野狐禅とは? わかりやすく解説

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やこ‐ぜん【野×狐禅】

読み方:やこぜん

禅の修行者が、まだ悟りきっていないのに悟ったかのようにうぬぼれること。転じて物事生かじりして、知ったような顔でうぬぼれること。また、その者。生禅(なまぜん)。


野狐禅

読み方:ヤコゼン(yakozen)

人をあざむきだます誤った


やこぜん 【野狐禅】

野狐が人をだますように、悟ってもいないのに、悟ったふりをして人をだましているインチキ禅僧をいう。いかさまの禅。生禅

野狐禅

読み方:やこぜん

  1. 未だ悟りきれないのに悟つた風を粧うこと、野狐のように化かすの意。
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野狐禅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/11 01:23 UTC 版)

野狐禅(やこぜん)とは、禅宗において、禅に似て非なる邪禅のこと。「無門関」第2則の「百丈野狐」に出る語である。野狐(やこ)とは低級な妖狐の1つ。野狐精(やこぜい)、野狐身(やこしん)、また生禅(なまぜん)ともいう。




「野狐禅」の続きの解説一覧

野狐禅

出典:『Wiktionary』 (2021/08/15 10:51 UTC 版)

語源

宋の禅僧である無門慧開(1183-1260)の手によって編まれた『無門関』の「百丈野狐」という公案因む[1]

名詞

やこぜん

仏教

  1. 学んだ者が実際に未熟であるにもかかわらずうぬぼれあたかも悟り得たかの様に思い込み振る舞う事。
  2. 禅を学んで悟り得たかの様思い込みうぬぼれた未熟者

関連語

類義語

参照

脚注

  1. 中村元・他編『岩波 仏教辞典岩波書店1989年、806頁。ISBN 4-00-080072-8



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