歴史的な進展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 09:07 UTC 版)
アメリカ合衆国では第一次世界大戦で宗教的兵役拒否という言葉も生まれた。これらの背景には、教理上、戦争を否定するブレズレン(同胞派)、メノナイト、クエーカー(友会、フレンド派)など「平和教会」と呼ばれる教派の存在がある。キリスト教の中では少数派の「平和教会」は、非暴力と非戦主義に関して社会に大きな貢献をした。第二次世界大戦中、全米で1万2千人が兵役を拒否し、兵役の代替業務である市民公共サービス (CPS) に従事した。そして「平和教会」を中心に、拒否者を支える全国支援会議が組織され、経費や業務の面で政府と協力して CPS の制度が実施されていた。 良心的兵役拒否の現代における思想は、「すべての者は神の御前で個々の行動に対して責任を負う」というプロテスタントのキリスト教信仰に起源を有している。それゆえに最初の拒否法の規定が、1900年にキリスト教のプロテスタント教国のノルウェーで紹介されたことは驚くべきことではない(デンマークとスウェーデンが1917年と1921年に後に続いた)。続く20数年の間に、ヨーロッパの他のプロテスタント教国も徐々に信者が良心的兵役拒否をする権利を認めるようになった。カトリック教国では個人の罪や国家に対する忠誠に関わる、異なる見解ゆえに、50年を経て1963年にフランスやルクセンブルクで始まった。 冷戦下の欧州で、西側諸国での良心的兵役拒否者の立場は認められたが、多くの東側諸国は良心的兵役拒否を認めなかった(東ドイツやソビエト連邦では制度上は良心的兵役拒否が認められていたが、良心的兵役拒否者は就職や進学などで差別を受けた)。冷戦終結後には、多くの東欧諸国が良心的兵役拒否を認めるようになった。 特殊なケースとして挙げられるのが正教会の伝統を持つギリシャである。ギリシャには伝統的に道徳的義務として国家に対する国民の不滅の忠誠と「正当防衛」がある。ギリシャは良心的兵役拒否と代替労役に関する法を有するヨーロッパの数少ない国の一つである。最近のヨーロッパで良心的兵役拒否の権利を認めたのは2003年のセルビア・モンテネグロが挙げられる。 第二次世界大戦中、良心的兵役拒否は、とりわけナチス・ドイツ占領下のヨーロッパにおいて反戦とレジスタンス運動の危険な形態の一つであった。日本においても、日露戦争時の牧師・矢部喜好を嚆矢として、その後、灯台社(エホバの証人)の明石順三が信者である長男の真人や伝道者の村本一生の兵役拒否に関連して特別高等警察に逮捕・収監され治安維持法違反で懲役10年の刑を受けた。1943年にはエスペランチストでキリスト教徒の石賀修が良心的兵役拒否を申し出た。病身だった石賀は丙種合格(現役兵としては不適格)となり、1941年より兵籍にあり、年一度の点呼に出頭する義務があったが、1943年に拒否し逮捕された。その留置中に兵役拒否を撤回したため、罰金50円の刑で釈放された。この石賀の兵役拒否に関わったとして高良とみが憲兵の取り調べを受けたが、石賀自身は憲兵隊の扱いは比較的穏やかで、迫害のようなことはなかったという。
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