延命院事件とは? わかりやすく解説

延命院 (荒川区)

(延命院事件 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 04:52 UTC 版)

延命院

延命院
所在地 東京都荒川区西日暮里三丁目10番1号
位置 北緯35度43分41.4秒 東経139度46分4.2秒 / 北緯35.728167度 東経139.767833度 / 35.728167; 139.767833座標: 北緯35度43分41.4秒 東経139度46分4.2秒 / 北緯35.728167度 東経139.767833度 / 35.728167; 139.767833
山号 宝珠山[1]
宗旨 日蓮宗
本尊 大曼荼羅
開山 日長[1]
開基 三沢局[1]
法人番号 7011505000287
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延命院(えんめいいん)は、東京都荒川区にある日蓮宗の寺院。山号は寶珠山。本尊は大曼荼羅。旧本山は大本山妙顕寺[1]。莚師法縁。文化財として東京都指定天然記念物の「延命院の大椎」がある。また八百屋お七ゆかりの寺として知られる。

歴史

山梨県身延の七面山に百日参籠し、霊夢をこうむり、祈祷法と七面大明神の鱗を授けられた日長が、徳川幕府三代将軍家光から安産の祈祷を命じられ、翌年家綱が誕生したことを受けて建立が許可され、慶安元年(1648年)、江戸幕府旗本小堀政貞の生母で江戸幕府4代将軍徳川家綱乳母三沢局が開基となり、現在の地に開創された。社殿等は残らず大奥から寄進を受けたとされる。慶安4年の家綱の将軍就任後、徳川家の永代祈願所となり、庇護された。

この寺にある七面大明神(七面天女)は、慶安3年(1650年身延山久遠寺から勧請されたもので、延命院は谷中七面大明神社(七面社)を管理する別当寺となった。

文化財

延命院の大椎
  • 延命院の大椎 - 樹齢600年以上(東京都指定天然記念物)
  • 木造七面明神立像(荒川区登録)
  • 板本着色平経正竹生島詣図絵馬(荒川区登録)
  • 延命院文書三十一点(荒川区登録)

延命院事件

延命院では江戸時代の享和年間に「延命院事件」と呼ばれる江戸中を騒がせる大事件が起こった[2][3][4][5][6][7][8]

この事件は延命院住職であった日潤の女犯事件であり、相手に大奥女中が含まれていたため、大奥を巻き込んだスキャンダルとなり、江戸を揺るがせることとなった。日潤は初代尾上菊五郎の子供であったと書かれている本もあり、大変男前であり、話も上手だったと言われている。そのため、女性の信者に大変人気があり、大勢の女性信者が延命院に参詣するようになった。

こうした情報を得た寺社奉行脇坂安董は、取締りを決意するが、大奥も関係していることから安易に動くわけにはいかず、家臣の娘を密偵として延命院に送り込み確かな証拠をつかんでから摘発をした。享和3年(1803)7月29日に日潤は斬罪となり、関係のあった婦女子などもそれぞれ処罰された[2][6][7]

延命院事件は『観延政命談』として脚色されて小説化されたのち、河竹黙阿弥によって歌舞伎として『日月星享和政談』と題し、明治11年東京・新富座で5代目尾上菊五郎の主演で初演された。日潤は歌舞伎では日当となっているため通称「延命院日当」と呼ばれる[8]

延命院事件に先立つ寛政8年(1796年)8月には吉原遊郭の周囲に検問所を設け、朝帰りの僧侶69人(17歳から60歳)を一斉逮捕し、三日晒の上に寺持ちは遠島、所化は寺から追放という厳しい処分となった[4][5]

関連資料

脚注

  1. ^ a b c d 新編武蔵風土記稿 新堀村.
  2. ^ a b 延命院事件 えんめいいんじけん”. 延命院事件とは - コトバンク. 2021年10月26日閲覧。
  3. ^ 大奥や大名の女中59人と情交した僧侶・延命院事件の顛末(2023年1月23日)|BIGLOBEニュース”. BIGLOBEニュース. 2023年10月8日閲覧。
  4. ^ a b 第174回 江戸を騒がせた延命院事件 - シニアSNS『Slownet』”. slownet.ne.jp (2015年7月27日). 2023年10月8日閲覧。
  5. ^ a b 小野 武雄 編『江戸時代刑罰風俗細見』展望社、1976年。ASIN B000J9JSAK 
  6. ^ a b 寺社奉行(じしゃぶぎょう)/ 時代劇用語指南(2008年5月29日)”. 山本博文 (解説) / 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス. 2021年10月26日閲覧。
  7. ^ a b 大田南畝『一話一言 三十八巻』
  8. ^ a b 小学館日本大百科全書 延命院事件』

関連項目

外部リンク


延命院事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:40 UTC 版)

延命院 (荒川区)」の記事における「延命院事件」の解説

延命院では、江戸時代享和年間に、「延命院事件」と呼ばれる江戸中を騒がせる大事件起こった。この事件は、延命院住職日潤女犯(にょぼん)事件であるが、相手大奥女中含まれていたため、大奥巻き込んだスキャンダルとなり、江戸揺るがせることとなった日潤は、初代尾上菊五郎の子であったと書かれている本もあり、大変男前であり、話も上手だったと言われている。そのため、女性信者に大変人気があり、大勢女性信者延命院参詣するようになったこうした情報得た寺社奉行脇坂安董は、取締り決意するが、大奥関係していることから安易に動くわけにはいかず、家臣の娘を密偵として延命院送り込み確かな証拠つかんでから摘発をした。享和3年(1803)7月29日日潤斬罪となり、関係のあった婦女子などもそれぞれ処罰された。 後日、この事件は『観延政命談』として脚色され小説化されたのち、河竹黙阿弥によって歌舞伎として『日月星享和政談』と題し明治11年東京・新富座で5代目尾上菊五郎主演初演された。日潤歌舞伎では日当となっているため通称延命院日当」と呼ばれる

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