執筆動機・作品背景とは? わかりやすく解説

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執筆動機・作品背景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/01 05:47 UTC 版)

煙草 (小説)」の記事における「執筆動機・作品背景」の解説

この『煙草』は、三島由紀夫通っていた学習院中等科舞台背景になっており、その時代の〈感覚的記憶玩弄〉して仕上がった作品となっている。実際に三島初め煙草吸ったきっかけがこの作品の中の上級生2人だったかは定かではないが、中等科の頃だったのは事実らしく、1957年昭和32年)に発表したエッセイ『わが思春期』では、学習院通用門前にあった古い小さな喫茶店中等科学友らと一緒に禁制タバコを、こつそり吸ひはじめ〉、初めての味は〈ちつとも旨くない〉と書かれている三島は、終戦まもない1946年昭和21年1月21歳直前執筆したこの短編について、〈戦争直後のあの未曾有(みぞう)の混乱時代に、こんな悠長なスタティック小説書いたのは、反時代的情熱といふよりも、単に、自分それまで所有していたメチエ再確認のためであつた〉と、死の約5か月前の1970年昭和45年6月振り返った自作自註語りながら、〈正直なところ、私の筆も思想も、戦争直後あの時代を直下分析して描破うるほどには熟してゐなかつた〉として以下に続けている。 旧作読み返しておどろかれるのは、少年時代幼年時代思ひ出、その追憶感覚的真実幾多小さなエピソード記憶等が、少なくとも二十代終り近くまでは実によく保たれてゐたということである。それらを一切失はせたのは、一つには年齢と、一つには社会生活繁忙とであらう。きめこまやか過去感覚的記憶玩弄してゐられるには、肉体的不健康が必要であり、(プルウストを見よ!)、健康体はそのやうな記憶適しないのであらう。私が幼少年時の柔らかな甘い思ひ出を失ふ時期が、正に、私の肉体が完全な健康へ向う時期符合してゐるのである。それに「煙草一編の、煙草の匂ひやラグビー部部室の「メランコリックな」匂ひにしても病弱な少年にとつてこそ感覚の新鮮さもたらすものであれ、正にその匂ひの中で十何年すごしてしまへば、ただの日常感覚になつてしまふのだ。(中略)そしてこの短編に一番近い類縁求めれば、それはおそらく堀辰雄の「燃ゆる頬」であらう。 — 三島由紀夫解説」 なお、この作品発表当時同年1946年昭和21年)に刊行されるはずだった短編集寄せた跋文においては、〈私小説読者に与へる安心感逆用した小説である〉と自作解説し、〈愛してゐる〉作品だと述べている。 小品ながら、自作の中では愛してゐるものの一つで、自信があるといふのではなしに、愛してゐると云ふのが相応しいにちがひない。母校を共にした人には焼失した部室記憶今は鬱蒼たる趣を失つた思ひ出が、別種興味よびおこすかもしれないが、もしかすると作者さういふ先入主に涵り、さういふ先入主ゆゑにこの作品愛し、……否、自分にとつて愛すべき作品を生み出さうが為にこれを書いたのではあるまいか。なぜなら作品出来てゆく過程は夢のやうなもので、たしかに目が覚めてゐるつもりでゐてもまだ夢みてをり、深い夢から覚めて浅い夢の中で夢みてゐる場合多く、また全く目が覚めてしまつたら作品の成立ちやうもないからである。 — 三島由紀夫「跋に代へて」(1946年夏) この作品発表2年後1948年昭和23年)では、〈四つ処女作〉のうちの〈第三処女作〉と位置づけながら、〈大し愛着のある作品ではない〉としているが、他の『酸模すかんぽう)』『彩絵硝子(だみえがらす)』『盗賊』を含めた四つ処女作全体を、その〈はかなさ故に愛して憎むと纏めている。 これがいはゆる文壇処女作であらうが、大し愛着のある作品ではない。私の文学上の理想全部逆行したやうな作品で、どうしてそんなものができたか自分ながら思議で、この作品が、終戦後スポッと出て来たのに未だに妖しい感じがしてゐる。何か長い恋愛小説書いてゐて成らず、その序章独立させて短篇にまとめたものである。(中略真夏朝露にぬれた百合のやうな処女作を右の四つのうちに持つたと私は思はない。朝の花々のめざめのやうなめざめを、これらのうちの一作でも閲(けみ)してゐると私には思はれない。私はたえずもつと深く夢みようといふ姿勢文学志しながら、たえず文学それ自身から反撥されて来たのである。これらの四つ処女作は、私の文学的志向と私の作品とのこえがたい矛盾の上にたまたまかけられた虹のやうなものだと感じ、そのはかなさ故に作者はこれらの作品愛し、そのはかなさ故に作者はこれらの作品を憎むのである。 — 三島由紀夫四つ処女作」 『煙草』を執筆した直後三島は、他の7編の原稿花ざかりの森中世サーカス岬にての物語彩絵硝子、など)と共に、七丈書院合併した筑摩書房雑誌展望』に持ち込んだ編集長臼井吉見は、あまり好み作風でなく肌に合わなくて好きではないが「とにかく一種天才だ」と『中世』などを採用しようとするが、顧問中村光夫から「とんでもない、マイナス150点(120点とも)だ」と叱咤されたため全部没とした。 それと同じ頃の1月27日三島は『煙草』の原稿と『中世』の原稿携えて鎌倉に住む川端康成訪ねた三島は、終戦前、途中まで雑誌掲載された『中世』を川端賞讃していたという話を人伝聞いていたため、それを頼みの綱に『中世』と一緒に煙草』の原稿渡した当時鎌倉文庫から雑誌人間』を創刊したばかり川端は、編集長木村徳三にそれらを推薦して先ずは煙草』の掲載決まった。 そして、やや間があって同年6月掲載された。この掲載三島にとって、〈「救助の手」の最も大きなもの〉であり、戦後文壇への足がかりにもなった。また、それ以降川端生涯にわたる師弟関係のような強い繋がり基礎が形づくられることにもなった。 『煙草』の初掲載続いて、『中世全編、『夜の仕度』、『春子』なども雑誌人間』に載ったことで、〈『人間』に小説書いた三島君〉という、いわば肩書のようなものも付き戦後新し文学的友人を持つきっかけにもなった。

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執筆動機・作品背景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 04:47 UTC 版)

エロ事師たち」の記事における「執筆動機・作品背景」の解説

野坂昭如は『エロ事師たち』について次のように説明している。 ぼくはオチンチン小説書きたい考えて、「エロ事師たち」を書いた。これは決し男根魔羅玉茎の事ではなくはかなくあわれなオチンチン小説であり、スブやんはそれを本来の姿にもどすべく努力するドン・キホーテいえよう。 — 野坂昭如あとがき」(『エロ事師たち』) 舞台設定は、1962年昭和37年)から1964年昭和39年)暮までで、執筆年とほぼ重なり主人公の年齢当時作者野坂年齢近く誕生日10月10日という点は同じになっている。主人公住いとなっている守口市も、終戦時野坂住んでいたことのある地である。また、作中ブルーフィルムや、トルコ風呂白黒ショーエロ写真ゲイバーなど様々な昭和風俗織り込まれているが、野坂自身趣味ブルーフィルム蒐集し自宅上映していたり、ゲイバーバーテンをしていた経験もあり、野坂身近にいたブルーフィルム業者などから見聞した裏社会断面作品生かされている。また、主人公の母神戸空襲死んだ設定で、回想部描写される戦火死んだ人々グロテスクな屍の目撃談など、空襲養父亡くした野坂自身戦争体験重な部分見受けられる主人公スブやん」の名前は、当時野坂引っ越したばかりの六本木高層アパートの隣に住んでいた兼高かおる母親飼っていたの名前が「スブタ」だったことから、ヒント得た。なお、「恵子」という名前を主人公義娘の名前に付けたのは、『火垂るの墓』モデルとなった妹・恵子への思いあったからだという。 なお、『エロ事師たち』は三島由紀夫吉行淳之介推奨されたが、これについて野坂71歳の時、阿川佐和子との座談で、吉行三島が『エロ事師たち』を認めてくれなかったら自分はここにはいないと語っている。

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