レッド・パワー以後の抗議運動
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「ネイティブ・アメリカン」の記事における「レッド・パワー以後の抗議運動」の解説
1983年:ブラックヒルズの聖地ベアビュート(Bear Butte)の観光開発に反対するラコタ族の訴訟。 1985年:オーロネ族の「部族の共同墓地破壊に対する抗議」 サンフランシスコのベイエリアにある、「ミッション・インディアン」のムウェクマ・オーロネ族の先祖代々の墓地が破壊され、ショッピング・センターの建設工事が行われたことに対する抗議。オーロネ族は「絶滅部族」であるからこれは「遺跡の発掘」なのであり、「墓暴き」には当たらない、というのが白人側の言い分である。女性首長ローズマリー・キャンブラ(Rosemary Cambra)は怒りのあまり、TVが生中継するなか発掘現場で人類学者ウィリアム・ループをシャベルで殴り傷を負わせて逮捕され、看護士資格を剥奪されて夫と職を失った。1万体のオーロネ族の骨は部族の猛抗議を無視してカリフォルニア大学バークレー校のハースト人類学博物館のインディアン遺骨コレクションに加えられた。遺骨返還を巡っては、現在も係争中である。 1990年7月11日:モホーク族による「オカの衝突」 ケベックのモホーク族が、彼らの土地オカの、1960年代からの白人によるゴルフリゾート開発に抗議し、一帯を78日間、バリケード封鎖したもの。州軍との衝突となり、死傷者を出した。 1992年7月16日:セネカ族による「課税反対抗議」 ニューヨーク州のセネカ族が、彼らが販売している煙草とガソリンに、州政府が条約を反故にして課税を行うと決定し、それまでの「未払い分」5000万ドルを要求したことに抗議し、カッタランガス保留地を通る国道438号線一帯を数日に渡り封鎖。州警察部隊と乱闘になり、双方に多数の負傷者を出したもの。セネカ族は「どうしても課税するなら、我々から奪った土地を返せ」と主張。州は条約違反の課税要求を取り下げた。 2006年:西ショーショーニー族による、「地下核実験に対する国連提訴」 ウィンドリバー・ショーショーニー族と南西部の周辺部族、AIMらは、西ショーショーニー族のネバダの保留地での、国防総省による相次ぐ地下核実験の強行、ユッカ・マウンテンでの高レベル放射性廃棄物貯蔵所の建設、またこれらに伴う放射能被害に対し、ユタ・ネバダ州議会を巻き込んで長年にわたり抗議を行ってきたが、ついにウィンドリバー・ショーショーニー族は特使派遣団をスイスの国連本部に送り、これらの問題をCERD(国連人種差別除去委員会)に提訴した。3月10日、国連はアメリカ政府に対し、西ショーショーニー族に対する逆告訴と圧迫を「ただちに止める」よう通告した。これを受け、米国政府は6月2日に予定していた700トン級の核爆発実験を中止した。 2007年10月5日:「NANC」による、「カリフォルニア大学への遺骨返還提訴」 インディアンに保証された連邦法、「NAGPRA(アメリカ先住民の墓の保護と部族への送還条例)」に基づき、カリフォルニア大学バークレー校ハースト人類学博物館によってさまざまな部族から収奪された、1万3000点以上の遺品と遺骨の返還を求めた、NANC(アメリカ先住民NAGPRA連合)の一斉提訴と大学への抗議デモ。 2007年10月7日:AIMによる「コロンブス・デー・パレードに対する抗議」 コロラド州デンバーが開催する「コロンブス上陸記念日のパレード」へのAIMデンバー支局の抗議行進。ラッセル・ミーンズら83人が逮捕された。 2008年11月25日:西ショーショーニー族による「コルテスヒルズ開発計画に対する差し止め提訴」 ブッシュ政権が認可した、バーリック・ゴールド社による北東ネバダのショーショーニー族保留地内での金鉱他の鉱山開発(2009年1月より予定)に対する、西ショーショーニー族サウスフォーク・バンド、チムビシャ・ショーショーニー族、NGO「グレート・ベイスン資源監視団」による連邦裁判所への永久即時差し止め提訴。開発予定地は同部族の聖地テナボ山にあり、広さ900エーカー、深さ2,000フィートの露天掘りの穴によって聖山は消滅し、15億7700万トンの岩石、5300万トンの残りかす、1億1200万トンの廃棄濾過資材で一帯は埋め尽くされると試算されている。12月1日、連邦裁判所は公聴会までの計画停止と、差し止め要求の却下を行った。
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