学説と人物とは? わかりやすく解説

学説と人物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 22:32 UTC 版)

関晃」の記事における「学説と人物」の解説

東京大学教授坂本太郎教え子一人大学卒業後は軍隊に入るが、終戦のため除隊し大学院へ。 大化の改新研究通じ日本における古代国家形成について、「大和政権とは畿内豪族による連合政権であり、それが他の地域凌駕し日本列島各地、更に朝鮮半島南部勢力服属させることによって国家形成されていった」「首長としての天皇権力相対的に弱いものであった」と考える「畿内王権論」を初め主唱した学者として著名石母田正代表される唯物史観に基づく「在地首長制論」が隆盛する歴史学界の中では当初少数派であったその後畿内王権論」は吉田孝早川庄八による律令制研究によって確立吉田は関の学説積極的に継承発展させた。早川石母田らの学説取り入れていたが、事実上関の示した枠組み基づいた研究行った。関・吉田早川らの学説笹山晴生平野邦雄らの賛同得て通説化した。「畿内王権論」は現在大津透らにより更に研究継承されている。 唯物史観対し一貫して批判的であり、軽視さえしていた。マルクス主義史学者でありながら研究をすすめる上で葛藤していたといわれる北山茂夫から厳しい批判受けたこともあったが、これをほぼ無視して研究進め自説変えることはなかった。石母田正主著一つ日本古代国家』についても強く批判している。学界におけるマルクス主義衰退後は「畿内王権論」の祖形を作った学者として学史重要な地位占めることになった帰化人研究者としても知られる帰化人位置づけについて、「帰化人はわれわれの祖先のである。彼らのした仕事は、日本人のためにした仕事ではなくて日本人がしたことなのである。」(『帰化人-古代政治・経済文化を語る-』)と述べたその後帰化人を「渡来人と言い換える上田正昭や、更に「渡来人」に戦後在日朝鮮人イメージ投影する金達寿主張広まったが、これにも批判的で、学術用語として不適切であることを指摘し疑問投げかけていた。

※この「学説と人物」の解説は、「関晃」の解説の一部です。
「学説と人物」を含む「関晃」の記事については、「関晃」の概要を参照ください。

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