学術面での動きの経過とは? わかりやすく解説

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学術面での動きの経過

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/25 22:53 UTC 版)

地球温暖化に関する動きの歴史」の記事における「学術面での動きの経過」の解説

1827年ジョゼフ・フーリエ温室効果発表1861年ジョン・ティンダル水蒸気二酸化炭素・オゾン・メタンなどが主要な温室効果ガスであることを発見するとともに地球の気候変える可能性指摘した。これらの研究ベース1896年スヴァンテ・アレニウス自身著書宇宙成立』の中で、石炭などの大量消費によって今後大気中の二酸化炭素濃度増加すること、二酸化炭素濃度が2倍になれば気温が5~6上昇する可能性があることなどを述べたこのころは、二酸化炭素による冷害防止触れたグスコーブドリの伝記』(宮沢賢治1932年)などに見られるように、一部には浸透していたものの、こういった科学知識一般に広く認知されるには至っていなかった。 一方20世紀中頃、ますます顕著になってきてい公害環境汚染)を取り巻く環境一変した住民意識高まり汚染当事者責任明確になるとともに行政の責任高まった学術でも、公害関連した環境全般研究盛んになる中で、行政研究推進する動き出始めマスメディア環境問題大きく取り上げようになった1960年代に『沈黙の春』を契機として大きな問題となった化学物質汚染経済において環境配慮する必要性促した1972年の『成長の限界』と、次第環境問題対象とする分野広がっていった。その流れの中で、地球の気候対象となりつつあった。 1938年には、キャレンダーが二酸化炭素濃度地球平均気温の上昇を報告し地球気温二酸化炭素関係性実測として初め指摘していた。1959年、ロジャー・ルベールとハンス・スースは、大気海洋二酸化炭素濃度をさらに精密に測定する必要性訴えた。その前年1958年には、ルベールとチャールズ・キーリングがハワイマウナロア山頂と南極二酸化炭素濃度計測始めていた(1957年・1958年はちょう国際地球観測年であった)。 しかし、1940年代から1970年代にかけて、地球気温低下傾向入っていた。地球気温上昇に関する議論研究下火になり、代わって気温低下に関する研究盛んになっていた。1960年代には、地球気温低下に関する研究結果いくつか発表された。ミランコビッチ・サイクル変化によって氷期になる(conference on climate change - Boulder, Colorado, 1965)というもの、数千以内次の氷期到来するというもの(Cesare Emiliani, 1966)などがあった。ただ、氷期到来する具体的な原因は、まだはっきりとは明らかにされていなかった。 1970年代入ってエアロゾル二酸化炭素気候与え影響について研究なされたが、具体的に将来気候どのように寒冷化して行くかという予測までは至らなかった。しかし、1975年4月28日ニューズウィーク記事"The Cooling World"を筆頭に、マスメディアでは「氷期が近づいている」という報道先行してしまったことで、マスメディア市民の間では、さも学術的な裏づけあるかのような認識生まれていた。 ただ、大気鉛直温度分布モデル示される (真鍋, Strickler, 1964)とともにモデル基づいて二酸化炭素濃度が2倍になると気温が2.4上昇する」との試算示されたり(真鍋, Wetherald, 1967)、(いまのところ大気汚染冷却効果上回っているが)二酸化炭素急増により温室効果増強されるという研究(Paul Erhlich, 1968)が発表されるなど、着実に地球の気候に関する理解進んでいた。 1969年国際科学会議 (ICSU) によって、環境問題を扱う初めての世界的学術団体となる環境問題科学委員会(SCOPE)が設立されるまた、1979年2月開催され世界気候会議では、具体的な気候研究計画の概要定め研究データ利用推進することなどを規定した世界気候計画採択される。 1979年スリーマイル島原子力発電所事故発生後アメリカ合衆国大統領行政府科学技術政策局から「気候対す人為起源 CO2影響」について諮問受けた全米科学アカデミーがこれらの学術報告をまとめ、「21世紀半ば二酸化炭素 (CO2) 濃度は 2 倍になり、気温は 3 ± 1.5 (1.54.5 ) 上昇する」とするチャーニー報告発表した1980年代には、地球気温上昇傾向転じ温暖化に関する研究進展していった。1985年10月には、フィラッハ地球温暖化に関する初めての世界的な学術会議としてフィラッハ会議開催され、「21世紀半ばには人類経験したほどのない規模気温上昇する」との見解発表した1988年8月には、世界気象機関 (WMO) と国連環境計画 (UNEP) の共同気候変動に関する政府間パネル (IPCC) が設立される1990年8月IPCC膨大な数の学術的報告集約して評価行い第1次評価報告書にて、21世紀末までに地球平均気温が約3海面が約65cm上昇するとの具体予測発表したこのころには、学術的にも「地球寒冷化説」は過去の説となりつつあり、地球温暖化説が定着しはじめた1992年6月リオデジャネイロ開かれた環境と開発に関する国際連合会議地球サミット)では、気候変動枠組条約採択され国際政治全世界規模での地球温暖化対策議題上り始めたその後IPCC第2次評価報告書第3次評価報告書順次発表し地球温暖化研究予測精度向上していった。第3次評価報告書においては下記のような結論示された。 この半世紀温暖化大部分は、人間活動原因考えられる人間活動大気中の温室効果ガス濃度放射強制力増加させ、21世紀中もそのトレンド支配する考えられる平均地上気温今世紀末までに、1990年比べて1.4~5.8上昇する予測されるこれに伴い海水準の上昇や大規模な気候変化懸念される。 この報告書では研究不足する点についてなおも空白埋め必要性指摘しつつも、それによる不確実性考慮してもなお人為的な温暖化リスク大きいことを警告した一方で各国政府独自に科学的経済学的・政治学的な調査報告を行う動きもあった。1990年から始まったアメリカ気候変動に関する国家アセスメント(NACC)は2000年11月最終報告書出された。 2006年末には、イギリス政府委託により、学術的な知見経済学的な面から見て以下のような内容集約したスターン報告発表された。 このまま温暖化ガス排出続ければ今世紀末にはGDP20%にも相当する大きな被害リスクがあり、温暖化抑制するコストの方が遙かに小さくなる。 「気候変動対す早期かつ強力な対策利益は、そのコスト凌駕する」と指摘。 これに追随する形で、オーストラリアガーナー報告(Garnaut Report)(2008年9月)なども出された。 2007年には最新IPCC第4次評価報告書(AR4)が発表されこのような予測確度がさらに向上すると共に人類有効な対策を既に有していること、対策費用も含めた今後被害最小抑えるには、現状よりも大規模かつ早急な対策が必要であることも重ねて指摘されている。 このように地球温暖化人為的なものであり、早急な対策が必要であることは国際的かつ学術的科学的)なコンセンサスとなっている。これに異議を唱える者もいる(地球温暖化に対する懐疑論参照)が、2007年7月米国石油地質協会(AAPG)がその意見変えて以来近年温暖化対す人為的影響否定する国際的公的な学術組織は無いとされる

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