人種的差別撤廃提案
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人種暴動
- 1919年のアメリカでは、差別を受けていた黒人が講和会議での日本の差別撤廃案へ期待していたが、賛成多数であったにもかかわらず、ウィルソンが議長裁定により法案を成立させなかったという自国政府の行動に対し、多くの都市で人種暴動が勃発し、100人以上が死亡、数万人が負傷した[41](赤い夏[41]、シカゴ人種暴動[41]、オマハ人種暴動[41]、エレイン人種暴動)。
脚注
参考文献
- “日本外交文書デジタルアーカイブ 大正8年(1919年) 第3冊上巻 5 巴里講和会議ニ於ケル人種差別撤廃問題一件” (pdf). 外務省. 2012年8月30日閲覧。
- 「国家と人種偏見」 ポール・ゴードン・ローレン著 大蔵雄之助訳 TBSブリタニカ(阪急コミュニケーションズ) 1995/09 ISBN 4484951126
- 「憲政の政治学」 坂野 潤治・小林 正弥・新藤 宗幸 (編集) 東京大学出版会 2006/01 ISBN 4130301381
- 「ピースメイカーズ〈下〉―1919年パリ講和会議の群像」 マーガレット・マクミラン著 稲村美貴子訳芙蓉書房出版 2007/07 ISBN 4829504048
- Margaret MacMillan Peacemakers Six Months That Changed the World: The Paris Peace Conference of 1919 and Its Attempt to End War John Murray Publishers Ltd 2003/3/1 ISBN 0719562376
- Paul Gordon Lauren Power And Prejudice: The Politics and Diplomacy of Racial Discrimination Westview Pr 1988/9/18 ISBN 0813306787
- Naoko Shimazu Japan, Race and Equality: The Racial Equality Proposal of 1919 Routledge 1998/05 ISBN 0415172071
- 船尾章子「大正期日本の国際連盟観 : パリ講和会議における人種平等提案の形成過程が示唆するもの」『国際関係学部紀要』第14巻、中部大学、1995年、21-38頁、NAID 110000466104。
- 永田幸久「第一次世界大戦後における戦後構想と外交展開 : パリ講和会議における人種差別撤廃案を中心として」『中京大学大学院生法学研究論集』第23巻、中京大学、2003年、157-256頁、NAID 110006201180。
- 八丁由比「国際連盟規約と幻の人種平等原則-実現しなかった原因は何か-」『九州工業大学研究報告.人文・社会科学』第59,巻、北海道大学法学部、2011年、13-19頁、NAID 120002925798。
- 篠原初枝『国際連盟 世界平和への夢と挫折』中央公論新社、2010年。ISBN 978-4-12-102055-0。
- 寺崎英成、マリコ・テラサキ・ミラー『昭和天皇独白録』文藝春秋〈文春文庫〉、1995年7月7日。ISBN 978-4167198039。
関連項目
注釈
出典
- ^ 永田幸久 2003, pp. 194.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 201.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 201–202.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 193–194.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 197.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 204.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 204–205.
- ^ a b 永田幸久 2003, pp. 205.
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- ^ 永田幸久 2003, pp. 200.
- ^ 『近代日本の転機 明治大正編』鳥海靖編、吉川弘文館、2007年、254、255頁。
- ^ 永田幸久 2003, pp. 206.
- ^ a b 巴里講和会議ニ於ケル人種差別撤廃問題一件 1919, pp. 510–511.
- ^ 牧野伸顕「回顧録」
- ^ レジナルド カーニー「20世紀の日本人―アメリカ黒人の日本人観 1900‐1945」五月書房1995
- ^ 篠原初枝 2010, pp. 68.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 207.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 207–208.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 208.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 208–209.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 210.
- ^ 『近代日本の転機 明治大正編』鳥海靖編、吉川弘文館、2007年、258頁。
- ^ 永田幸久 2003, pp. 211.
- ^ a b c 巴里講和会議ニ於ケル人種差別撤廃問題一件 1919, pp. 498–499.
- ^ p219 憲政の政治学
- ^ 外務省記録「人種差別撤廃」、『日本外交文書』大正7年第三冊および大正8年第三冊上巻
- ^ a b c 永田幸久 2003, pp. 212.
- ^ p144 国家と人種偏見
- ^ 篠原初枝 2010, pp. 69.
- ^ 巴里講和会議ニ於ケル人種差別撤廃問題一件 1919, pp. 508.
- ^ 鹿島守之助『日本外交史12』鹿島研究所出版会(1971年)187頁の記述でも同様。(八丁由比 2011, pp. 19)
- ^ 永田幸久 2003, pp. 213–214.
- ^ Macmillan, Margaret Paris 1919: Six Months That Changed the World, New York: Random House, 2007 page 317-487
- ^ 篠原初枝 2010, pp. 71.
- ^ 河合敦 (2023-3-16). “真説!日本史傑物伝”. アサヒ芸能: 78-79.
- ^ 寺崎英成 & マリコ・テラサキ・ミラー 1995, pp. 24–25
- ^ 河辺一郎『国連と日本』岩波書店、1994年1月20日。
- ^ 永田幸久 2003, pp. 220.
- ^ p147 国家と人種偏見
- ^ a b c d p151-152 国家と人種偏見
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