四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)は、大阪府四條畷市にある神社旧社格別格官幣社で、現在は神社本庁別表神社建武中興十五社の一社。大阪みどりの百選に選ばれている。

南朝の将として戦い、四條畷の戦いで敗死した楠木正行を主祭神としている。父の楠木正成が大楠公(だいなんこう)と呼ばれるのに対して、嫡男の楠木正行は小楠公(しょうなんこう)と呼ばれるが、地元四條畷市民や隣接する大東市民の間では単に「楠公さん」といえば正行や当社を指す場合が多い。1975年昭和50年)には「楠公」という町名まで誕生し、他にも周辺に楠公と付く地名が複数誕生している。

境内やその周辺にはが多く植えられており、春は多くの花見客でにぎわう。

祭神

他、楠木一族の将士24柱を配祀している。

歴史

正平3年(1348年)1月、この地で四條畷の戦いが行われ、高師直師泰兄弟が率いる北朝軍に南朝軍は敗北し、楠木正行正時兄弟が自害したのを始め、多くの楠木一族が戦死した。その後、正行が自害した河内国讃良郡南野村雁屋に「楠塚」と呼ばれる正行の墓が作られ、ひっそりと菩提が弔われた。

しかし、明治時代になると明治政府によって南朝が正統とされ、正行の父である楠木正成が大楠公(だいなんこう)として神格化されると、その父の遺志を継いで南朝のために戦い命を落とした嫡男の正行も小楠公(しょうなんこう)と呼ばれ、崇められるようになった。それに伴い、1878年(明治11年)に楠塚は「小楠公御墓所」と改められて整備され、その規模が拡大された。

同じ頃、南野村飯盛山の山麓にある住吉平田神社の神職らが中心となり、楠木氏らを祀る神社の創建を政府に願い出た結果、1889年(明治22年)12月16日に神社創立と別格官幣社四條畷神社の社号の宣下が勅許され[1]、翌1890年(明治23年)に住吉平田神社の南隣の地に創建された。

創建以降、1895年(明治28年)に浪速鉄道大阪市中心部から当社近くの四条畷駅まで開業するなどして四條畷神社周辺は大いに栄えることとなり、所在地の讃良郡甲可村(南野村ほか6ヶ村合併による)には「四條畷」と付く施設が次第に増え、「四條畷」は甲可村の別称のようになっていった。1932年昭和7年)に甲可村はついに四條畷村に改称するに至り、これが現市名にまで継承されている。同年には浪速鉄道から転じて国鉄路線となっていた片町線の四条畷駅以西において関西国鉄初の電車の運転が開始されるなどして、四條畷神社創建をきっかけに周辺一帯は北河内地方随一の大市街地に発展し、その賑わいは現在も続いている。

1948年(昭和23年)に神社本庁別表神社に加列されている。

当社の西には小楠公御墓所(大阪府指定史跡)が、北西には和田賢秀の墓(大阪府指定史跡)がある。

境内

  • 本殿
  • 拝殿
  • 楠木正成正行父子の「桜井の別れ」の像 - 忠孝両全と書かれている。
  • 御妣(みおや)神社 - 祭神:久子刀自命(正行の母・久子)。摂社。
  • 拝所
  • 正行・久子母子の像 - 貞仁両全と書かれている。
  • 鳥居 - 1990年平成2年)に創建100周年記念として伊勢神宮から贈られた。
  • 楠天神社 - 祭神:菅原道真
  • 有源招魂社 - 祭神:内外古今の先哲先人の御霊。もともとは飯盛山の東にある有源山にあった成人教学研修所に祀られていたが、2007年(平成19年)4月7日に現在地に祭神を移して建立された。
  • 楠公慰霊塔 - 楠木正成の供養塔。五輪塔の形式ではあるが、丸い水輪の石が二つある変わった形をしている。大阪府豊中市の山中で発見された古い塔で、1991年(平成3年)に現在地に移された。
  • 社務所
  • 休憩所 - かつては展望台であったが、現在は木々が育って展望はあまり良くない。
  • 四條畷神社会館
  • 境外

文化財

重要文化財

大阪府指定史跡

  • 伝楠木正行墓
  • 伝和田賢秀墓

大阪府指定天然記念物

  • 四條畷楠木正行墓のくす

例祭

  • 春季大祭・4月5日、秋季大祭・10月5日

前後の札所

建武中興十五社
なにわ七幸めぐり
神仏霊場巡拝の道
60 枚岡神社 - 61 四條畷神社 - 62 水無瀬神宮

交通アクセス

脚注

  1. ^ 明治22年12月17日付官報(第1942号) 内務省告示第六十一号
  2. ^ a b 別格官幣社四条畷神社社誌 補訂 1938, p. 8.
  3. ^ 山階会 編『山階宮三代 上』(山階会、1982年)639頁。
  4. ^ a b 別格官幣社四条畷神社社誌 補訂 1938, p. 9.
  5. ^ a b c d e f 別格官幣社四条畷神社社誌 補訂 1938, p. 10.
  6. ^ 秩父宮家編『雍仁親王実紀』(吉川弘文館、1972年)449頁。
  7. ^ 近藤保雄『橘花遺芳:大楠公夫人伝 世界維新建設「時艱克服の婦人読本」』(日本精神社、1943年)5頁。

関連図書

関連項目




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