女興行師編とは? わかりやすく解説

女興行師編

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 12:32 UTC 版)

わろてんか」の記事における「女興行師編」の解説

藤吉の死から4年後の昭和9年1934年)、てんは日本最大寄席チェーン成長した北村笑店の社長となり、栞は藤吉遺志により同社外部役員として経営携わる実務に関して風太中心となり、男社会である寄席世界でお飾り女社長という立場にいるてんは、栞の勧めもあり、女性に受ける女流漫才師を自らの手売り出したいと考えリリコ女優からの転身勧める相方失業した楽士川上四郎迎えアメリカ留学から帰国した隼也の命名で「ミス・リリコ アンド シロー」のコンビ誕生する二人漫才作家転身した女性たち中心に支えられ対立経て互いに信頼しあう北村笑店の看板コンビへと成長するまた、多数漫才師抱え同社は、漫才作家となった昔からの仲間万丈吉蔵部長据えて文芸部設立、その下で多数作家たちを育て自社発行演芸雑誌月刊キタムラ」を創刊漫才将来考え人気コンビのキース・アサリをあえて解散させ東京大阪分かれて活動させるなど、さらなる経営努力進めてゆく。このころより、てんの前に折々藤吉の霊が現れるようになり、てんはその助言慰め言葉支えられながら生きてゆく。 同じころ、隼也は将来跡取りとして入社し風太丁稚奉公よろしく厳し指導をする。隼也はまじめに働くものの、アメリカで得た知識生かせないことに不満を持ち、てんら首脳陣話し合い結果、栞の会社伊能商会に彼を預ける。隼也のもとにある日、彼がアメリカで夢中になった「マーチン・ショウ」の代理人名乗る外国人日本公演行いたい連絡してくる。慎重に検討する栞をよそに隼也は代理人会合し、この場で通訳加納つばきと出会う。隼也は同じくショウファンであるつばきと意気投合し、彼女のためにもショウ輸入し北村笑店25周年目玉にしたいと功を焦るあまり、独断仮契約進め詐欺遭う一同各々責任感じて自分責め、てんは隼也に自らの下で一から修業し直し命じる。しかし一同は、かつての父親同じ失敗犯した隼也の姿に藤吉懐かしく思い出し歴代失敗含めた社史編纂するその後、栞は本物の「マーチン・ショウ」日本公演北村笑店と伊能商会との共同で行うことを提案する。隼也は喜ぶが、てんは彼を本件には係わらせないと厳しく申しつける。隼也はつばき協力もあり、めげずに資料提供や企画書作成などのかたちで計画の手伝いをする。大半費用北村伊能の2社で賄って公演実行され大成功収める北村笑店では芸人らに対す他社からの引き抜き騒動のさなか、リリコ四郎結婚決意四郎の夢である楽団参加のために引退し上海へ旅立つ一方で隼也とつばきの間にも恋心育ってゆくが、つばきはある日自分北村笑店の主要取引先でもある中之島銀行頭取の娘であり、まもなく政略結婚することを告白二人互いに結ばれることを諦め別れる。その半年後、隼也は加納家使用人から、隼也を忘れられないつばきを諦めさせるために力を貸すよう頼まれる。隼也も結婚決まったの手紙を読んだつばきはさらに思い詰め、嘘と知って家出するも、てんに見つかり保護される迎えにきた父に対し、つばきは想い人がいるために結婚はしない宣言。しかし父は聞き入れず宥めるてんと風太に対して、彼女を説得できずに想い人結ばれた取引白紙にすると告げ立ち去る。隼也とつばきは愛を告白しあうが、つばきは独り生きる書き置き残して姿を消す。つばきの後を追う決意をした隼也に対して、てんは勘当申し渡す昭和14年1939年)、てんは風太通じて駆け落ちした隼也らの間に息子藤一郎が生まれ幸せ暮らしていることを知る。時局は軍による芸能への介入進みつつあった。戦地へ慰問のための芸人派遣依頼入りてんは躊躇するが、兵士たち笑ってもらうために請け負う風太団長結成され慰問団「わろてんか隊」はキース・アサリ、万丈夫婦などが出陣し慰問先でミス・リリコ アンド シローも加わる。表現方法巡り軍の少佐揉めるが、笑い説得して持ち芸発揮し公演成功する。そして、死と向き合う兵士たちやその家族触れ合った芸人らは、仲間家族の愛おしさを痛感するうになるその後慰問功績認められ、てんは国から勲章をもらい、女太閤謳われるうになる一方、栞は大衆のために自由に映画作った結果検閲により上映できず、損害責任を取らされて社長退任伊能商会ライバル企業新世紀キネマ吸収合併される。てんは栞を助けるため北村笑店に迎え映画部設立して検閲の裏をかいて恋愛要素加えた映画お笑い忠臣蔵」を企画一方風太勧められ世間景気づけ目的で、売出されていた通天閣購入する。しかし映画撮影開始目前に、当初支障なく通過した検閲から恋愛連想させる箇所台本修正命じられる。同じころ、雑誌新聞ではてんを非難する記事掲載されるようになり、記事信じた国防婦人会寄席小屋抗議押しかける騒ぎ起き寄席経営脅かされる。栞とてんは、すべてが栞を弾圧すべく新世紀キネマ手を回しているためと察知する事態重く見た栞は、最先端映画勉強をするためアメリカ行き決意し辞表提出するが、てんや風太引き止められ北村笑店に籍を残し渡米する昭和15年1940年)、台本修正したものの映画は無事完成昭和17年1942年)、戦局激しくなり、日を追うごとに芸人らが徴兵されていく現状憂いながらも執筆していた万丈目は、体調崩し歌子とともに帰郷する昭和19年1944年3月には建物疎開のため南地風鳥亭に取壊し通告され、他数か所の寄席小屋同様に対象となり閉鎖余儀なくされる。その直後、隼也に召集令状通達され風太計らいで隼也の帰宅実現する折しも隼也一家住まい建物疎開決定したこともあり、てんはつばき藤一郎の受け入れ承諾。そして隼也の謝罪受け止めるとともに自身駆け落ち実家への借金打ち明けて和解し、隼也の出征を見送る。昭和20年1945年1月大阪空襲を受け、北村宅も半壊する。てんは風太勧めで、つばき親子トキ親子とともに滋賀米原疎開することと、北村笑店の解散決意芸人たち天満風鳥亭で再会することを約束し芸人長屋後にする疎開先の家主横山治平は、戦時下にもかかわらず笑顔絶やさないてんたちに厳しく当たるが、彼女らが「笑う門には福来たる」を信念に、努めて笑っていると知り打ち解けるそんななか大阪大空襲安否不明となっていた風太が、命がけ守った風鳥亭の看板持って疎開先に現れる。やがて8月15日には終戦迎え、てんが大阪に戻ると、天満風鳥亭は焼けくずれ瓦礫の山となっていた。風太寄席小屋再開に向け意気込むも、生存確認され社員芸人らは戻れ状況になく、てんは落胆する。しかし帰国した栞が昭和21年1946年春に現れ再開後押しし社員芸人らも徐々に戻り、隼也も無事に帰還する。てんたちは、寄席小屋再開団結し社員芸人総出で、仮設寄席舞台で青空喜劇北村笑店物語」を開演観客大盛況笑い包まれ成功を収める終演後、てんは幽霊となって現れ藤吉語り合う。てんは、この先100年寄席小屋続けることを誓ったうえで、藤吉に「わろてんか」と問いかける藤吉笑顔承諾し物語幕を閉じるのであった

※この「女興行師編」の解説は、「わろてんか」の解説の一部です。
「女興行師編」を含む「わろてんか」の記事については、「わろてんか」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「女興行師編」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「女興行師編」の関連用語

女興行師編のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



女興行師編のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのわろてんか (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS