ミッション・カーメル
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「カーメル・バイ・ザ・シー」の記事における「ミッション・カーメル」の解説
スペインはすぐにこの一帯を植民地化することはなかったが、1770年、フランシスコ会の宣教師フニペロ・セラらが訪れ、アルタ・カリフォルニアで2番目の伝道所を設置する準備を始めた。 1770年6月3日、開発が盛んになっていたモントレー寄りの位置に伝道所ミッション・サンカルロス・ボロメオ・デ・カルメロ、通称ミッション・カーメルが完成した。 1771年、プレシディオ(スペイン駐屯地)との対立のために、ミッション・カーメルはセラによって現在の位置に移された。モントレーは1849年までカリフォルニアの首都として機能し、オローニ族はスペイン人によってもたらされた伝染病と迫害によって19世紀までに激減することになる。 1784年、ミッション・カーメルで亡き人となったセラの遺体が祭壇の下に埋葬された。ミッション・カーメルはカリフォルニアにおけるセラの布教活動の本拠地となった場所であり、未開の地に数々の伝道所を建てたセラはしばしばFather of Californiaと称される。 1821年、メキシコの独立により、カーメルを含むカリフォルニアはメキシコ領となる。
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