反転の動機とは? わかりやすく解説

反転の動機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 10:13 UTC 版)

栗田健男」の記事における「反転の動機」の解説

栗田は、反転決断について「その日受けた攻撃状況や、われわれの対空砲火がその空中攻撃対抗できないという結論から、もしこのままレイテ湾突入しても、さらにひどい空中攻撃餌食になって損害だけが大きくなり、折角進入した甲斐がちっともないことを私に信じ込ませた。そんなことなら、むしろ、北上して機動部隊に対して小沢部隊協同作戦をやろうということ追いついてきた」と語っている。反転の動機は艦隊決戦思想から出たものかという質問に対して、「いや、輸送船も叩かねばならぬ思っていました」と答えている。南西方面艦隊からの発信とされる北方機動部隊電報により反転したことについて「そのとき心境というものは、あとで考えてみても良くわからんものがある」「あの電報なかったら、まっすぐレイテ行ったでしょうね。とにかく、ですよ。敵情はさっぱりわからん。それで、まだこっちにはこれだけ兵力残っている。一方レイテ行って収穫期待できないそういうとき、敵がいるという電報がはいった。それじゃあということになったわけですね」「あとから考えれば、ですがね。何だって見えもしないものを追って、……それも飛行機もないし、向こうスピード上げて逃げ回るのに……いってみればハエタタキ持たずハエを追うようなものじゃないか、といわれると、ちょっと困る」と語っている。また、「あれは三川打ったんだよ。三川電報だったので、俺は北へ行ったんだよ」という。「あれは偽物だったという話もあるようですが」と質問すると、不機嫌そうに答え30海里なら追尾が可能で、当時相対したばかりの南方の敵部隊雑魚だと思っていた旨を述べている。 9時11追撃中止しヤヒセ43部隊集結命じたことについて、GHQ参謀第2部歴史陳述栗田は「部隊集合命じたのは、レイテ湾突入主目的達成考えたからである。敵機部隊二時以内戦場到着するという敵側情報も、当面戦闘を早目に切り上げた理由一つであった当時第一戦隊は敵魚雷回避のため針路北で航走したので、前方進出していた軽快部隊と隔在し、かつ有効な敵の煙幕展張とあいまって敵情はほとんどわかっていなかった。したがって集合発令しようとした直前のことであるが、第十戦隊から『我突撃転ずる』むね電報があったので、その攻撃終了の頃あいを見はからって、〇九一一集合命じたのである」と答えている。 1955年元海軍記者・伊藤正徳取材で、栗田は反転の動機について、「あの時は非常に疲れていた」と語っている。パラワン水道にて最初旗艦愛宕沈没した為、艦隊司令部要員重油の漂う中を予備旗艦指定されていた大和向けて移乗する事態陥ったその後戦闘続きサンベルナルジノ海峡通過した際には夜戦覚悟していた。そのためサマール島沖海戦後に反転行った際、栗田をはじめ第一遊撃部隊司令部連日休む暇も無かった。 この取材栗田は「その判断も今から思えば健全でなかったと思う。その時ベスト信じたが、考えてみると、非常に疲れている頭で判断したのだから、疲れた判断ということになるだろう」と語り伊藤に「そんなにつかれていたのか」と問われ、「その時疲労感じていなかった。しかし、三日三晩殆んど眠らない神経使った後だから、身体の方も頭脳の方も駄目になっていたのだろう」と答えた。「情報を手にして幕僚会議開いて反転退却した真相は」と問われ、「その時退却という考えはない。幕僚とは相談しなかった。自分一個責任でやった。情報正否確かめる暇もなかったが、要するに敵の機動部隊が直ぐ近所にいると信じたのが間違いだった。(中略)いくら追っても捕まるわけはないのだが、それを捕捉し潰してやろうと考えたのが間違いだった。何しろ敵空母撃滅先入観になっていたので、それに引摺られた」と答えている。(ただし、第二艦隊参謀長であった小柳冨次は、1945年10月24日GHQでの陳述にて、栗田中将幕僚会議で十分意見述べさせたのか、それとも自分一人所信命令下したのかをJames.A.Field予備少佐から質問された際、幕僚会議開いて決定全員一致であった旨を回答している。) ただし、伊藤取材について栗田は不満を述べている。栗田は「あの男は、もう二〇年も会わないでいたとき、(伊藤栗田水戸中学同期生)ひょっこりたずねてきて、じつはねえと聞くんだ。(中略ノートもなにもとらずに、それでいて私のいったことはみんな書いている(中略)。疲れていたっていったのは、自分はちっともくたびれというものは感じていなかった。しかし、あの電報南西方面艦隊電)をもっと分析して発信者、時間などを研究すればインチキ分かったかも知れないそこまで頭がまわらなかったのは、自分ではそう思わなかったけれど、あるいはくたびれていて判断誤ったというようなこともあったか知れん、とそういう意味ですよ。これはだれにでもあることでしょ」と語っている。 作家大岡次郎海兵78期)は酒席1970年頃)において栗田から「本当のことを話す。疲れていたというのは、言わされた。戦闘中疲れることは決してない。戦闘中疲れてしまう者に司令官努め資格などありはしないのだ」と聞いたという。黛治夫海軍大佐は「疲れて判断を誤るということは絶対にないね。三日三晩一睡もしないということは戦前訓練でもよくあったことだし、まして戦闘情況の中では疲れ覚えどころか、頭はますます冴えてくるものだ。事実レイテ行ったときのわたしはそうだった」と述べている。反転について正しかったとする立場から論じた際に、世間風当たり考慮して疲労説を誘導するような状況があったという伝聞もある。作家半藤一利は、この発言引き出したのは伊藤著書の出版記念した伊藤宅での天ぷら食すパーティであったとして、栗田嘘つき主張している。また、栗田艦隊反転を「事実捏造し隠蔽するため」と主張している。 シブヤン海海戦後に反転した際、大谷作戦参謀発案アメリカ軍対す欺瞞として、栗田艦隊司令部は二四一〇〇電で「今迄の処航空索敵攻撃成果期し得ず逐次被害累増するのみにて無理に突入する徒に好餌となり、成果記し難し一次敵機空襲圏外避退、友隊の戦果策応進撃するを可と認む」と発信した。これは味方にも完全な避退解釈されやすい文面である。栗田は「少しくどかったね」「部隊反転後敵の空襲絶えたので私は速に、「サンベルナルヂノ」海峡入口到る予定反転命じた幕僚中には連合艦隊からの返電を待つべき意見もあったが私は断乎(だんこ)反転前進方策を執ったのである此の参謀長から「又行くのですか」との反問受けた事は今でも明瞭に記憶している」という。戦後第一回フィリピン方面海上慰霊巡拝団に参加した際、戦艦武蔵信号先任下士官だった細谷四郎対し、「北方ニ敵大部アリ」は陸軍索敵機がサマール沖栗田艦隊を米機動部隊誤認し陸軍司令部通さず大和直接送信してきたものだと語ったという。レイテ沖海戦反転原因になった電報栗田の頭の中に存在した幻想とする主張もある。 大和主計長当時艦橋にいた石田恒夫少佐によれば、「参謀長、敵は向こうだぜ」という宇垣指摘対し栗田は「ああ、北へ行くよ」と答えたという。大谷藤之助参謀が「参謀長回れ右ましょう」と進言し、小柳富次参謀同様に栗田進言栗田頷いた瞬間宇垣振り向いて参謀長〜」「北へ〜」のやりとりになったという。このやり取りから「宇垣港湾突入すべきだと思っていた」という主張もあるが、栗田艦隊サマール沖海戦終えて南下再開した直後大和見張り員から「北東方面数本マスト発見」という報告上がり第一戦隊の末松虎雄参謀確認したので宇垣第一戦隊司令から「北東の敵を討つべく直ち反転すべき」という意見具申もでたが、栗田レイテ湾への進撃継続させたという主張もある。 この直後、「ヤキ1カ」電の報告があり、第二艦隊司令部南下止めて北上する決断をした。宇垣のこの発言先程決断直ぐに翻した艦隊司令部判断不満に思い参謀長〜(北にいた敵よりも港湾にいる敵を優先するのではなかったのか?)」の発言となった石田少佐によれば宇垣の「参謀長、敵はあっちだぞ」に対し栗田は「いや、貴官進言通り北東機動部隊に向かう」と答え栗田宇垣進言考慮して反転北上したとしている。大和副砲長として艦橋にいた深井俊之助は戦後宇垣が「南へ行くんじゃないのか」と言いながらプリプリしていたと証言している GHQ参謀第2部歴史陳述にて、栗田は「小沢部隊が敵の快速空母の全グループ北方牽制しつつあると云ふ情報はその片鱗すらも私の耳に入らなかった。今でも明瞭に覚えてゐる事は二十五日夕、部隊サンベルナルジノ海峡に入る前、小沢部隊戦況報ずる電報見た。私はこのとき、折角の小沢部隊奮戦であるけれど今となってはもう時期遅れだと思った大和戦闘詳報によると一二時過ぎ一四時過ぎ小沢部隊電報受領してゐるが、私は部隊レイテ湾突入中止した前後にこのやうな電報聞いた記憶がない」と証言している。一二三電機部隊本隊戦闘速報大和14時30分に受信し内容小沢艦隊空襲受けている事を述べていたが、その時栗田は「この電報が、いままで私のところへとどかなかったのはどういうわけか。着信してから、なぜこんなに遅れたのか。まだほかにないか」と言ったという。

※この「反転の動機」の解説は、「栗田健男」の解説の一部です。
「反転の動機」を含む「栗田健男」の記事については、「栗田健男」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「反転の動機」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「反転の動機」の関連用語

反転の動機のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



反転の動機のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの栗田健男 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS