執筆場所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 21:36 UTC 版)
この手紙は執筆場所についての手がかりも乏しい。川村輝典、土戸清、小林稔 、田川建三のように、単に不明としている論者も少なからずいる。 主の兄弟に対する思い入れが強かったシリアとされることもある。ただし、シリアがユダ書の正典化に消極的な地域であったこととは整合しない。パレスチナで主の兄弟が活動していたため、パレスチナが想定されることもある。さらには、エジプトが想定されることもある。これはユダ書に外典の利用が見られることと、外典を受容する傾向のあったエジプトが結び付けられたためである。 また、場所を特定した意見ではないが、手紙の中で宛先の信徒たちを直接訪問する意図が表明されていないのは、宛先とかなり離れていることを暗示しているのではないかとするフェデリコ・バルバロのような意見もある。
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