ルハーンシク州とは? わかりやすく解説

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ルハーンシク州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/03 00:31 UTC 版)

ルハーンシク州
Луганська область
州旗 州章
ウクライナ
州庁所在地 ルハーンシク
セベロドネツク
(事実上 2014年-2022年)
面積
 - 総計
 - 陸地
 - 水域
全ウクライナ第10位
26,684 km²
? km²
? km² (?%)
人口2006年
 - 総計
 - 人口密度
全ウクライナ第6位
2,409,000
90.28人/km²
地区 21
領域共同体 x,xxx
市町村総数
 - うち市の数
 - うち町の数
 - うち村の数

37
109
792
州知事 オレクシイ・ハルチェンコ英語版
ISO 3166-2:UA UA-09
電話番号コード +380-64
公式サイト 合同庁
2022年ロシアのウクライナ侵攻におけるロシアによるルハーンシク州占領
占領されていないウクライナの領土    
占領から解放されたウクライナの領土    
ロシアの占領地域    
2014年以降のルガンスク人民共和国またはロシアの実効支配地域   

ルハーンシク州(ルハーンシクしゅう、ウクライナ語: Луганська область, ルハーンシカ・オーブラスチ; ルガンスク州[1]ロシア語: Луганская область, ルガンスク・オーブラスチ)は、ウクライナの一つ。州都ルハーンシク。日本外務省はルハンスク州と呼んでいる[2]

地理

母語話者(ルハーンシク州) 2001
ウクライナ語
  
30.0%
ロシア語
  
68.8%

ウクライナの最も東に位置し、西はドネツィク州ハルキウ州、北、東、南はロシアヴォロネジ州ベルゴロド州ロストフ州と接している。

歴史

元々この地域はキエフ公国領ではなく、ブルガリア人などが暮らしていた。 10世紀から13世紀頃まではクマン人が主に定住していたが、モンゴル帝国の征服にあい支配を受けることになった。

2014年、「ルガンスク人民共和国」を自称する親ロシアの分離・独立派による同地の行政庁舎の占拠により、一時的にセベロドネツクに移していた[3]

2022年、ロシアの軍事侵攻が始まると全域が親ロシア派に占領され、7月4日にウクライナ軍が全土から撤退した。同年9月30日にはロシアが併合を宣言した[4]が、翌月上旬にはウクライナ軍の侵入を許している[5]

2023年9月8日、併合宣言後、初めてとなるロシアの統一地方選挙。州内でも投票が行われた[6]

人口

2001年ウクライナ国勢調査によるデータ。

  • 総人口2,546,200人[7]
  • 都市人口2,190,800人(86%);農村人口:355,400人(14%)[8]
  • 性別人口:男性1,169,900人(46%);女性1,376,300人(54%)[9]

脚注

出典

  1. ^ 外務省大臣官房長: “「ウクライナの首都等の呼称の変更」について” (PDF). 文化庁 (2022年4月1日). 2022年7月12日閲覧。
  2. ^ ロシアが違法に「併合」したウクライナ国内の地域への渡航のためのロシア査証取得の自粛要請”. 2025年4月2日閲覧。
  3. ^ ウクライナ大統領ペトロ・ポロシェンコ オフィシャルウェブサイト (2014年10月10日) 2015年1月1日閲覧。[リンク切れ]
  4. ^ “プーチン大統領 ウクライナ4州の併合 一方的に宣言か”. NHK NEWS WEB. (2022年9月30日). https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220930/k10013844061000.html 2022年10月1日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  5. ^ ウクライナ軍が南部で領土奪還継続、プーチン大統領は併合文書に署名”. ブルームバーグ (2022年10月6日). 2022年10月7日閲覧。
  6. ^ ウクライナ、ロシアによる占領地での「偽の選挙」非難”. AFP (2023年9月8日). 2023年9月9日閲覧。
  7. ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査。ウクライナの総人口” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。
  8. ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査。ウクライナの都市人口・農村人口” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。
  9. ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査。ウクライナの性別人口” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク


ルハーンシク州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:23 UTC 版)

ドンバス戦争」の記事における「ルハーンシク州」の解説

ルハーンシク州の暴動4月6日始まりドネツィクおよびハルキウ市内での同様の占領の後に、約1000人の活動家ルハンスク市にあるウクライナ保安庁(SBU)の建物占拠した時だった。デモ隊建物バリケード造り逮捕され分離主義者の指導者全員釈放するよう要求した警察建物支配奪回することに成功したが、デモ隊は「人民議会」を求めて建物の外に再集結し、ロシアへ連邦入りまたは併合向けた人民政府」を要請した。この集会で、彼らはヴァレリー・ボロトフを「人民知事」の地位選出した2つ住民投票発表された。1つ目は5月11日投票で、この地域何らかの形を自治模索すべきか否か判断するもの。2つ目は5月18日投票で、この地域ロシア連邦参加するべきか独立宣言べきかを判断するものとして予定組まれた。4月27日ルガンスク人民共和国(LPR)が宣言された。共和国議員達は、ウクライナ政府すべての抗議者に恩赦与えてロシア語公用語として設置し地域状況住民投票実施するよう要求した。彼らは、4月29日14:00までにキエフウクライナ政府)が要求を満たさなければ自分達はドネツク人民共和国並行して反乱蜂起する予定であるという趣旨最後通牒発布した

※この「ルハーンシク州」の解説は、「ドンバス戦争」の解説の一部です。
「ルハーンシク州」を含む「ドンバス戦争」の記事については、「ドンバス戦争」の概要を参照ください。

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