初優勝後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 01:21 UTC 版)
自身初めての東正位大関、そして初めての綱取りで迎えた11月場所も初日から5連勝と好スタートを切り、1994年11月場所の貴乃花以来となる日本人力士の20連勝を記録した。しかし6日目に玉鷲に突き落としで敗れ連勝が20でストップした。翌日の6連敗中の魁聖には勝利するもその翌日から1勝6敗の不調の隠岐の海に物言いで際どい判定だったが軍配覆り敗戦し、続く稀勢の里にも敗れ連敗。琴奨菊に勝利してからは3敗で追走していたが13日目に日馬富士に敗れて4敗に後退し優勝の可能性と綱取りが完全消滅した。その後も2横綱に連敗するなど9勝6敗で初めての綱取り場所を終えた。豪栄道は場所を振り返り「もうちょっと相手を良く見ていけばね、最後までね」と発言し、動きについては「動きは悪くなかった」と手ごたえも口にし、「期待されてて、それに応えられなかったのは申し訳ないけど、また来場所から気合入れてやるだけです。いい経験できるように」と気持ちを新たにしていた。 2016年12月20日、第49回内閣総理大臣杯日本プロスポーツ大賞「功労賞」を受賞した。「思い通りにいかないことも多くて辛い日もあったけど、少し報われた」と本人はコメント。 2017年1月場所は場所前に腰を痛め出場さえ危ぶまれたがなんとか出場し、他の横綱、大関陣の多くが早々に脱落する中11日目まで3敗で優勝争いをしていた。だが、12日目に遠藤に敗れて優勝争いから脱落。さらに取組で足を負傷してしまう。結局、相撲がとれる状態ではないということで休場し稀勢の里戦は不戦敗となった。怪我の詳しい症状は右足関節外側靱帯損傷のため全治1カ月であり重症であった。休場までに8勝を挙げていたため、カド番は免れる形となった。 3月場所は地元大阪だったが2日目から4連敗し、6日目に右足関節外側靱帯損傷で約5週間の加療との診断書を提出し休場、来場所は歴代ワースト8位の5度目の角番となった。春巡業深谷場所では5月場所に向けて本格的に稽古を再開した。豪栄道は同じ相手と続けて相撲を取る三番稽古で、佐田の海と3番、母校の埼玉栄高の後輩となる大栄翔と9番を取った。左前ミツからの力強い寄りや横に動いての投げを見せたが、「体の反応とかがちょっと遅い。(調整は)これからじゃないですか」と納得はしていない様子だった。5月2日にはその前日に死去が公表された、自身の大師匠にあたる佐田の山の遺影の前で黙祷を捧げた。豪栄道は「最近は出羽海一門の関取も減っている。頑張らないといけない」と責任感をにじませた。 5月場所は11日目の時点で6勝5敗と勝ち越しを果たせるかどうか微妙なところであったが、13日目に勝ち越しを決め、9勝6敗で角番を脱出した。6月22日の朝稽古にはNFLのペイトリオッツに所属するトム・ブレイディが見学に訪れ、豪栄道はぶつかり稽古でブレイディに胸を出した。 7月場所は初日から連敗。しかしその後3連勝し持ち直すも終盤の3連敗で7勝8敗と負け越し、9月場所は歴代ワースト7位の6度目のカド番で迎えることとなった。8月7日の夏巡業本庄場所では正代を三番稽古の相手に指名し、9戦全勝。13日の夏巡業仙台場所では朝稽古の土俵下で日馬富士から「やってみろよ」と勧められ1個5kgの重りを両手に持ち腕を回すという内容のトレーニングを行った。勧めた日馬富士は「1人でやるのは寂しかったからさ」と笑いながらも「重いものを上げるばかりがトレーニングじゃない。これは腰から、首と全身を鍛えられるんだよ」と力説。「こういうやり方もあると実感できただけでも大きい」と豪栄道もヒントを得た様子だった。8月17日、当時夏巡業札幌場所に参加中であった豪栄道は、札幌ドームで行われた北海道日本ハムファイターズ対埼玉西武ライオンズ戦で始球式を行った。照ノ富士が途中休場で負け越したため、負け越しながら9月場所も西の正大関で迎えた。 9月場所は横綱3人が初日から休場。さらに大関も二人が休場し豪栄道のみになるなど幕内で休場者が続出する波乱の場所になる。豪栄道も初日いきなり琴奨菊に変化されて敗れるがその後8連勝し、見事角番脱出に成功。1敗で優勝争いをする。11日目に10連勝で二桁に到達し、11日目の段階で3敗に平幕力士がいるのみとなった。この後3敗力士もそろって敗れていき4敗に後退。優勝に王手をかけるものの、12日目に松鳳山、13日目に貴景勝と平幕の力士に連敗。その間3日目から琴奨菊、北勝富士、序盤の秋場所を引っ張った阿武咲に3連敗を喫し、10日目の貴景勝との一番にも落とした日馬富士に追い上げられてしまう。そして千秋楽の直接対決、本割と優勝決定戦ともに圧倒的な内容で寄り切られる敗戦で逆転を許してしまう。一時は3差あった状況からの屈辱の大失速で、優勝を逃し、11勝4敗の優勝同点の成績で終えた。 審判部の二所ノ関部長(元大関・若嶋津)は、本割で勝って12勝3敗での優勝なら「来場所につながるだろう」と九州場所での綱取りを明言したが、優勝同点に留まったことに、「2番ともに相撲にならなかった。横綱3人も休んでいるなか11番では…印象は悪いし、難しい」と否定的な見解を示し、綱取りにはならなかった。敗れた豪栄道は、「いつか、これがあったからよかったと言える相撲人生にしたい」と、リベンジを誓った。10月18日の秋巡業津場所ではこの巡業に入って初めて相撲を取り、正代と5番取って全勝。11月3日に福岡県大野城市にある境川部屋九州場所稽古場では妙義龍ら部屋の力士と申し合いを行い、21戦全勝。 11月場所は初日から好調で5連勝したが、中盤以降失速し、13日目に不戦勝とでようやく勝ち越しを決め、9勝6敗で場所を終えた。 2018年1月場所は初日から4連勝するもその後連敗し優勝争いから脱落。終盤3連敗するなど最終的に8勝7敗で場所を終えた。場所初日に北の富士が「今場所はいいと思うよ」と断言したが、結果的には振るわなかった。 3月場所は地元大阪の観客から連日の大歓声を受けたが、初日に苦手の玉鷲に敗れると、4日目には遠藤に敗れて序盤から波に乗れなかった。中盤に持ち直したが、9日目に大関初挑戦となる千代丸に敗れて3敗に後退。それでも翌10日目には番付で下にあたる栃ノ心に立ち会い変化の末に勝利。僅かに残る優勝の可能性に執念を見せたが、13日目に大関・高安に敗れて4敗となり優勝争いから脱落。翌14日目には横綱・鶴竜に敗れ優勝を決められた。千秋楽も敗れて9勝6敗の成績だった。 5月場所は場所前にもう一人の大関である高安が休場を発表したため、一人大関として迎えた。初日から盤石の相撲で連勝するも、3日目に新小結の遠藤に敗れると次第に引き癖を露呈して調子を落とし、中日を終えて3勝5敗と黒星を先行させた。翌9日目から左足関節離断性軟骨炎により途中休場。7月場所は歴代ワースト4位の自身7度目のカド番となった。またこの休場により大関が不在となったが、これは1959年9月場所以来59年ぶりの出来事となった。 7月場所は、場所前の稽古で高安、栃ノ心の2大関を圧倒し、七夕の短冊の願い事に「優勝(なお、優の漢字のにんべんを行にんべんに間違えて記入していた。)」と書くなど、好調ぶりが伝えられていた。しかし場所は、7日目までに鶴竜、白鵬、稀勢の里の3横綱全員と栃ノ心の1大関が休場する波乱。豪栄道も優勝を狙ったが、初日に正代に敗れ、4日目には元大関の琴奨菊にも敗れて序盤で2敗を喫してしまう。さらに、7日目には貴景勝に圧倒され3敗に後退。その後中日からは5連勝と持ち直し、11日目に勝ち越しを決めて角番を脱出する。しかし13日目に1敗で優勝争いの先頭に立っていた西関脇の御嶽海に敗れて4敗目を喫し優勝争いから脱落。千秋楽には後輩大関である高安に完勝し10勝5敗、昨年9月場所以来、5場所ぶりに二桁勝利を収めた。8月1日の夏巡業小松場所では十両と15番申し合いを行った。 9月場所は、初日から魁聖に敗れるが、その後不戦勝を挟み、大関・栃ノ心、大関取りの関脇・御嶽海に完勝するなど、8連勝。10日目に高安との大関対決に敗れるも、その後、横綱・鶴竜に完勝するなど、白鵬と終盤まで優勝争いを繰り広げた。しかし、14日目の白鵬との直接対決で、白鵬の41回目の優勝と、前人未到の横綱通算1000勝を達成される歴史的取組で敗れ、白鵬に目の前で優勝を決められた。千秋楽、横綱・稀勢の里に完勝し12勝3敗、大関昇進後初の連続二桁勝利を達成、白鵬に次ぐ自身7度目の優勝次点となり、自身3年連続となる秋場所での二桁勝利で場所を終えた。 11月場所は、初日に母校埼玉栄の後輩である北勝富士に勝利。「少し頭にあった」という、先場所魁聖に敗れた初日敗戦を回避したが、2日目に同じく母校の後輩の貴景勝(なお、貴景勝はこの場所初優勝を果たした。)、3日目に長年のライバル栃煌山に敗れ連敗、5日目にも初顔合わせの平幕・錦木に不覚を取るなど、早くも優勝争いに遅れを取る。その後11日目まで6連勝し勝ち越しを決める。しかし、9日目の千代大龍、10日目の初顔合わせの朝乃山と二日続けて立ち合いでの変化による勝利で、八角理事長は「受けてほしかった」と残念がり、土俵下で見守った阿武松審判部長は「(優勝争いに)食らいついていくという気持ちではないか」と胸中を推し量った等、優勝の為になりふり構わぬ姿勢を見せているように見えたが、7日目の正代戦で、右上腕部を傷めており、「右大胸筋上腕骨付着部筋断裂で約6週間の安静加療を要する見込み」との診断書を提出し、12日目から休場となった。師匠の境川親方はこの日の朝に豪栄道と話し合って休場を決めたと明かし「昨夜は右手が上がらず、左手で食事をしていた。もうぶざまな相撲は取れない」と説明。境川は九州場所担当部長も務めており「横綱が全員休んでおり、私の立場からしても本当に申し訳なく思う」と謝罪した。大怪我であったが、休場を発表した次の日から稽古場には下り、四股を踏むなど出来ることをやってきた。12月2日から始まる冬巡業は不参加の見通しであったが、20日の埼玉県熊谷市で行われた巡業より合流した。 2019年1月場所は、大関昇進後ワーストとなる初日から4連敗を喫するなど、9日目の時点で3勝6敗と勝ち越しが危ぶまれたが、そこから持ち直し、14日目は白鵬の休場による不戦勝で勝ち越しを決めた。その白鵬の休場により、西大関ながら割崩しにより千秋楽結びの一番を務め、大関昇進をかける貴景勝を一方的に押し出して完勝し、貴景勝の大関昇進を阻む勝利を挙げた。結果、10日目から6連勝して9勝6敗で場所を終えた。 3月場所では、「大阪で優勝したい」と、場所前から意気込みを語り、地元大阪のファンの歓声を受けながら初日から5連勝し好調ぶりを見せる。しかし、6日目に大栄翔に不覚をとると、9日目には1敗で優勝争いをしていた逸ノ城に敗れ、2敗に後退。その後、再び連勝するも13日目に全勝の白鵬に寄り切りで敗れ、優勝争いから完全に脱落。それでも、残りの取り組みでは、横綱・鶴竜に完勝するなど、白鵬以外の上位陣にすべて勝利して、12勝3敗で場所を終えた。なお、地元大阪での二桁勝利は3年ぶりとなった。4月20日の春巡業柏場所の稽古場では平幕の正代と錦木を相手に相撲を取り、11戦全勝と好調をアピールした。28日の町田場所でも平幕の正代に10勝1敗と順調な調整ぶりを示した。5月6日の横綱審議委員会の稽古総見では、白鵬を除く三役以上の力士との申し合いで10勝3敗と好調が伝えられた。 5月場所は、初日から連勝するが3日目に敗れてから崩れ始め、7日目から4連勝するも11日目までに平幕相手に4敗を喫し優勝争いから事実上脱落。14日目には2敗で優勝争いの単独首位に立っていた朝乃山に敗れ、千秋楽を前に平幕優勝を許す形となってしまった。千秋楽も鶴竜に良いところなく敗れて結局この場所を9勝6敗で終えた。1横綱1大関が休場する中で優勝争いに最後まで加わることができなかった。 7月場所は途中休場で9月場所は歴代ワースト3位タイの8回目の角番となった。 9月場所は、2横綱1大関が序盤で休場し優勝のチャンスだったが関脇以上との対戦を残して10日目までに4敗と苦しい状況。12日目に角番を脱出し、翌日には優勝争いの単独トップとなっていて大関復帰を決めている貴景勝に勝利し先輩大関の意地を見せた。この時点で2敗力士が消え、14日目の御嶽海戦で勝利すれば優勝の可能性もあったが破れて優勝争いから脱落。千秋楽は大関同士の対戦を制して10勝5敗と3場所ぶりの二桁勝利を挙げた。 11月場所は初日に遠藤に敗れた際に左足首を痛め、2日目から途中休場となり、2020年1月場所は歴代ワースト単独3位の9回目の角番となった。場所後の27日、12月1日から開始される冬巡業を初日から休場することが相撲協会から発表された。 2020年1月3日に出羽海部屋で行われた出羽海一門の稽古始めでは十両力士3人を相手に立ち合いから受ける稽古を23番、取って汗を流した。既に2019年末から部屋の若い衆に胸を出す稽古は行っており「だいぶ踏ん張りがきくようになった。場所には間に合うと思う」と話した。4日から2019年11月場所初日以来約2ヶ月ぶりに相撲を取り、6日の横綱審議委員会の稽古総見では幕内上位を相手に7勝2敗と復調をアピールした。
※この「初優勝後」の解説は、「豪栄道豪太郎」の解説の一部です。
「初優勝後」を含む「豪栄道豪太郎」の記事については、「豪栄道豪太郎」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から初優勝後を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 初優勝後のページへのリンク