有明の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/13 14:33 UTC 版)
長野県安曇野市穂高有明では、天明年間(1781年 - 1789年)から天蚕飼育が始められた。周辺は穂高連峰の山麓につながる高原で、松・杉とともにクヌギ・ナラ・柏などが群生していたので、多数の天蚕が生息していた。 享和年間(1801年 - 1804年)になると、飼育林を設けて農家の副業として飼養され、文政年間(1818年 - 1830年)には穂高や近郷の松本・大町等の商人により繭が近畿地方へと運ばれ、広島名産の山繭織の原料にもなった。嘉永年間(1848年 - 1854年)頃には、糸繰りの技術も習得し、150万粒の繭が生産された。 明治20年(1887年)から明治30年が天蚕の全盛期で、山梨県や北関東などの県外へ出張して天蚕飼育を行った。明治31年には有明村の過半数の農家が天蚕を飼育するに至る。面積3000haからの出作分を含めて800万粒の繭が生産され、天蚕飼育の黄金時代であった。しかし、焼岳噴火の降灰による被害や、第二次世界大戦により出荷が途絶え、幻の糸になってしまった。 昭和48年(1973年)に復活の機運が高まり、天蚕飼育が再開された。安曇野市天蚕センターで、飼育・飼育関連イベント・製品展示などが行われている。
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