女興行師編
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藤吉の死から4年後の昭和9年(1934年)、てんは日本最大の寄席チェーンに成長した北村笑店の社長となり、栞は藤吉の遺志により同社の外部役員として経営に携わる。実務に関しては風太が中心となり、男社会である寄席の世界でお飾りの女社長という立場にいるてんは、栞の勧めもあり、女性に受ける女流漫才師を自らの手で売り出したいと考え、リリコに女優からの転身を勧める。相方に失業した楽士の川上四郎を迎え、アメリカ留学から帰国した隼也の命名で「ミス・リリコ アンド シロー」のコンビが誕生する。二人は漫才作家に転身した楓ら女性たちを中心に支えられ、対立を経て互いに信頼しあう北村笑店の看板コンビへと成長する。また、多数の漫才師を抱える同社は、漫才作家となった昔からの仲間・万丈目吉蔵を部長に据えて文芸部を設立、その下で多数の作家たちを育て、自社発行の演芸雑誌「月刊キタムラ」を創刊、漫才の将来を考え、人気コンビのキース・アサリをあえて解散させ東京と大阪に分かれて活動させるなど、さらなる経営努力を進めてゆく。このころより、てんの前には折々に藤吉の霊が現れるようになり、てんはその助言や慰めの言葉に支えられながら生きてゆく。 同じころ、隼也は将来の跡取りとして入社し、風太は丁稚奉公よろしく厳しい指導をする。隼也はまじめに働くものの、アメリカで得た知識を生かせないことに不満を持ち、てんら首脳陣は話し合いの結果、栞の会社・伊能商会に彼を預ける。隼也のもとにある日、彼がアメリカで夢中になった「マーチン・ショウ」の代理人を名乗る外国人が日本公演を行いたいと連絡してくる。慎重に検討する栞をよそに隼也は代理人と会合し、この場で通訳の加納つばきと出会う。隼也は同じくショウのファンであるつばきと意気投合し、彼女のためにもショウを輸入し北村笑店25周年の目玉にしたいと功を焦るあまり、独断で仮契約を進め詐欺に遭う。一同は各々責任を感じて自分を責め、てんは隼也に自らの下で一から修業し直しを命じる。しかし一同は、かつての父親と同じ失敗を犯した隼也の姿に藤吉を懐かしく思い出し、歴代の失敗も含めた社史を編纂する。 その後、栞は本物の「マーチン・ショウ」日本公演を北村笑店と伊能商会との共同で行うことを提案する。隼也は喜ぶが、てんは彼を本件には係わらせないと厳しく申しつける。隼也はつばきの協力もあり、めげずに資料提供や企画書作成などのかたちで計画の手伝いをする。大半の費用を北村・伊能の2社で賄って公演は実行され、大成功を収める。北村笑店では芸人らに対する他社からの引き抜き騒動のさなか、リリコと四郎が結婚を決意、四郎の夢である楽団参加のために引退し上海へと旅立つ。一方で隼也とつばきの間にも恋心が育ってゆくが、つばきはある日、自分が北村笑店の主要取引先でもある中之島銀行頭取の娘であり、まもなく政略結婚することを告白、二人は互いに結ばれることを諦め別れる。その半年後、隼也は加納家の使用人から、隼也を忘れられないつばきを諦めさせるために力を貸すよう頼まれる。隼也も結婚が決まったとの手紙を読んだつばきはさらに思い詰め、嘘と知って家出するも、てんに見つかり保護される。迎えにきた父に対し、つばきは想い人がいるために結婚はしないと宣言。しかし父は聞き入れず、宥めるてんと風太に対して、彼女を説得できずに想い人と結ばれたら取引を白紙にすると告げ立ち去る。隼也とつばきは愛を告白しあうが、つばきは独りで生きる旨書き置きを残して姿を消す。つばきの後を追う決意をした隼也に対して、てんは勘当を申し渡す。 昭和14年(1939年)、てんは風太を通じて、駆け落ちした隼也らの間に息子・藤一郎が生まれ幸せに暮らしていることを知る。時局は軍による芸能への介入が進みつつあった。戦地への慰問のための芸人派遣依頼が入りてんは躊躇するが、兵士たちに笑ってもらうために請け負う。風太を団長に結成された慰問団「わろてんか隊」はキース・アサリ、万丈目夫婦などが出陣し、慰問先でミス・リリコ アンド シローも加わる。表現方法を巡り軍の少佐と揉めるが、笑いは薬と説得して持ち芸を発揮し公演は成功する。そして、死と向き合う兵士たちやその家族と触れ合った芸人らは、仲間や家族の愛おしさを痛感するようになる。 その後も慰問の功績が認められ、てんは国から勲章をもらい、女太閤と謳われるようになる。一方、栞は大衆のために自由に映画を作った結果、検閲により上映できず、損害の責任を取らされて社長を退任、伊能商会はライバル企業・新世紀キネマに吸収合併される。てんは栞を助けるため北村笑店に迎え、映画部を設立して、検閲の裏をかいて恋愛要素を加えた映画「お笑い忠臣蔵」を企画。一方、風太に勧められ、世間を景気づける目的で、売出されていた通天閣を購入する。しかし映画撮影開始を目前に、当初は支障なく通過した検閲から恋愛を連想させる箇所の台本修正を命じられる。同じころ、雑誌や新聞ではてんを非難する記事が掲載されるようになり、記事を信じた国防婦人会が寄席小屋へ抗議に押しかける騒ぎが起き、寄席の経営も脅かされる。栞とてんは、すべてが栞を弾圧すべく新世紀キネマが手を回しているためと察知する。事態を重く見た栞は、最先端の映画の勉強をするためアメリカ行きを決意し辞表を提出するが、てんや風太に引き止められ北村笑店に籍を残し渡米する。 昭和15年(1940年)、台本修正したものの映画は無事完成。昭和17年(1942年)、戦局は激しくなり、日を追うごとに芸人らが徴兵されていく現状を憂いながらも執筆していた万丈目は、体調を崩し歌子とともに帰郷する。昭和19年(1944年)3月には建物疎開のため南地風鳥亭に取壊しが通告され、他数か所の寄席小屋も同様に対象となり閉鎖を余儀なくされる。その直後、隼也に召集令状が通達され、風太の計らいで隼也の帰宅が実現する。折しも隼也一家の住まいも建物疎開が決定したこともあり、てんはつばきと藤一郎の受け入れも承諾。そして隼也の謝罪を受け止めるとともに自身の駆け落ちや実家への借金を打ち明けて和解し、隼也の出征を見送る。昭和20年(1945年)1月、大阪も空襲を受け、北村宅も半壊する。てんは風太の勧めで、つばき親子とトキ親子とともに滋賀の米原に疎開することと、北村笑店の解散を決意。芸人たちと天満風鳥亭で再会することを約束し、芸人長屋を後にする。 疎開先の家主・横山治平は、戦時下にもかかわらず笑顔を絶やさないてんたちに厳しく当たるが、彼女らが「笑う門には福来たる」を信念に、努めて笑っていると知り打ち解ける。そんななか、大阪大空襲で安否不明となっていた風太が、命がけで守った風鳥亭の看板を持って疎開先に現れる。やがて8月15日には終戦を迎え、てんが大阪に戻ると、天満風鳥亭は焼けくずれ瓦礫の山となっていた。風太は寄席小屋再開に向け意気込むも、生存が確認された社員・芸人らは戻れる状況になく、てんは落胆する。しかし帰国した栞が昭和21年(1946年)春に現れて再開を後押しし、社員・芸人らも徐々に戻り、隼也も無事に帰還する。てんたちは、寄席小屋再開に団結し、社員・芸人総出で、仮設の寄席舞台で青空喜劇「北村笑店物語」を開演。観客は大盛況の笑いに包まれ、成功を収める。 終演後、てんは幽霊となって現れた藤吉と語り合う。てんは、この先100年寄席小屋を続けることを誓ったうえで、藤吉に「わろてんか」と問いかける。藤吉は笑顔で承諾し、物語は幕を閉じるのであった。
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