オローニ族とは? わかりやすく解説

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オローニ族

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 00:31 UTC 版)

オローニ族[2](Ohlone people [oʊˈloʊniː])は、コスタノ族(コスタノアン[3]、Costanoan)とも呼び、カリフォルニア州沿岸部の中部から北部にかけて住むアメリカ先住民族である。18世紀にスペイン人の探検隊や宣教師が到達したとき、オローニ族はサンフランシスコ湾からモントレー湾にかけて、およびサリナス盆地の低地にかけての地域に住んでいた。当時彼らはペヌーティ大語族のうちウティ語族に属するオローニ諸語のさまざまな言語を話していた[4]。「オローニ」という術語は、「コスタノ族」にかわって1970年代以来、彼らの子孫の集団の一部や大部分の民族学者、歴史学者、通俗文学の作家によって使用されてきた。植民地以前の時代において、オローニ族は50を越える土地所有集団に分かれており、自分たちを他と区別されるひとまとまりの集団とは見なしていなかった。オローニ族はカリフォルニアの典型的な民族学的様式にしたがって、狩猟、漁撈、採集によって生活していた。これらのさまざまな集団の成員は、親睦・婚姻・道具の交易などの必要に応じて、互いに自由に交際し、文化的行事に参加していた。オローニ族はククスを信仰していた。ゴールドラッシュ以前、北カリフォルニアはメキシコ以北でもっとも人口密度の多い地域であったが[5]、1769年から1833年にかけて、スペイン人によるカリフォルニア宣教はオローニ族の文化に影響を及ぼした。オローニ族の人口はこの時期に急激に減少した。


  1. ^ 2010 Census CPH-T-6. American Indian and Alaska Native Tribes in the United States and Puerto Rico: 2010”. www.census.gov. 2015年1月19日閲覧。
  2. ^ 日本語での読みは以下による:マルコム・マーゴリン、マイケル・ハーニー『オローニの日々―サンフランシスコ先住民のくらしと足跡』冨岡多恵子訳、人間家族編集室、2003年。ISBN 4915963268なお、この本の pp.5-6には、オローニの末裔たかちがコスタノアンという名をひどく嫌っている旨が記されている。原書が書かれた1970年代の状況を示すものかも知れない。
  3. ^ 関俊彦の著書では「コスタノアン族」とする。参照:関俊彦『カリフォルニア先住民の文化』六一書房、2014年。ISBN 4864450706
  4. ^ Callaghan 1997
  5. ^ Margolin, Malcolm (1978). The Ohlone Way: Indian Life in the San Francisco-Monterey Bay Area. Berkeley, California: Heyday Books. ISBN 978-0930588014 
  6. ^ Mutsun はムツン語では /mutsun/ だが、英語では /ˈmʌt.sən/ マットサン のように発音されることが多い。ここではムツン語発音によった
  7. ^ 居住領域については Kroeber, 1925:462. 人口と村落数については Levy, 1978:485; Teixeira, 1997:1 にも引く。村落名は Milliken, 1995:231–261, Appendix 1, "Encyclopedia of Tribal Groups". 通婚、殺しあいの争い、部族間交易については Milliken, 1995:23–24. カゴを編む技能や身体の飾りと交易については Teixeira, 1997:2–3; Milliken, 1995:18. 季節の踊りの祭については Milliken, 1995:24.
  8. ^ 収穫のために植物を焼くことについては Brown 1973:3,4,25; Levy 1978:491; Stanger, 1969:94; Bean and Lawton, 1973:11,30,39 (Lewis). 「原始的な農耕の一種」の引用は Brown 1973:4. 海産物、豆、種は Levy 1978:491–492. 小動物を罠で捕えることは Milliken, 1995:18. 食糧の保全と自然資源管理は Teixeira, 1997:2.
  9. ^ 水鳥とウズラ以外の動物については Teixeira, 1997:2. 水鳥とウズラは Levy 1978:291. クレスピの引用は Bean, 1994:15–16. チョチェニョ民話の鴨は Bean, 1994:106 & 119.
  10. ^ クレスピの引用は "sea lion pavement" Teixeira, 1997:2.
  11. ^ イグサの家、レッドウッドの家、スウェット・ロッジについては Teixeira, 1997:2. モントレーのレッドウッドの家は Kroeber, 1925:468. イグサの舟は Kroeber, 1925:468.
  12. ^ 服飾については Teixeira, 1997:2.
  13. ^ Stanger (1968) p.4
  14. ^ Levy (1978) p.486
  15. ^ Milliken (1995) pp.69-70
  16. ^ Milliken (1995) p.97
  17. ^ a b Bean (1994)
  18. ^ Teixeira (1997) pp.3-4
  19. ^ Hinton (2001) p.432
  20. ^ Teixeira, 1997:4, "The Term 'Costanoan/Ohlone'".
  21. ^ Bancroft, Hubert Howe (1875). The native races of the Pacific states of North America. 3. New York: D. Appleton and Company. p. 453. https://archive.org/stream/nativeraces01bancrich#page/452/mode/2up. "Ohlones (called in Spanish Costanos, or Indians of the Coast)" 
  22. ^ Opinions and quotations, Teixeira 1997:4; Milliken, 1995:249.
  23. ^ ムウェクマの使用と定義については Teixeira, 1997:4 を参照。アマ(Ahmah と書いている)の翻訳については Bean (1994) に収める Ann Marie Sayers "The Story of Indian Canyon" を参照。アマの使用については Leventhal and all, 1993 および Amah-Mutsun の Webサイト(2007) を参照
  24. ^ 500 Nations Web Site - Petitions for Federal Recognition; and Costanoans by Four Directions Institute の引用する Sunderland, Larry, Native American Historical Data Base (NAHDB)
  25. ^ Federal Court Case: Breaking News, The Muwekma Ohlone News, (2006-09-21), https://web.archive.org/web/20090509075105/http://www.muwekma.org/news/index.html  (archive.org)
  26. ^ Sue Dremann (2011年12月7日). “Local Native American tribe seeks identity: Muwekma Ohlone lose federal court battle over official recognition of tribe”. PleasantonWeekly.com :. http://www.pleasantonweekly.com/news/show_story.php?id=8259 2012年7月25日閲覧。 
  27. ^ Amah-Mutsun Tribe Website; Leventhal and all, 1993.
  28. ^ Ohlone/Costanoan Esselen Nation Today, http://www.esselennation.com/OCENToday.html 2006年11月30日閲覧。 
  29. ^ Kroeber, 1925:464. クローバーは彼のモデルで各「方言集団」の人口が1000人であったと一般化し、また7つの方言があったという。
  30. ^ a b Levy, 1978:486.
  31. ^ Cook 1976b:42–43. クックの以前の論文では 10,000–11,000人としていた(参照:1976a:183, 236–245)が、のちに少なすぎるとして取り下げた。
  32. ^ 西洋人との接触以前の推計については上記を参照。接触以降の推計については Cook, 1976a:105, 183, 236–245.
  33. ^ Kroeber, 1925:464
  34. ^ Cook 1976b:42-43. 26,000人のうちにサリナス族が含まれることに注意
  35. ^ 「北部ミッション・エリア」の定義については Cook, 1976b:20. 人口密度については Cook, 1976a:187.
  36. ^ 引用については Cook, 1976b:200. 1848年の人口については Cook, 1976a:105.
  37. ^ 会員数について、ムウェクマ・オローニ・トライブのホームページは397人、アマ=ムツン・バンドのホームページでは500人以上、オローニ/コスタノ族=エセレン・ネーションのページでは約500人とする。
  38. ^ ウティ諸語とペヌーティ大語族については Levy, 1978:485–486 (Kroeber を引用), Callaghan 1997, Golla 2007 を参照。ヨク=ウティ語族の分類範疇については: Callaghan 1997, 2001; Golla 2007:76 を参照。


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