伏見宮邦房親王とは? わかりやすく解説

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伏見宮邦房親王

読み方ふしみのみや くにのぶしんのう

江戸初期親王伏見宮第九代。邦輔親王の子正親町天皇猶子。母は万里小路惟房の女。兄貞康親王継嗣。初名邦良、のち邦房。二品中務卿をへて式部卿にいたる。元和7年(1621)薨御56才。

伏見宮邦房親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/11 14:52 UTC 版)

伏見宮邦房親王
伏見宮
続柄

称号 桂昌院
身位 親王
敬称 殿下
出生 永禄9年4月4日1566年4月23日
死去 元和7年11月25日1622年1月6日
子女 伏見宮貞清親王
父親 伏見宮貞康親王
母親 家女房(飛鳥井雅房娘?)
役職 中務卿式部卿
サイン
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伏見宮邦房親王(ふしみのみや くにのぶしんのう)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての皇族中務卿世襲親王家伏見宮第9代当主。貞康親王の第一王子。正親町天皇猶子。初名は邦良(くにざね)、法号は桂昌院[1]

生涯

永禄9年(1566年)に伏見宮貞康親王の子として誕生する[2]天正3年(1575年)2月21日に親王宣下を受け、天正6年(1578年)12月17日に元服し、中務卿及び式部卿に任命され、二品となった[1]

天正14年(1586年)1月16日、関白・豊臣秀吉が組み立て式の黄金の茶室を宮中に持参して催した茶会に、正親町天皇誠仁親王近衞前久菊亭晴季らとともに列席した[3]

系譜

  • 家女房
    • 第一王子:貞清親王(1596-1654) - 第10代伏見宮
  • 生母未詳
    • 良嶽聖久(?-1631)
    • 高秀尊覚(慈照院、1615-1693)

脚注

参考文献




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