ペイトリオッツ
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ピート・キャロルの後任となった彼はロバート・クラフトオーナーより大幅な権限(ゼネラルマネージャー兼任)を与えられた。彼は2010年シーズン現在、ヘッドコーチ兼ゼネラルマネージャーを務めている3人のうちの1人である(他の2人はフィラデルフィア・イーグルスのアンディ・リード、ワシントン・レッドスキンズのマイク・シャナハン)。 2000年は5勝11敗の負け越しに終わったがこれはベリチックのペイトリオッツでのヘッドコーチとして唯一の負け越しシーズンである。 2001年、チームはレギュラーシーズンを11勝5敗で終え、オークランド・レイダース、ピッツバーグ・スティーラーズを破り第36回スーパーボウルに進出した。彼のディフェンスはシーズン中平均31得点をあげていたセントルイス・ラムズの攻撃を17点に抑えアダム・ビナティエリの決勝FGで優勝を果たした。 2002年、チームは9勝7敗に終わりジェッツと同率だったものの地区優勝を逃しプレーオフに出場できなかった。 2003年、チームはディフェンスのキャプテンを務めていたロイヤー・ミロイを解雇、そのミロイが加入したバッファロー・ビルズとの開幕戦で0-31と敗れた。この数日後チームは、残りの15試合中14勝をあげたチームはバッファロー・ビルズを31-0で破りリベンジを果たした。ディビジョナル・プレーオフでテネシー・タイタンズを破りAFCチャンピオンシップゲームではシーズンMVPに輝いたペイトン・マニング(スティーブ・マクネアと同時受賞)のインディアナポリス・コルツから4インターセプトを奪い第38回スーパーボウルに進出した。カロライナ・パンサーズとの試合はまたもやアダム・ビナティエリの決勝FGで32-29で優勝を果たした。この年彼はNFLコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。 2004年、チームは開幕から6連勝を果たし前年から通すと21連勝(レギュラーシーズンは18連勝)を達成した。これはマイアミ・ドルフィンズが1972年のパーフェクトシーズンを含み達成した18連勝(レギュラーシーズンは16連勝)を破るNFL記録となった。AFCチャンピオンシップゲームでピッツバーグ・スティーラーズを破り、第39回スーパーボウルでフィラデルフィア・イーグルスを破り、チームはNFL史上2チーム目となる4年間で3度のスーパーボウル優勝を達成した。彼はこの偉業を達成した初のヘッドコーチとなった。 2005年、チームはオフェンスコーディネーターが不在、ディフェンスコーディネーターに新しくエリック・マンジーニを迎え入れた。10勝6敗でワイルドカードでプレーオフに進出したがディビジョナルプレーオフでデンバー・ブロンコスに敗れシーズンを終えた。 2006年、チームは12勝4敗で終え、プレーオフでニューヨーク・ジェッツ、サンディエゴ・チャージャーズを破った。インディアナポリス・コルツとのAFCチャンピオンシップゲームでは第2Q半ばに21-3とリードしたがそこから逆転負けを喫した。 2007年、4月にランディ・モスをドラフト4巡目指名権と引き換えにオークランド・レイダースから獲得したが、翌2008年にアル・デービスレイダースオーナーからタンパリング(事前交渉)があったのではないかと指摘に対して彼は否定した。このシーズン、チームは1972年のマイアミ・ドルフィンズ以来となるレギュラーシーズンを16戦全勝(1978年にレギュラーシーズンが16試合制になってからは初のこと。)でNFLの長い歴史上でも1934年、1942年のシカゴ・ベアーズ、1972年のマイアミ・ドルフィンズに続く史上4回目であった。しかし第42回スーパーボウルでチームはニューヨーク・ジャイアンツに敗れてパーフェクトシーズンはならなかった。 この年、9月9日、ペイトリオッツがニューヨーク・ジェッツのディフェンスシグナルを盗撮していたことが明らかになり、9月13日ベリチックは50万ドルの罰金をNFLのロジャー・グッデルコミッショナーより言い渡された。NFLのヘッドコーチとしては史上最高額の罰金であった。またチームも25万ドルの罰金と2008年のドラフト1巡目指名権が剥奪された。こうした出来事があったもののこの年彼はAP通信が選ぶコーチ・オブ・ザ・イヤーに2003年以来2度目の選出を受けた。 2008年、カンザスシティ・チーフスとの開幕戦の第1QでエースQBのトム・ブレイディが負傷しシーズン絶望となり、控えQBのマット・キャセルで残りシーズンを戦った。第2週にも勝利し2006年から続くレギュラーシーズンのNFL連勝記録を21に更新した。ブレイディ以外にもロドニー・ハリソン、アダリアス・トーマス、ローレンス・マロニーなど怪我人が続出し故障者リストに多くの選手が入ったものの11勝5敗の成績を残した。11勝したものの地区優勝を逃したチームは1985年のデンバー・ブロンコス以来11勝しながらプレーオフを逃した2チーム目となった。 2009年1月、オフェンスコーディネーターを務めていたジョシュ・マクダニエルズがデンバー・ブロンコスヘッドコーチに就任した。2月には前年ブレイディの代わりに活躍したマット・キャセルをフランチャイズプレイヤーに指名したが後にマイク・ブレイベルと共にカンザスシティ・チーフスへドラフト2巡目指名権とともにトレードした。 インディアナポリス・コルツ戦では第4Q終盤、自陣でパントではなく第4ダウンギャンブルを選択した結果失敗し采配に対しては元ペイトリオッツに所属したテディ・ブルスキーからも批判の声もあがった。第12週で開幕から10連勝しているニューオーリンズ・セインツと対戦したがロングパスを多数通されて大敗した。12月に吹雪の中行われたチーム練習に遅刻したランディ・モス、エイドリアス・トーマス、ゲイリー・ガイトン、デリック・パージェスの4選手に規律の問題として練習参加を認めずそのまま帰宅を命じている。翌2010年1月10日、ワイルドカードプレーオフでボルチモア・レイブンズに14-33と大敗を喫した。このシーズンを最後にディフェンスコーディネーターのディーン・ビーズはチームを去ることになった。 2010年、契約最終年を迎えたがチームから延長契約の提示がされず不満を持ったランディ・モスをミネソタ・バイキングスへトレードし、第39回スーパーボウルMVPのディオン・ブランチをシアトル・シーホークスから呼び戻した。 2009年から地区優勝を11年連続で達成した。そのうち3度スーパーボウルを制覇している。 2020年シーズンは7勝9敗の地区3位に終わり地区優勝とプレーオフ進出が11年で途切れ、尚且つ21世紀になって初めての負け越し (前回の負け越しはペイトリオッツのヘッドコーチ就任一年目の2000年) を喫した。
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