享和年間
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雪の道奥雪の出羽路 - 1801年(享和元年)津軽から出羽に入った記録。深浦の竹越氏や多くの人に送られ、途中岩館村でハタハタ漁の様子や伝説等を記録、能代に11月6日に到着した。能代では6日間滞在し、山王社や住吉社の縁起を詳細に記録した。一日市に一泊し、13日に土崎湊に来て滞在した。津軽藩から土崎まで真澄を見送りした人もいる。年の終わりに雪ぞりに乗って久保田城下に入った。市内の市場の様子を記録する。 辭夏岐野莽望圖(シゲキヤマモト) - 1802年(享和2年)3月から6月までの日記。山本郡を夏木立の茂き時に見たということで命名したとある。(合川町)木戸石を出て、七座山に登り、小繋村から高岩神社に参拝し、藤琴村から山間の滝を見て太良鉱山を視察、さらに鉱山の祭典を見る。帰路、水無沼で平衛之の老妻に会う。藤琴村に一旦戻り、5月5日からは小舟で米代川を渡り(二ツ井町)仁鮒に移動し、さらに小懸から鬼神に移る。鬼神ではここが小栗判官が乗った馬の産地であるという伝承を記録する。6月1日にはまた藤琴村から北上して粕毛川の奥にある素波里神社と不動の滝を見る。再び藤琴村から大良鉱山を訪ね、津軽藩との境界近くの山々にまで足を踏み入れている。心を込めた絵が多い一編である。 雪能飽田寝(ユキノアキタネ) - 1802年(享和2年)10月以降の阿仁山村の旅行記。10月阿仁鉱山の一つである真木鉱山から記録を始める。二ノ又から雪中の森吉山に登る。積雪のため森吉神社まで登り石積みの塔を見てそこから引き返す。そのとき、鳥海山は噴煙を上げていた。11月末に一ノ又鉱山から小又川沿いに遡行し、湯の岱に一泊して白糸の滝を見学する。桐内で魔除けの藁人形を記録し、米内沢に一泊し、湯の岱温泉を経て、独鈷(どっこ)大日堂に参拝し、大滝温泉まで移動した日記である。 秀酒企乃溫濤(ススキノイデユ) - 1803年(享和3年)正月から5月までの日記。大滝温泉を芒の湯ということでこの冊子を名付けたとしている。大滝温泉に滞在して土地の風俗行事を記録し次に十二所の長興寺に参拝し、マタギ言葉を記録する。扇田村で武田敬夫と和歌の贈答をする。武田と共に砂子沢峠を越えて昨年の冬に見た白糸の滝の夏の風景を観賞する。帰路、大葛鉱山では『万会物語』や『嘉左衛門清七の物語』を記し、鉱山の様子や風俗を記録している。森合では北限の茶の銘々を行い、長泉寺を訪ね縁起を聞いた。 贄能辭賀樂美(ニヘノシガラミ) - 1803年(享和3年)6月1日北秋田の扇田を出発し、旧蹟を訪ねながら仁井田村の古跡で藤原泰衡を弔って、出川村に滞在し、大館で秋田実泰が怪物を斬った伝説を記録し、乱川を横切り釈迦内村の里で語られる最明寺時頼の伝説を偲んで、松峰山に登り修行の場を見学する。さらに、花岡村から櫃崎(ひつざき)村の丸山定政の家に宿を取った。 浦の笛瀧(ウラノフエタキ) - 1803年(享和3年)の暮から次の年の夏まで、能代付近の遊覧を飛び飛びに記録したもの。後年自著に編集したと書いている。1803年の末に(合川町)川井村にいた。川井村と李台の正月行事を記録する。1806年(文化3年)4月能代方面から岩館方面に遊覧した。能代の住吉八幡の藤を見た後、萩の台から、長崎に出て五月雨沼の五月雨大明神に参拝する。5月には向能代に出て杉沢で薬草を採り、熊野神社に参拝し、杉沢の泉、岩館の山々を記録している。白瀑神社や尼子の不動尊に詣でている。岩館の笛滝には2度訪れ絵を描いている。
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享和年間(1801年 - 1804年)
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場所番付四股名成績備考1801年(享和元年)3月 西大関 雷電(鬼面山) 6勝0敗1預3休 鬼面山は東小結で6勝0敗2分2休。 1801年(享和元年)11月 西前2 大綱 6戦全勝 不入りのため6日間で打ち上げ。 1802年(享和2年)2月 西前4 荒岩 8勝1敗1休 1802年(享和2年)11月 西大関 雷電 8勝0敗2休 1803年(享和3年)4月 西大関 雷電(千田川、梁、佐渡ヶ嶽、山颪) 5勝0敗2預 千田川は西関脇6勝1敗、梁は東小結5勝0敗2休、佐渡ヶ嶽は西前頭2枚目で6勝1敗、山颪は番付外で5勝0敗2預。はしかの流行のため7日間で打ち上げ。 1803年(享和3年)10月 西大関 雷電 9勝0敗1休
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