事前交渉
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1935年1月28日、日本の外務省は哈爾哈廟事件について、満州国政府が興安北警備軍による現地交渉での解決を目指しているとし、また、満州国とモンゴルの国境画定が紛争予防に適切であるとの談話を発表した。この日本の意向に沿い、満州国外交部の指示を受けた興安北警備軍司令官のウルジン・ガルマーエフ少将は、2月1日、モンゴル政府に対し、国境画定会議の開催場所や日時の希望について回答するよう求めた。2月19日には、日本の広田弘毅外相が、南次郎在満全権大使(関東軍司令官兼任)に対し、国境確定のため満州国とモンゴルの直接交渉へ誘導するよう訓令を発した。 一方、満州国の提案を受けたモンゴル政府ゲンドゥン首相は、2月5日、平和的交渉の用意があると回答した。そして、「第三国」であるソ連のウラン・ウデで、ソ連を仲介者として会議を開催することを希望した。満州国側は、ウラン・ウデ開催やソ連のオブザーバー出席に難色を示し、交渉の末にソ連と満州国の国境に位置する満州里が開催場所に決定した。
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