へい‐ごう〔‐ガフ〕【併合】
併合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/30 04:00 UTC 版)
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併合(へいごう、英: Annexation)は、ある国家の領域の一部または全部を、合意に基づいて自国の領域とすること[1]。領土の全部が併合されるとその国は消滅し、国民は併合国の国籍を取得する[1]。主権の完全移行を伴わない占領や保護国・保護領化、租借とは区別される。政治の分野でいう併合は、離散的な分割の逆と捉えるか、連続的な分離の逆と捉えるかで含む範囲が異なる。類義語としては、統合・合併・統一・合体などがある。異なる目的の者が一緒になること。
武力を背景とした一方的な現状変更の場合、第三国が併合を違法且つ無効として承認せず、地図上では併合前の国境が用いられることもある。1968年のイスラエルによる東エルサレム併合や、1990年のイラクによるクウェート併合、2014年のロシアによるクリミア併合などでその例が見られる。
「併合」は、強い側の拡張主義や、強制的 / 片務的な意味合いが強いため、合併、合邦、統合、統一などといった用語に置き換えられることがある。
「併合」の語は、外務官僚の倉知鉄吉が韓国併合にあたり案出した造語で、韓国を完全に日本に吸収するという含意を持ちながら、しかも「併呑」のような侵略的ニュアンスを避けるために考案した[2]。
併合の例(国際的に認められていないものも含む)
第二次世界大戦以後
- ウクライナ南東部
- クリミア
- 2014年3月にクリミア自治共和国とセヴァストポリがロシアに編入。詳細はロシアによるクリミアの併合を参照。
- ドイツ民主共和国
- クウェート
- 東ティモール
- 1976年7月17日にインドネシアが東ティモールを併合して第27州とするが国連・ポルトガルが容認せず、また独立派のゲリラにより紛争になる。1999年には国連の協議の下で、インドネシアとポルトガルが併合に同意したが紛争が続く。2002年に独立。
- 西サハラ
- エルサレム
- ゴア
- チベット
- 南西アフリカ
- フィンランド
戦間期から第二次世界大戦
- バルト三国
- モルドバ
- 1940年6月、ルーマニアのベッサラビアと北ブコビナがソビエト連邦に併合。ベッサラビアの大部分はモルダビア・ソビエト社会主義共和国(現・モルドバ)となり北ブコビナとベッサラビアの黒海沿岸部はウクライナ・ソビエト社会主義共和国に組み込まれた。
- チェコスロヴァキア
- 1938年10月[12]、ミュンヘン会談を受けチェコスロバキアのズデーテン地方がドイツに併合。
- これに乗じてポーランドがチェシン地方に侵攻し、併合した[13]。
- その後1939年3月にドイツはチェコスロバキアを解体し[14]ベーメン・メーレン保護領およびスロバキア(被保護国)として勢力下に収める。詳細はチェコスロバキア併合を参照。
- オーストリア
- エチオピア
第一次大戦以前
- 大韓帝国
- ハワイ
- ビルマ
- トンキン
- コーチシナ
- テキサス
- 琉球王国
- 東蝦夷地
脚注
出典
- ^ a b 字通,ASCII.jpデジタル用語辞典,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),デジタル大辞泉,世界大百科事典 第2版,普及版. “併合とは”. コトバンク. 2022年2月8日閲覧。
- ^ 倉知鉄吉. “倉知鉄吉氏述 韓国併合ノ経緯”. 国立公文書館アジア歴史資料センター. pp. 11-12. 2024年7月10日閲覧。
- ^ Farrell, Stephen「焦点:米大使館移転で中東緊迫化、「エルサレム問題」とは何か」『Reuters』2018年5月24日。2024年5月7日閲覧。
- ^ 防衛年鑑刊行会編『防衛年鑑 1960年版』防衛年鑑刊行会、昭和35年2月22日第1刷発行、169頁。
- ^ 別所裕介「現代チベットの牧畜社会を対象とした 「家畜慣行の60年史」作成」『財団法人三島海雲記念財団研究報告書』第51巻、2015年、180頁。
- ^ 併合 - ブリタニカ百科事典, the Chinese annexation of Tibet in 1959.
- ^ 河合明宣「陸封された地域の「解放」―インド・アルナーチャル・プラデシュ州とブータン―」『ヒマラヤ学誌』No.13、2012年、303頁。
- ^ “チベット併合の経済的成功を強調「人権侵害はデマ」]”. テレ朝 news (2019年3月28日). 2020年7月3日閲覧。
- ^ 家正治「国連ナミビア理事会の国際統治」『神戸外大論叢』第27巻第1号、神戸市外国語大学研究所、1976年6月、317頁、CRID 1050001339096439680、 ISSN 02897954。
- ^ “ナミビア共和国”. 外務省. 2024年5月7日閲覧。
- ^ 世界大百科事典内言及. “ペッツァモ(ぺっつぁも)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年5月7日閲覧。
- ^ 改訂新版 世界大百科事典. “ミュンヘン会談(ミュンヘンカイダン)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年5月7日閲覧。
- ^ 小項目事典, 日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典. “ポーランド史(ぽーらんどし)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年9月28日閲覧。 “外交面では1934年にポーランドはナチス・ドイツと不可侵条約を結び、1938年にはミュンヘン危機に乗じてチェコスロバキアからチェシン地方を奪った。”
- ^ “1939 年秋のポーランド侵攻”. encyclopedia.ushmm.org. 2024年9月28日閲覧。
- ^ “第二次世界大戦:時系列”. encyclopedia.ushmm.org. 2024年5月7日閲覧。
- ^ 改訂新版,世界大百科事典内言及, デジタル大辞泉,精選版 日本国語大辞典,日本大百科全書(ニッポニカ),改訂新版 世界大百科事典,百科事典マイペディア,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,山川 世界史小辞典. “ビルマ戦争(ビルマセンソウ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年5月7日閲覧。
- ^ 改訂新版,日本大百科全書(ニッポニカ),世界大百科事典内言及, デジタル大辞泉,精選版 日本国語大辞典,旺文社世界史事典 三訂版,山川 日本史小辞典 改訂新版,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,改訂新版 世界大百科事典,百科事典マイペディア,山川 世界史小辞典. “ビルマとは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年5月7日閲覧。
- ^ a b 改訂新版,世界大百科事典内言及, 山川 世界史小辞典. “フランス領インドシナ連邦(ふらんすりょういんどしなれんぽう)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年10月30日閲覧。
関連項目
外部リンク
併合
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「併合」も参照 併合は、他国領域の全部を合意によって譲り受けることである。併合によって被併合国は消滅し、被併合国の国民は併合国の国籍を取得することとなる。併合が宣言される時点では被併合地域が実質的に併合国に従属している場合も少なくなく、この場合には後述する征服を意味することとなる。ただし現代においては強制による条約(併合条約)は無効とされている(条約法条約52条)。
※この「併合」の解説は、「領域権原」の解説の一部です。
「併合」を含む「領域権原」の記事については、「領域権原」の概要を参照ください。
併合
「併合」の例文・使い方・用例・文例
- 小さな村は隣接した町に併合される傾向がある
- 併合派の反義語は細分派である。
- 合衆国はテキサスを1845年に併合した。
- その帝国はすべての小国を併合した。
- その小国は隣の大国に併合された。
- スコットランドは英国に併合された.
- 合衆国はテキサスを 1845 年に併合した.
- その会社は大会社に併合された.
- ドイツの一部はベルサイユ条約によってポーランドに併合された.
- 会社は全部併合されて巨大な複合企業になった.
- ロシアがポーランドの大部分を併合してしまった.
- 二国を併合させる.
- 近日中に両社が併合することは疑いない.
- 2 つの会社を併合してより大きな競争力の強い会社を作った.
- 韓国併合
- 土地を併合する
- 土地併合
- フランスが植民地として1896年にマダガスカルを併合したこと
- 保護関係はしばしば併合の第一段階となってきた
- 核中心都市のそばの郊外の周辺の併合
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