第二次同盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 17:57 UTC 版)
第一次同盟は1902年1月30日から起算して5年間の有効とされた。しかし、締結2年後に日露戦争が開戦し、戦況が日本軍の優勢となったことが英国内で報じられると、英国では同盟拡張などの唱道者も現れた。第一次同盟に調印したランズダウン英国外相は、1905年3月下旬に在英国日本国大使館の林大使を介して、同盟継続について準備協議を希望する旨を日本側に打診した。これを受けた日本側は協議を進め、日本政府が同年5月24日に閣議で裁可した新交渉案を英国に提示し、両国の事前交渉が始まった。 イギリス側は同盟の適応範囲をインドまで拡大することを希望したが、新たな戦争に巻き込まれたくなかった日本は難色を示した。両国間で更なる協議が進められた結果、第一次では適用範囲が東亜(清韓両国)とされていたが、第二次日英同盟では東亜にインドを加えた適用範囲に拡大された。また、大韓帝国については、国際情勢から第一次よりさらに踏み込んだ保護国化(第三條)で両国が妥結し、第一次日英同盟での防守を主軸とした内容が、第二次では攻防へ変更された。 英国側はランズダウン外相、日本側は小村外相がポーツマス条約の事前交渉で渡米していたことから、在英国日本国大使館の林特命全権大使が出席調印し、8月12日にロンドンで第二次日英同盟が締結された。第二次日英同盟では、イギリスのインドにおける特権と、清国に対する両国を含む列国の商業的機会均等を肯定し、さらに締結国が他の国1国以上と交戦した場合は、同盟国はこれを助けて参戦するよう義務付けた攻守同盟に強化された。日本の大韓帝国の保護国化をイギリスが承認する条件で妥協した。また、同盟の有効期限が10年間へと変更延長となった。同条約は、ポーツマス条約後の同年9月27日に両国で公表されている。
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