比嘉家とは? わかりやすく解説

比嘉家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 00:31 UTC 版)

ちむどんどん」の記事における「比嘉家」の解説

沖縄島北部,名護からバス30分程の地である山原やんばるそん)に住むサトウキビ農家比嘉暢子(ひが のぶこ) 演 - 黒島結菜幼少期稲垣来泉主人公。 四兄妹次女日々味わう料理メモ記録する程に食べることが好き。ちむどんどん」が口癖お転婆性格で、駆け足では男子にも負けないシークヮーサー食べることで集中力上昇する山原高校3年生時の就職活動中に女であることを理由見下されることに悔しさ憤り感じるようになる早苗に乞われて地元高校料理部対抗料理コンテスト北部産業まつり・ヤング大会」に助っ人出場し同校勝利に導く。その際料理楽しみに目覚め東京西洋料理料理人になる夢を見つける。1972年5月15日沖縄返還当日上京し、偶然出会った三郎紹介銀座イタリアンレストランアッラ・フォンターナ」の採用テスト合格鶴見沖縄料理居酒屋「あまゆ」の2階下宿し同店を手伝いながら西洋料理修行始める。 比嘉賢三(ひが けんぞう) 演 - 大森南朋 優子の夫。賢秀、良子、暢子、歌子の父。晴海祖父戦時中中国転々とし、終戦直後は、横浜鶴見闇市食堂を営む親戚世話になっていた。 手先が器用で、三線さんしん)や沖縄そばなどを自ら作り若い頃那覇大工見習いをした経験から自宅建設した音楽好きで、頻繁に三線弾き語りをし、歌子三線沖縄民謡教える。また料理を作るのも得意であり、暢子と作ることが多く、彼女の人生に大きな影響与える。 1964年農作業中に心臓発作起こして倒れ急逝する。 比嘉優子(ひが ゆうこ) 演 - 仲間由紀恵 賢三の妻。賢秀、良子、暢子、歌子の母。晴海祖母周囲が心配する程にお人好し心優しい性格長男の賢秀に対して殊更に甘く、彼が中学生時には学用品買え程に家計逼迫しているにも関わらず懇願負けて「マグネット・オーロラ・スーパー・バンド一番星」というヘアバンド買ったり、彼が成人後からは、過ち犯した彼を戒めるともせず度重なる無心に対して親戚から金を集めてでも応じている。実家那覇食堂営んでいたが、十・十空襲遭い両親亡くし、心に深い傷を残している。1964年時に賢三を亡くした直後土木工事現場で働くが、1971年時点では共同売店働いている。 比嘉賢秀(ひが けんしゅう) 演 - 竜星涼幼少期浅川大治) 暢子の兄。四兄妹長男第一子)。 一家長男としてのプライドは高いが調子者勉強が苦手で、大人になってからも言葉遣い漢字を度々間違えている。地道に働き稼ぐ事よりも一攫千金好み何かと家事仕事サボっているが、中学生時は比嘉家で家畜として飼っている二頭の豚、アベベとアババの世話積極的に取り組む中学生時に優子にねだり「宇宙磁石の力でどんどん頭がよくなるとされる「マグネット・オーロラ・スーパー・バンド一番星」というヘアバンド買ってもらい、大人になっても効力信じて愛用し続ける。 高校進学する喧嘩ボクシング明け暮れ中退1971年時点では、素行悪さから数度渡り警察世話になっており(この事で暢子の就職活動大きな影響出た)、仕事長続きせず定職に就かない日々を送る。 1971年秋、我那覇から沖縄ドル高額日本円両替する儲け話持ちかけられ優子工面してもらった960ドル彼に投資する。後に詐欺判明しショック酩酊しながらハンバーガーショップ店内暴れた後、この事で暢子の東京行きの夢を壊した責任感じ「金は部にして返すと書き置きを残して姿を消すその後上京してプロボクサーとなり1972年2月デビュー戦勝利ファイトマネーとして得たとされる60万円前田を介して比嘉家に仕送りするが、実際相手体調不良による運だけで勝利したのだった実家仕送りした60万円ジム会長からの前借金で、ジム仲間達からも借金していた。第2戦では1回途中でリングから逃走そのまま失踪したが、同年5月鶴見に居を構えた暢子の前に現れる。しかし翌日には暢子の所持金持ち逃げ競馬大敗後に山原帰省銀蔵に、良子付き纏う男性存在話し手切金自身立て替える話を持ち掛けるが、比嘉家と喜納家の顔合わせ最中石川乱入し破談になった混乱紛れて再び逃亡する同年11月時点では千葉県猪野養豚場流れ着くが、そこでも経営者寛大から金を前借りし返さぬまま1974年姿を消すその後東京我那覇再会し彼に誘われ健康飲料紅茶豆腐」の販売始め15万円コマーシャル資金求められ優子にせがみ用意するが、再び持ち逃げされる。同じ頃に偶然再会した暢子にテビチ出され気を取り直した翌日、再び猪野養豚場戻り働き出す。 比嘉良子(ひが りょうこ)→石川良子 (いしかわ りょうこ) 演 - 川口春奈幼少期土屋希乃) 暢子の姉。四兄妹長女第二子)。生真面目自立心が高いしっかり者勉強が得意で、中学生時代には将来教師になることを夢見る幼い頃から兄・賢秀の狡さ見逃せ指摘して口論となっている。高校生時代には容姿美しさから周囲から「マドンナ」と呼ばれた短大卒業後の1971年念願小学校の教師になり、母校山原小中学校勤務して比嘉家の家計支える。博夫に思いを寄せ一時借金苦の家のため金吾との結婚を選ぶが、最終的に1972年11月、博夫と結婚する1973年10月長女晴海出産する1974年時には男尊女卑石川家家風や、良子を庇おうとしない博夫に不満を爆発させ晴海連れて実家身を寄せるが、程なく反省した博夫が迎え来て自宅に戻る。 比嘉歌子ひが うたこ) 演 - 上白石萌歌幼少期布施愛織) 暢子の妹。四兄妹三女幼少の頃から身体弱く頻繁に熱を出して床に臥す引っ込み思案な性格だが、音楽好きで、賢三から三線沖縄民謡を教わる。病臥しがちで家の事は何も出来ないことに引け目感じながら育つ。智に想い寄せている。 暢子と同じ山原高校進学し、そこで執拗に付き纏う音楽教師下地悩まされるが、彼女が石垣島学校異動する前に、どんな状況下や場所に置かれても歌うことをやめてはいけないとエール送られる1973年10月には夢を実現させた良子や暢子に憧れ歌手挑戦しオーディション受験一次審査合格するが、二時審査歌唱途中高熱倒れ失格する。1974年高校卒業後に地元運送会社事務員就職し初任給自宅電話を引く。 比嘉賢吉(ひが けんきち) 演 - 石丸謙二郎子たち大叔父サトウキビ農家。 賢三に金を貸付け、更に彼が銀行借金した際に保証人になっている。その為、賢三が合計500ドル借金残し急逝した直後から、特に銀行から自分達に返済迫られる事を恐れて優子対し督促するうになる1971年時に賢秀が儲け話投資する際にも優子頼まれ金を貸す。その儲け話詐欺判明し比嘉家に怒り返済求め東京働いて返す訴える暢子に対して女の癖に見下し猛反対する。後に優子懸命な説得と賢秀が60万円仕送りをしたことで借金完済され、暢子の上京を認める。しかし、その60万円も後に借金判明し銀行融資返済しようとする優子から保証人依頼され激怒良子玉の輿になり借金問題解決する提案をしていたこともあり、金吾申し出た良子との縁談強く勧める比嘉和恵(ひが かずえ) 演 - 土屋美穂子 賢吉の妻で暢子たち大叔母

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