落合一家継承後とは? わかりやすく解説

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落合一家継承後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 07:37 UTC 版)

高橋岩太郎」の記事における「落合一家継承後」の解説

昭和26年1951年)秋、辻宣夫、小島玄之松下太郎柏木勇、三田村武夫らは、近代的な反共運動起こすため、有馬頼寧丸山鶴吉吉田茂太田耐造後藤隆之助安倍源基鹿内信隆世話人迎えて、「日本青少年善道協会」を設立したその後法務総裁木村篤太郎が、「日本青少年善道協会による青少年対す反共啓蒙運動では、手遅れだ」と主張した。それにより、全国博徒テキヤ愚連隊結集した20万人の「反共抜刀隊計画持ち上がった博徒側の取りまとめ役として、元大日本国会理事長・梅津勘兵衛要請されたが、梅津勘兵衛断った昭和27年1952年)、高橋岩太郎は、新宿三越裏の喫茶店白十字」で、万年東一から、安藤組安藤昇組長紹介された。安藤昇兄貴分が、小林光也(通称:小光)で、小林光也の兄貴分万年東一だった。高橋岩太郎は、安藤昇に、博打テラ取り方などを教えた同年7月木村篤太郎が、東京都文京区梅津勘兵衛宅を訪れ梅津勘兵衛大日本国粋会の再建要請した梅津勘兵衛は「刑法改正し賭博事犯は非現行なら検挙させないようにする」という条件で、木村篤太郎要請了承した梅津勘兵衛は、生井一家篠原縫殿之輔、住吉一家倉持直吉、田甫一家金井米吉生井一家鈴木米太郎生井一家百瀬梅太郎らに協力依頼し了解得た篠原縫殿之輔の代理人が、森田政治だった。森田政治は、高橋岩太郎にも協力依頼した高橋岩太郎快諾した同年12月16日東京上野の「精養軒」で、第1回大日本国粋会再建委員会開かれ、「共産党武装蜂起した場合には、博徒部隊テキヤ部隊協力して武力鎮圧する」との誓約なされた。この会合経費の殆どを、森田政治負担したその後吉田茂首相が、「反共抜刀隊構想」に反対し、「反共抜刀隊構想」は頓挫したまた、梅津勘兵衛死去にともない大日本国粋会再建計画中断した森田政治は、高橋岩太郎連れて大野伴睦小西寅松らに会った森田政治は、小西寅松国粋会会長就任を、大野伴睦国粋会参与就任依頼した小西寅松国粋会会長就任承諾したが、大野伴睦返事保留した昭和28年1953年)、安藤組は、高橋岩太郎舎弟武田一郎率いテキヤ武田組と小競り合い繰り返していた。白昼路上で、両組の若衆同士乱闘起こし互いに相手方事務所殴り込みをかけた。武田組は、安藤組地下事務所ガソリンをまき、火を付けようとした同年安藤昇は、東興業事務所を、渋谷区上通り4丁目のビル3階移した事務所10坪。社長室は8坪で、緑色絨緞敷き詰めていた。社長室窓際には、丸い鳥かご置かれ紅いカナリヤ飼われていた。このころから、安藤昇賭博開帳し始めた毎週金曜日にはポーカー賭博行った昭和32年1957年)、武田組員安藤組組員揉めた。翌日午前6時ごろ、安藤昇は、2丁の拳銃所持し安藤組専務志賀日出とともに新宿尾津喜之助自宅赴いた安藤昇は、武田組との抗争の件で、武田一郎組長親分筋は、関東尾津組尾津喜之助組長認識しており、直接尾津喜之助のもとに掛け合いに来たことを告げた尾津喜之助は、安藤昇武田組に対す要求認めた同日高橋岩太郎小林光也は安藤昇行動立腹した翌日高橋岩太郎小林光也は、尾津喜之助宅を訪れて尾津喜之助安藤昇行動謝罪した尾津喜之助は、安藤昇要求認めていた。高橋岩太郎は、尾津喜之助に、安藤組武田組に手打ちをさせることを提案した尾津喜之助は、高橋岩太郎提案賛成したその後安藤組武田組は、池袋料理屋で、高橋岩太郎仲裁人尾津喜之助兄弟分極東関口初代関口愛治を見届人として手打ち行った昭和33年1958年6月11日午後7時10分、横井英樹襲撃事件勃発した事件発生直前まで、高橋岩太郎は、安藤組赤坂支部で、安藤組赤坂支部長志賀日出也や安藤組赤坂支部千葉一弘(後の住吉会住吉一家石井相談役)らとマージャン行っていた。 詳細は「横井英樹襲撃事件」を参照 同年7月3日、「日本国粋会」が結成された。同日品川プリンスホテルで、生井一家幸平一家、田甫一家小金井一家佃政一家落合一家信州斉藤一家、金町一家伊勢紙谷一家、義人党や佐郷屋嘉昭松本良勝、辻宣夫、防衛庁政務次官400余名出席し、「日本国粋会創立記念式典が行われた。 同年12月24日静岡県三島市で、鶴政会(後の稲川会)の若衆テキヤ極東連合会(後の極東会及び極東桜井総家連合会)系の若衆揉めた。互いに殴り込み応酬があり、鶴政会極東連合会死者重傷者が出た森田政治は、高橋岩太郎前川一家荻島五郎総長相談して仲裁動いた極東連合会関口愛治会長森田政治に話を任せたが、鶴政会稲川角二(後の稲川聖城会長納得しなかった。高橋岩太郎荻島五郎も、森田政治助けて稲川角二説得した昭和35年1960年同年6月10日、ハガチー・アメリカ大統領新聞秘書は、羽田空港出口で、デモ隊取り囲まれた。ハガチーは、アメリカ海兵隊ヘリコプターで、羽田空港出た同月岸信介首相は、警察警備不足を補うため、自民党幹事長川島正次郎通して児玉誉士夫に、右翼団体暴力団宗教団体取りまとめ依頼した児玉誉士夫は、警視庁打ち合わせた結果稲川組(後の稲川会5000人、松葉会2500人、飯島連合会3000人、国粋会1500人、義人300人、神農愛国同志会10000人を、「警官補助警備力」として、東京御成門周辺配置することを決めた昭和36年1961年2月17日東京築地明石町料亭「治作」で、関口愛治と稲川角二の手打ちが行われた。仲裁人には森田政治がなり、介添人には高橋岩太郎荻島五郎がなった昭和37年1962年)夏ごろから、右翼児玉誉士夫は、「一朝有事備えて全国博徒親睦大同団結のもとに、反共防波堤となる強固な組織作る」という「東亜同友会」の構想掲げ錦政会(後の稲川会)・稲川角二(後の稲川聖城会長北星会・岡村吾一会長東声会町井久之会長らに根回し始め同意取り付けた昭和38年1963年2月11日京都市都ホテルに、稲川角二岡村吾一町井久之三代目山口組田岡一雄組長らが集まり児玉誉士夫構想披露された。関東組長稲川角二が、関西・中国・四国組長田岡一雄が、九州組長児玉誉士夫まとめて意思統一図った同年3月グランドパレス事件勃発した結果的に児玉誉士夫推し進めていた東亜同友会構想頓挫した詳細は「グランドパレス事件」を参照 同年3月警察庁は、神戸・山口組神戸本多会大阪柳川組熱海錦政会東京松葉会の5団体広域暴力団指定し25都道府県実態把握命じた同年8月安藤組幹部西原健吾花形敬舎弟)の若衆田中が、渋谷区宇田川町で、岡村文化部会長岡村吾一組員揉めた。これを切っ掛けに、花形敬刺殺事件発生した詳細は「花形敬刺殺事件」を参照 同年12月21日日本国粋会は、錦政会住吉会松葉会義人党、東声会北星とともに児玉誉士夫の提唱する関東会参加した同日関東会結成披露が、熱海の「つるやホテル」で行われた松葉会藤田卯一郎会長が、関東会初代理事長就任した児玉誉士夫児玉誉士夫らが昭和36年1961年)に結成した青年思想研究会(略称は青思会)常任諮問委員平井義一元衆議院議員、青思会諮問委員白井為雄、青思会常任実行委員中村武彦、青思会常任実行委員奥戸足百、松葉会顧問関根賢三代目波木一家・波木量次郎総長関東会結成披露出席した同年12月下旬関東会は、関東会加盟7団体の名で、「自民党即時派閥抗争中止せよ」と題する警告文を、自民党衆参両議院200名に出した自民党衆議院議員池田正之輔は、この警告文を、激しく非難した警告文は、自民党治安対策特別委員会で、議題取り上げられた。これは、暴力団連帯して政治介入してきた、初めての事件だった。河野一郎派を除く衆議院議員参議院議員は「関東会からの警告文は、児玉誉士夫親し河野一郎擁護するものだ」と判断し検察警察当局関東会壊滅指示した昭和39年1964年1月、「暴力取締対策要綱」が作られた。 同年2月警視庁は「組織暴力犯罪取締本部」を設置し暴力団全国一斉取締り第一次頂上作戦)を開始した詳細は「第一次頂上作戦」を参照 昭和40年1965年5月田岡一雄東京倒れ渋谷区セントラル病院入院した高橋岩太郎は、森田政治の妻とともに田岡一雄見舞った同年12月日本国粋会解散した昭和55年1980年1月高橋岩太郎は、賭博開帳図利罪懲役1年6ヶ月の刑を受け、府中刑務所服役した高橋岩太郎狭心症病舎移った高橋岩太郎は、収監中に陽明学知り陽明学没頭した昭和56年1981年1月高橋岩太郎府中刑務所出所した住吉連合(後の住吉会常任相談役日野一家川口喨史ら1000人近い人が出迎えた刑務所側は、出迎えの者を府中競馬場近く移動させ、刑務官高橋岩太郎背負って府中競馬場まで運んだ昭和62年1987年)、森田政治死去した享年74同年9月3日東京・泉明寺で、森田政治本葬執り行われた。高橋岩太郎が、葬儀委員長務めた平成14年2002年)、高橋岩太郎死去した

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