歴史的な評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 04:41 UTC 版)
南北戦争とレコンストラクションの後で、歴史的な出来事の記憶と意味を作り上げることに新たな戦いが起こった。レコンストラクションとそれに参加した急進派共和党に関する研究を行った初期歴史家は、ウィリアム・アーチボルド・ダニングとジョン・W・バージェスが率いたダニング学派のメンバーだった。ダニング学派は、20世紀初期のコロンビア大学を本拠にし、国民的な和解とアメリカ連合国に対する不合理な憎しみという犠牲において、急進派は権力への欲望に突き動かされていたと考えた。ダニング学派の歴史家達に拠れば、急進派共和党は、エイブラハム・リンカーンやアンドリュー・ジョンソンが南部を再統合させたことで得た得失を反転させ、北部のカーペットバッガーと、元アメリカ連合国州の南部スキャラワグからなる腐敗の影をもった政府を作り上げ、その支持基盤を高めるために、解放奴隷に準備ができておらず使い道の分からない政治権を押し付けたとしていた。ダニング学派にとって、急進派共和党がレコンストラクションを暗黒の時代にし、南部の白人が立ち上がって、北部、共和党、黒人の影響が無い「自治ルール」を作ったときにやっと終わったというものである。解放奴隷を評価したW・E・B・デュボイスのような幾らかの歴史家の努力にも拘わらず、レコンストラクションに関するダニング学派の否定的見解とアフリカ系アメリカ人の選挙権に対する反対は、その後長い間の歴史観に影響を与えた。1930年代、左翼歴史家が階級闘争を強調する経済観でこの時代を再評価しようとした。彼らも急進派には敵対的であり、南部に北部の資本主義を押し付けることで、南部を支配しようとした経済的楽観主義者だと位置づけた。 南部で公共教育体系、慈善制度など社会インフラを創設した急進派共和党の役割は、ダニング学派の歴史家たちに評価されていない。1950年代から、公民権運動や「ブラックパワー」運動の道徳的側面の衝撃によって、歴史家達はレコンストラクション時代の急進派共和党の役割を再評価するようになった。その評価は改善された。これら歴史家達は19世紀の奴隷制度廃止運動家の価値を再評価し称賛したので、新奴隷制度廃止運動家と呼ばれることもある。彼らは急進派共和党が奴隷解放に続いてアフリカ系アメリカ人の公民権と参政権付与を推進したことが、その後に起こった財政的腐敗よりも重要だと論じた。彼らはまた、アフリカ系アメリカ人が教育を受けることに向けた中心的かつ積極的役割(個人的にも公共教育を作ることによっても)と、自立する手段として土地を得たいという願望があったことを指摘した。 歴史家達は、共和党の大半、それが極端な奴隷制度廃止運動家であっても、1868年以後は解放奴隷の運命に関わる関心を何故無くしたのか、長い間疑問に思ってきた。ヒーサー・リチャードソンは、北部の急進派共和党は、1870年のパリ・コミューンに倣って、あるいは1870年代に多発したアメリカの暴力的ストライキのように、黒人が急進的労働者になるかもしれないので、経済に対して危険な者になる可能性があると見るようになったと論じている(2004年)。一方で、北部人には白人の南部が報復に動くとか、アメリカ連合国の再生を目指すつもりが無いことが明らかになってきた。このように考えた共和党員の大半はグラントの対抗者となり、1872年にはリベラル派共和党の陣営に参加した。
※この「歴史的な評価」の解説は、「急進派共和党」の解説の一部です。
「歴史的な評価」を含む「急進派共和党」の記事については、「急進派共和党」の概要を参照ください。
歴史的な評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 01:52 UTC 版)
「エイブラハム・リンカーン」の記事における「歴史的な評価」の解説
学者達による歴代アメリカ合衆国大統領の評価では、リンカーンはトップ3に入っており、1位となることが多い。2004年の調査では歴史学と政治学の学者がリンカーンを1位に推し、法学の学者はワシントンに次いで2位とした。 リンカーンが暗殺されたことで、国家の殉教者となり、神話の一部という認識を与えられた。奴隷制度廃止論者からは人の自由を推進した者と見られた。共和党員はリンカーンの名前をその党に結びつけた。南部ではリンカーンを傑出した能力の人物として見なす者が多いが、すべてではない。 歴史家のバリー・シュワーツは、「リンカーンの評価が19世紀後半から進歩主義の時代(1900年-1920年代)までに緩りと大きくなっていき、アメリカ史の中で最も尊敬される英雄の一人となった。これは南部白人も同意している。その頂点は1922年であり、ワシントンD.C.のモールにリンカーン記念館が除幕されたときである」と主張している。ニューディール政策の時代に、リベラル派はリンカーンがそれほどたたき上げの者でもなく偉大な戦争を指導した大統領でもないが、疑いもなく福祉国家を支えたであろう普通の人を提唱した者として評価した。冷戦時代、リンカーンのイメージは共産主義体制に抑圧される人々にとって希望をもたらす自由の象徴を強調する方向に移っていった。 近年のリンカーン研究では、その激しいナショナリズム、事業に対する支持、自由のない状態(奴隷制)の拡大を止めることに固執したこと、ジョン・ロックやエドマンド・バークの哲学に従って行動したこと、および建国の父達の原則に献身したことにより、政治的保守主義の英雄になってきた。ホイッグ党の行動家として、リンカーンは事業家の利益の代弁者であり、高関税、銀行、内国改良、および鉄道を支持し、農本民主主義に反対した。ウィリアム・C・ハリスはリンカーンの「建国の父たち、憲法、その下の法、および共和国とその制度の維持に対する敬意が保守主義を補強し、強化した」と見ている。ジェイムズ・G・ランドールは「秩序ある進展を好んだこと、危険な扇動を嫌悪したこと、および改革のこなれていない計画に対して躊躇したこと」に寛容と特に中庸さを強調している。ランドールは「彼は南部の人身虐待、奴隷所有者に対する憎しみ、報復の渇望、党派的な策略、および南部の制度が外部の者によって一夜にして変換される狭量な要求の中にあるいわゆる「急進主義」のようなものを完全に避けようとしたことで保守的である」と結論付けている。 1960年代後半までにリベラル派は特にリンカーンの人種問題に関する見解について違った見方をするようになった。黒人歴史家のレローヌ・ベネットは、1968年にリンカーンを白人至上主義者と呼んだときに広く注目を集めた。批評家はリンカーンが民族的な中傷を用い、黒人を冷笑するジョークを話し、社会的平等に反対すると主張し、解放奴隷を別の国に送ることを提案したことに苦情を言っている。リンカーンの擁護派は、彼が大半の政治家ほど悪くはなく、政治的に可能な限り奴隷制廃止論の側で巧みに進展させた「道徳的先見家」だったと弁護している。論点は奴隷解放者としてのリンカーンから離れて、黒人が自ら奴隷制を離れた、あるいは少なくとも政府に解放への圧力をかけたものであるという議論に移ってきた。歴史家のバリー・シュワーツは、2009年にリンカーンのイメージは「20世紀において、風化し、権威が衰え、無害な冷笑の対象」になっていると記した。一方でデイビッド・ドナルドはその1996年に表した伝記で、リンカーンはジョン・キーツが定義する消極的受容力のある性格を明らかに与えられ、不確実性と疑念の中で満足し、事実や理由付けの方向に向けられなかった」特別な指導者とされていると記述している。
※この「歴史的な評価」の解説は、「エイブラハム・リンカーン」の解説の一部です。
「歴史的な評価」を含む「エイブラハム・リンカーン」の記事については、「エイブラハム・リンカーン」の概要を参照ください。
- 歴史的な評価のページへのリンク