上田敏
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主な作品
- 『耶蘇(世界歴史譚)』博文館 明治32年 (1899)
- 『最近海外文学』交友館 明治34年 (1901)
- 『みをつくし』文友館 明治34年 (1901) - 訳文集
- 『最近海外文学』文友館 明治34年 (1901)
- 『文芸論集』春陽堂 明治34年 (1901)
- 『詩聖ダンテ』金港堂 明治34年 (1901)
- 『最近海外文学続編』、交友館 明治35年 (1902)
- 『海潮音』本郷書院 明治38年 (1905) - 訳詩集
- 『文芸講話』金尾文淵堂 明治40年 (1907)
- 『うづまき』大倉書店 明治43年 (1910) - 自伝的小説
- 『小唄』阿蘭陀書房 大正4年 (1915) - 小唄撰注
- 『現代の芸術』実業之日本社 大正5年 (1916)
- 『牧羊神』金尾文淵堂 大正8年 (1919) - 訳詩集
- 『上田敏全集』全8巻補巻1、改造社 昭和3年 (1928) - 昭和6年 (1931)
- 『定本上田敏全集』全10巻、教育出版センター 昭和53年 (1978) - 昭和56年 (1981)
- 復刻版で最終巻が未定稿・書簡・年譜・著作年表などを所収。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所 1903 - 1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所 1915年。
- 石丸久文章著『万有百科大事典 1 文学』小学館 1973年。
- 石丸久文章著『大日本百科事典 2 いこーえいか』小学館 1967年。
- 石丸久文章著『グランド現代百科事典 3 イチノツーウソ』学習研究社 1983年。
- 安田保雄文章著『世界大百科事典 3 ウーエホ』平凡社 1972年。
外部リンク
- ^ “都立霊園の著名人の墓が消えた!?理由を探ったら現代の「墓じまい」事情が見えてきた<ニュースあなた発>”. 東京新聞. (2023年6月25日). オリジナルの2023年6月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第3版』う17 - 18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第4版』う11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月6日閲覧。
- ^ 「初めてユイスマンスを日本に紹介したのは永井荷風か知りたい。」(埼玉県立久喜図書館) - レファレンス協同データベース 2017年2月13日閲覧。
- ^ a b 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)52頁
- ^ 乙骨太郎乙(おつこつ たろうおつ)とは - コトバンク
- ^ 同志社々史々料編纂所 『同志社九十年小史』 学校法人同志社、1965年、351頁
- ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)45頁
- ^ 『津田梅子』橘木俊詔 、平凡社、2022
- ^ a b 「上田友助(友助は友輔とも表記)の号が汪斎だと書かれている資料を知りたい。」(新潟市立中央図書館) - レファレンス協同データベース 2020年09月03日
- ^ a b 『全国版幕末維新人物事典』学研パブリッシング、2010、p319
- ^ 乙骨耐軒とは - コトバンク
- ^ a b c d e (乙骨亘とは - コトバンクより)
- ^ 教育を読むKawaijuku Guideline 2014.9
- ^ 『明治の女子留学生 最初に海を渡った五人の少女』」寺沢龍 平凡社新書、p118
- ^ 『世界紀行文學全集 フランスⅡ』(修道社 1971年)p102
[前の解説]
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