執筆地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 06:21 UTC 版)
3書簡の著者を使徒ヨハネと見る立場では、伝承上、ヨハネが晩年を過ごしたとされるエフェソが有力視されている。それに対し、ヨハネ福音書について使徒ヨハネによるとする伝承を支持しない研究者たちが、シリア・パレスチナの境界地域での執筆を有力視するようになっていることを踏まえ、書簡も近い場所で執筆されたとする説が提示されている。また、ヨハネ書簡の初期の言及者であるスミュルナのポリュカルポスやヒエラポリスのパピアスの活動地域がいずれも小アジアに含まれることから、福音書の成立後にヨハネ共同体が小アジアに移動したとする説も提示されている。結果として、著者を使徒ヨハネと見ていない論者たちからも、エフェソあるいはそれを含む小アジアという推定が提示されることがあるが、ヴィリー・マルクスセン(ドイツ語版)は、シリア説と小アジア説のいずれも「推測の域を出ない」と指摘している。
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執筆地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 15:20 UTC 版)
詳細は「ヨハネ書簡#執筆地」を参照 ヨハネ書簡には執筆地を示すものは何もないが、それらの初期の引用者であるポリュカルポス、パピアス、エイレナイオスらの作品が小アジアで書かれたことを考えるなら、ヨハネ書簡も小アジアで書かれたのだろうという程度の推測は成り立つ。それに対し、教会の伝承では、ヨハネ書簡の執筆地は小アジアの中でもエフェソと限定されており、ローマ・カトリックのバルバロ、フランシスコ会聖書研究所、福音派の『新聖書辞典』、尾山令仁などはいずれもそれを堅持している。
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