伏見宮博恭王とは? わかりやすく解説

伏見宮博恭王

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 21:33 UTC 版)

伏見宮博恭王(ふしみのみやひろやすおう、1875年明治8年〉10月16日 - 1946年昭和21年〉8月16日)は、日本皇族海軍軍人ドイツ帝国海軍兵学校・海軍大学校卒業(日本海兵18期相当)。栄典元帥海軍大将大勲位功一級伏見宮貞愛親王の第一王子(庶長子)。伏見宮第25代当主。議定官軍令部総長を務めた。初め名を愛賢王(なるかたおう)といい、華頂宮相続に当たり名を博恭と改めた。日露戦争では連合艦隊旗艦三笠」分隊長として黄海海戦に参加し戦傷を負う[注釈 1]艦長艦隊司令長官を務める等、皇族軍人の中では際立って実戦経験が豊富であった。伏見軍令部総長宮殿下(ふしみぐんれいぶそうちょうのみやでんか)、伏見元帥宮殿下(ふしみげんすいのみやでんか)などとも呼ばれた。


注釈

  1. ^ 長く敵弾による負傷とされてきたが、実際は「三笠」後部主砲塔右砲の砲身内膅発が原因であった[1]
  2. ^ 当時の布告により旧来からの4つの世襲親王家を除く宮家においては一代限りの存続とし、その後の子供たちは臣籍降下して華族に列するとしていた(博厚は明治9年の布告までは皇族ですら無かった)が、これを不憫に思った有栖川宮熾仁親王ら周囲の人間の嘆願から、天皇特旨により華頂宮の継承が認められた格好となった。これを切っ掛けとして一代宮家とされた新設宮家たちの世襲も徐々に認められるようになる。
  3. ^ 伏見宮の家督を継承するはずであった邦芳王が「不治の病」となり、またその同母弟である昭徳王は、既に夭折していた。なお、博恭王の子である博義王と恭子女王も同時に復籍している[12]
  4. ^ 同日は海軍記念日である。
  5. ^ 嶋田繁太郎の日記による[57]
  6. ^ 海軍における慣例として、大佐進級から少将進級には6年を要したが、6年目の大佐として主力艦(戦艦・正規航空母艦)の艦長を務めれば、1年後に少将へ進級することが確実であった。

出典

  1. ^ 野村實『山本五十六再考』中公文庫P159 - 174。初版は1988年文藝春秋刊『天皇・伏見宮と日本海軍』
  2. ^ 『法令全書』明治十六年二月十五日 宮内省告示第一號
  3. ^ 野村實 1988, p. 36.
  4. ^ a b c 現役海軍士官名簿(昭和9年2月1日調)』(国立国会図書館デジタルコレクション)海軍省、1頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/19054682022年2月26日閲覧 
  5. ^ 秦 2005, pp. 269–288, 第1部 主要陸海軍人の履歴-期別索引
  6. ^ a b 野村 1996, p. 32
  7. ^ 秦 2005, p. 247, 第1部 主要陸海軍人の履歴-海軍-伏見宮博恭王
  8. ^ 秦 2005, p. 196, 第1部 主要陸海軍人の履歴-海軍-加藤寛治
  9. ^ 野村實 1988, p. 42‐43.
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  11. ^ a b c 野村實 1988, p. 43.
  12. ^ a b 明治37年宮内省告示第5号(『官報』第6160号、明治37年1月16日)(NDLJP:2949471/3
  13. ^ 野村實 1988, p. 52.
  14. ^ a b 野村實 1988, p. 44.
  15. ^ 野村實 1988, p. 53.
  16. ^ 野村實 1988, p. 45.
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  29. ^ (「加藤寛治日記」続・現代史資料5)
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  53. ^ 「12倍の国力差」があるのに、「日米開戦やむなし」となった戦前の空気 「米国に勝てない」は常識だったが… (4ページ目)”. プレジデント社. 2023年11月22日閲覧。
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  58. ^ a b 井上成美伝記刊行会 1982, pp. 145–146
  59. ^ 井上成美伝記刊行会 1982, pp. 152–153
  60. ^ 「中山良昭『日本の貴人151家の運命』朝日新聞出版〈朝日新書〉、2010年12月30日、162頁」
  61. ^ 浅見雅男『伏見宮』(講談社、2012年)[要ページ番号]
  62. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、6頁。
  63. ^ 『官報』第5822号、昭和21年6月13日。
  64. ^ 『官報』第3708号「叙任及辞令」1895年11月6日。
  65. ^ 『官報』第5820号付録、1902年11月26日(NDLJP:2949123/24
  66. ^ 『官報』号外「叙任」1905年11月03日。
  67. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
  68. ^ 『官報』第1187号「叙任及辞令」1916年7月15日。
  69. ^ 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
  70. ^ 『官報』第1499号「叙任及辞令」1931年12月28日、p.742。
  71. ^ 『官報』第1621号「叙任及辞令」1932年5月28日。
  72. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  73. ^ 『官報』第4570号「宮廷録事 勲章親授式」1942年4月7日、p.213。


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