学術面の事績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 06:03 UTC 版)
カディーザーデ・ルーミー、ギヤースッディーン・アル=カーシーらで構成される学者の集団を率いて、ウルグ・ベクは1420年ごろに完成したウルグ・ベク天文台で天文観測を行った。1437年/41年頃にウルグ・ベクたちの観測結果は天文表としてまとめられ、従来使用されていたナスィールッディーン・トゥースィーの天文表に代わって使用されるようになった。天文表には1,018の恒星が記録され、うち約900の星の記録は実際の観測に基づいており、サマルカンドでの観測が困難な星についてはプトレマイオスの『アルマゲスト』の記録に修正を加えたものが収録されている。計算に少数、円周率を用いた星の観測は、当時のヨーロッパ世界の研究水準を凌駕していた。オリジナルの天文表がどのような言語で書かれていたかは判明していないが、アラビア語、もしくはペルシア語で書かれていた説が有力視されている。 ウルグ・ベクらによって作成された天文表は精度が高く、ヨハネス・ケプラーの台頭に至るまで重要視されていた。17世紀のオックスフォードの天文学者John Greavesは5種類の写本を使用してウルグ・ベクの天文表の研究を試みたが、彼の死のために研究が完成を見ることはなかった。1665年には、トーマス・ハイドによってヨーロッパで初めてウルグ・ベクの天文表が出版された。 ウルグ・ベクの伝統的なイスラーム諸学への関心は、自然科学への関心に比べて低かった。一方でウルグ・ベクは幼少期からコーランの全てを暗誦することができ、7種類の暗誦法について精通していたといわれる。ウルグ・ベクは自身が建設したマドラサで教鞭を執り、コーランについて講義を行っていた。ウルグ・ベクは科学的問題の把握と立証にへつらいや世辞は不必要なものだと考え、学生たちに命じて対等な立場で議論を行った。議論の際にあえて不適切な意見を述べ、自分の意見を鵜呑みにした学生の誤りを正すこともあった。 ティムール朝期に成立した歴史書『四ウルス史』の編纂にはウルグ・ベクが関わっていた、あるいは彼自身が著した本だと考えられている。
※この「学術面の事績」の解説は、「ウルグ・ベク」の解説の一部です。
「学術面の事績」を含む「ウルグ・ベク」の記事については、「ウルグ・ベク」の概要を参照ください。
- 学術面の事績のページへのリンク