レッド・パワーによる主な抗議運動とは? わかりやすく解説

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レッド・パワーによる主な抗議運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 19:20 UTC 版)

ネイティブ・アメリカン」の記事における「レッド・パワーによる主な抗議運動」の解説

1964年:「全米インディアン若者会議」による「フィッシュ・イン抗議行動ワシントン州でのインディアン固有の漁業権剥奪法に抗議し同州ヤカマ族の若者シド・ミルズ(Sid Mills)が、州内あちこちでフィッシュ・イン(一斉に釣る)を指導し座り込み行った運動アシニボイン族ハンク・アダムスによって他州にも拡大された。アダムスはこの座り込みの際に警官隊銃撃され重傷負ったが、命を取り留めた1967年スー族による「バックスキン・カーテン社への抗議と、キング牧師の平和行進への参加ローズバッド保留地の、穏健派部族会議議長ボブ・バーネット(Robert Barnett)と、伝統派メディスンマンのヘンリー・クロウドッグ(Henry Crow Dog)、ジョン・レイムディアーら21人の男女写真家リチャード・アードス(Richard Erdoes)の支援受けてニューヨークへ出向き、バックスキン・カーテン社に対し同社が行っている保留地からの野生動物毛皮無許可乱獲行為抗議同時にキング牧師の平和行進参加黒人公民権運動団体交流を行う。 1968年10月12日:「コロンブス・デー抗議サンフランシスコの「ベイエリア・アメリカインディアン問題評議会連合」が、イタリア系アメリカ人連盟主宰コロンブス・デーを祝う祝典での寸劇で、コロンブス役の男性打ち合わせ彼のかつらを剥ぎ取ったもの。イタリア人連盟にはこのブラック・ジョーク通じず、警官隊招集されにらみ合いになった1969年11月9日:「アルカトラズ島占拠事件モホーク族リチャード・オークスRichard Oakes)、サンテ・スー族の著名な詩人ジョン・トルーデルJohn Trudell)らを中心とする「全部インディアン」を名乗る69人のインディアン青年達が、本来インディアン土地であったサンフランシスコ沖のアルカトラズ島上陸土地権利インディアン対す連邦政府による条約確認要求AIMメンバー支援要請受けて参加した。彼らは1868年アルカトラズ島余剰地をインディアン返還するという条約合衆国政府との間で結ばれたのにもかかわらず未だに履行されていない抗議してアルカトラズ島領有宣言しインディアン文化センターにするとして1年半にわたり島を占拠したAIMメンバー以外のインディアン白人からも反響共感を受け、一時600人近くインディアンが島にティピー張るなどして移住した。しかし電気・水道政府止められ人数減っていき、1971年6月11日FBI武装警官一斉上陸強制退去が行われ、島に残っていた15人が逮捕された。リチャード・オークスは、翌年白人人種差別主義者殺害された。 1970年AIMによる「メイフラワー号抗議」 「ピルグリム・ファーザーズ上陸150周年記念の日」に、AIMラッセル・ミーンズらがメイフラワー2世号乗り込んでマストAIMの旗を掲げ、「プリマス・ロック」をトラック一台分の土砂埋めて抗議したもの。 1970年:「オーガスタナ大学占拠サウスダコタ州同大学が、インディアン学生のための援助金不正に横領していることにインディアン学生達が抗議AIM援助依頼受けた1971年:「サンフランシスコ米軍基地占拠朝鮮戦争の際に、米軍強制没収しミサイル通信基地としたインディアン土地放棄されいたものを、インディアンたちが教育施設建設目的返還要求したもの。市教育庁不当裁定覆し、初のインディアン完全自治による短期大学デガナウィダケツァルコアトル大学」がここに創設された。 1971年:「ミルウォーキー沿岸警備隊基地占拠」、「ミネアポリス沿岸警備隊基地占拠」、「ハリウッド映画不当なインディアン像に対す抗議運動1971年8月スー族AIMによる「ラシュモア山占拠8月24日米国政府が「第二次大戦終われば返す」として軍用地として接収したスー族土地200エーカーを、約束反故にして返さず国立公園組み入れようとしていることに抗議し、3人のスー族女性大統領の顔の彫られラシュモア山座り込み抗議したもの。スー族AIMのリー・ブライトマンらがこれに支援参加しスー族土地から不法に米国政府伐採した木材資源総額支払い要求含めブラックヒルズスー族所有確認求めて数ヶ月にわたりこれを占拠した1971年AIMによるアリゾナ州での「独立記念日抗議行動」と「5マイル行進フラッグスタッフ市警察パウワウ開催かこつけて300人ばかりのインディアン達を不当に無差別逮捕し社会奉仕義務として独立記念日祭典の後の清掃をさせていた慣習対しホピ族ナバホ族プエブロ諸族の援護依頼受けたAIM抗議行いチカーノ運動とも共同してこの制度廃止させた。さらに同州アホ市で、白人銃撃されインディアン少年フィリップ・サレホの捜査要求し、5マイル抗議行進行った1972年3月6日AIMによる「イエロー・サンダー殺害事件抗議行進2月にパインリッジ保留地でオグララ族男性イエロー・サンダー面白半分に殺した白人グループ逮捕捜査やり直しインディアン対す法的保護要求し1万6千人インディアン集結ネブラスカ州ゴードン市市庁舎まで、約1千人太鼓を叩き星条旗逆さに掲げ伝統衣装抗議行進行ったゴードン白人達は、「西部劇のようなインディアン達のいでたちにおびえ、恐慌態となった。 1972年4月AIMによる「オジブワ族漁業狩猟確認抗議オジブワ族許可証なしに白人保留地内で狩り釣りをしていることに対す総勢200人による州自然資源局への抗議1972年11月2日AIMによる、サンフランシスコからワシントンDCまでの「破られ条約の旅」と、「BIAビル占拠事件AIMは、10月3日大統領選挙日に合わせてロサンゼルスシアトルサンフランシスコの三地点からワシントンDCに向け、200部族1500からなるインディアンによる自動車キャラバン隊による抗議行進行い11月2日ワシントンDC到着。しかし、アメリカ内務省は彼らの受け入れ拒絶し、宿がなかったため、なりゆき4000人に上るインディアン男女BIABureau of Indian Affairsインディアン管理局本部ビル泊り込み11月7日までの一週間にわたりバリケード占拠警官隊包囲の中、連邦政府対し20項目の要求行った主な項目は、「1869年ララミー条約対す条約不履行連邦政府による確認」、「アラスカインディアン部族から取り上げた400エーカー土地の返還」、「アラスカ以外のインディアン部族総計1億エーカー土地の返還」、「ワシントン議会での発言機会」、「メノミニー族とクラマス族の廃絶法案撤回」、「オクラホマ絶滅認定され部族再建」、「BIA廃止」、「インディアン宗教保護」、「部族への統治権返還」、「1950年代から実施されているインディアン根絶政策撤回」などである。この20項目の要求は、のちにAIM基本綱領となったまた、AIMBIA本部から、多数部族議会BIA癒着汚職証拠書類押収し明るみ出した1972年:UAINEによる「メイフラワー号抗議ユナイテッド・アメリカ・インディアン・オブ・ニューイングランド(UAINE)のメンバーピルグリムファーザーズ感謝祭抗議しメイフラワー2世号Mayflower II)のイギリスの国旗インディアン部族の旗にすり替え事件1973年2月27日AIMメンバーによる「ウンデット・ニー占拠内務省BIAインディアン管理局)の改革保留地実態調査などを要求してAIMメンバーウンデッド・ニー71日間渡って武装占拠FBI州警察、軍、BIAとの戦闘起きインディアン側に二人の死者が出た指導者のひとり、スー族の「OSCRO(オグララ・スー権利組織)」の運動家ペドロ・ビソネット(Pedro Bissonette)は、12月BIAによって射殺された。ラッセル・ミーンズBIA背中から肝臓打ち抜かれ重傷負ったまた、AIMレナード・ペルティエLeonard Peltier)は終身刑となり、無実証明された今も投獄されている。 1974年:カナダインディアンによる「トノラ・パーク占拠カナダ政府対する、カナダインディアンの権利回復抗議行動AIM支援要請を受け、占拠参加1975年1月1日メノミニー族による「元修道院占拠メノミニー戦士団が、部族から没収され土地医療施設代償に、ウィスコンシン州グレシャムの廃修道院明け渡し政府要求。砦となった修道院35日間立てこもり、州は軍を派遣し膠着状態となったAIM参加仲介交渉人として、俳優マーロン・ブランド篭城加わった1978年2月11日:「ロンゲスト・ウォーク」 BIAインディアン管理局)によるインディアン土地開発抗議してサンフランシスコアルカトラズ島からワシントン向けて400人以上のインディアン白人黒人アジア人日本人が4828キロ(3,000マイル)を行進したもの。インディアン達は、ホワイトハウス門前ティピー建てた。ロンゲスト・ウォークは、「涙の旅路」などのインディアン強制移住苦難再現したものであり、デニス・バンクスが、ジム・ソープ業績記念し平和的な抗議行動として発案したもの。ジム・ソープの子供達も参加した以後、現在まで毎年行われている。

※この「レッド・パワーによる主な抗議運動」の解説は、「ネイティブ・アメリカン」の解説の一部です。
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