学術面での動きの経過
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「地球温暖化に関する動きの歴史」の記事における「学術面での動きの経過」の解説
1827年にジョゼフ・フーリエが温室効果を発表、1861年にジョン・ティンダルが水蒸気・二酸化炭素・オゾン・メタンなどが主要な温室効果ガスであることを発見するとともに地球の気候を変える可能性を指摘した。これらの研究をベースに1896年、スヴァンテ・アレニウスは自身の著書『宇宙の成立』の中で、石炭などの大量消費によって今後大気中の二酸化炭素濃度が増加すること、二酸化炭素濃度が2倍になれば気温が5~6℃上昇する可能性があることなどを述べた。このころは、二酸化炭素による冷害防止に触れた『グスコーブドリの伝記』(宮沢賢治、1932年)などに見られるように、一部には浸透していたものの、こういった科学知識が一般に広く認知されるには至っていなかった。 一方、20世紀の中頃、ますます顕著になってきていた公害(環境汚染)を取り巻く環境が一変した。住民の意識の高まりや汚染当事者の責任が明確になるとともに、行政の責任も高まった。学術面でも、公害に関連した環境全般の研究が盛んになる中で、行政が研究を推進する動きが出始め、マスメディアは環境問題を大きく取り上げるようになった。 1960年代に『沈黙の春』を契機として大きな問題となった化学物質汚染、経済において環境に配慮する必要性を促した1972年の『成長の限界』と、次第に環境問題が対象とする分野は広がっていった。その流れの中で、地球の気候も対象となりつつあった。 1938年には、キャレンダーが二酸化炭素濃度と地球の平均気温の上昇を報告し、地球の気温と二酸化炭素の関係性を実測として初めて指摘していた。1959年、ロジャー・ルベールとハンス・スースは、大気と海洋の二酸化炭素濃度をさらに精密に測定する必要性を訴えた。その前年の1958年には、ルベールとチャールズ・キーリングがハワイのマウナロア山頂と南極で二酸化炭素濃度の計測を始めていた(1957年・1958年はちょうど国際地球観測年であった)。 しかし、1940年代から1970年代にかけて、地球の気温は低下傾向に入っていた。地球の気温上昇に関する議論や研究は下火になり、代わって気温低下に関する研究が盛んになっていた。1960年代には、地球の気温低下に関する研究結果がいくつか発表された。ミランコビッチ・サイクルの変化によって氷期になる(conference on climate change - Boulder, Colorado, 1965)というもの、数千年以内に次の氷期が到来するというもの(Cesare Emiliani, 1966)などがあった。ただ、氷期が到来する具体的な原因は、まだはっきりとは明らかにされていなかった。 1970年代に入って、エアロゾルや二酸化炭素が気候に与える影響について研究がなされたが、具体的に将来の気候がどのように寒冷化して行くかという予測までは至らなかった。しかし、1975年4月28日のニューズウィークの記事"The Cooling World"を筆頭に、マスメディアでは「氷期が近づいている」という報道が先行してしまったことで、マスメディアや市民の間では、さも学術的な裏づけがあるかのような認識が生まれていた。 ただ、大気の鉛直温度分布のモデルが示される (真鍋, Strickler, 1964)とともに、モデルに基づいて「二酸化炭素濃度が2倍になると気温が2.4℃上昇する」との試算が示されたり(真鍋, Wetherald, 1967)、(いまのところ大気汚染の冷却効果が上回っているが)二酸化炭素の急増により温室効果が増強されるという研究(Paul Erhlich, 1968)が発表されるなど、着実に地球の気候に関する理解は進んでいた。 1969年、国際科学会議 (ICSU) によって、環境問題を扱う初めての世界的学術団体となる環境問題科学委員会(SCOPE)が設立される。また、1979年2月に開催された世界気候会議では、具体的な気候研究の計画の概要を定め、研究データの利用を推進することなどを規定した世界気候計画が採択される。 1979年、スリーマイル島原子力発電所事故の発生後、アメリカ合衆国大統領行政府科学技術政策局から「気候に対する人為起源 CO2 の影響」について諮問を受けた全米科学アカデミーがこれらの学術報告をまとめ、「21世紀半ばに二酸化炭素 (CO2) 濃度は 2 倍になり、気温は 3 ± 1.5 ℃ (1.5 – 4.5 ℃) 上昇する」とするチャーニー報告を発表した。 1980年代には、地球の気温も上昇傾向に転じ、温暖化に関する研究も進展していった。1985年10月には、フィラッハで地球温暖化に関する初めての世界的な学術会議としてフィラッハ会議が開催され、「21世紀半ばには人類が経験したほどのない規模で気温が上昇する」との見解を発表した。1988年8月には、世界気象機関 (WMO) と国連環境計画 (UNEP) の共同で気候変動に関する政府間パネル (IPCC) が設立される。 1990年8月、IPCCは膨大な数の学術的報告を集約して評価を行い、第1次評価報告書にて、21世紀末までに地球の平均気温が約3℃、海面が約65cm上昇するとの具体的予測を発表した。このころには、学術的にも「地球寒冷化説」は過去の説となりつつあり、地球温暖化説が定着しはじめた。1992年6月にリオデジャネイロで開かれた環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)では、気候変動枠組条約が採択され、国際政治は全世界規模での地球温暖化対策が議題に上り始めた。 その後、IPCCは第2次評価報告書、第3次評価報告書を順次発表し、地球温暖化の研究や予測の精度が向上していった。第3次評価報告書においては、下記のような結論が示された。 この半世紀の温暖化の大部分は、人間活動が原因と考えられる。 人間活動が大気中の温室効果ガスの濃度と放射強制力を増加させ、21世紀中もそのトレンドを支配すると考えられる。 平均地上気温は今世紀末までに、1990年に比べて1.4~5.8℃上昇すると予測される。これに伴い、海水準の上昇や大規模な気候変化が懸念される。 この報告書では研究の不足する点についてなおも空白を埋める必要性を指摘しつつも、それによる不確実性を考慮してもなお人為的な温暖化のリスクが大きいことを警告した。 一方で、各国政府が独自に科学的・経済学的・政治学的な調査報告を行う動きもあった。1990年から始まったアメリカの気候変動に関する国家アセスメント(NACC)は2000年11月に最終報告書が出された。 2006年末には、イギリス政府の委託により、学術的な知見を経済学的な面から見て以下のような内容に集約したスターン報告が発表された。 このまま温暖化ガスの排出を続ければ今世紀末にはGDPの20%にも相当する大きな被害のリスクがあり、温暖化を抑制するコストの方が遙かに小さくなる。 「気候変動に対する早期かつ強力な対策の利益は、そのコストを凌駕する」と指摘。 これに追随する形で、オーストラリアのガーナー報告(Garnaut Report)(2008年9月)なども出された。 2007年には最新のIPCC第4次評価報告書(AR4)が発表され、このような予測の確度がさらに向上すると共に、人類が有効な対策を既に有していること、対策費用も含めた今後の被害を最小に抑えるには、現状よりも大規模かつ早急な対策が必要であることも重ねて指摘されている。 このように、地球温暖化が人為的なものであり、早急な対策が必要であることは国際的かつ学術的(科学的)なコンセンサスとなっている。これに異議を唱える者もいる(地球温暖化に対する懐疑論を参照)が、2007年7月に米国石油地質協会(AAPG)がその意見を変えて以来、近年の温暖化に対する人為的影響を否定する国際的・公的な学術組織は無いとされる。
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