マレー沖海戦とは? わかりやすく解説

マレー沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 04:49 UTC 版)

レパルス (巡洋戦艦)」の記事における「マレー沖海戦」の解説

12月10日、Z部隊南シナ海において行われたマレー沖海戦で、九六式陸上攻撃機美幌海軍航空隊元山海軍航空隊)と鹿屋海軍航空隊一式陸上攻撃機編成され大部隊に襲撃された。レパルス最初に九六式陸攻8機(美幌空白井中隊)の水平爆撃受けた最初被害水上機甲板命中した250kg爆弾で、水上機甲板貫通して装甲達し、そこで炸裂するレパルス残っていた水上機は、延焼する恐れがあったために海面投棄された。この爆弾命中による被害最小限だった。続いて戦場到着した元山空美幌空九六陸攻魚雷装備)の雷撃レパルスはすべて回避し九六陸攻二度目水平爆撃回避したテナント艦長操艦見事だった事、穏やかな海面魚雷航跡視認やすかった事が、レパルス回避つながったレパルスシンガポール基地航空機支援要請し終わった頃、日本軍陸攻部隊雷撃爆撃同時攻撃はじまった鹿屋空一式陸攻魚雷装備)が出現しレパルス4-5発の魚雷命中させた(日本記録7本命中)。生存者左舷中央に2発、後部砲塔左舷に1発、スクリュー付近左舷に1発、右舷船体中央部に1発の合計5本の魚雷命中主張している。それまで損害軽微だったレパルスだが複数魚雷による損害致命的で、テナント艦長総員退去命じた12時33分(日本記録午後2時3分)に転覆して沈没した。また“不沈戦艦”と謳われていたプリンス・オブ・ウェールズにも陸攻魚雷爆弾多数命中し1350分(日本時間午後2時50分)に沈没したテナント艦長を含むレパルス生存乗員は、駆逐艦エレクトラ英語版) (HMS Electra,H27) とヴァンパイア (HMAS Vampire, I68) によって救助されている。乗員1,309名のうち、艦長以下796名が救助されたという。レパルス戦死者は508名(文献によって513名とも)。日本海軍機は英側救助作業一切攻撃しなかった。また翌日撃沈した航空隊員の1人である壱岐春記大尉搭乗機現場訪れ日英双方鎮魂のために花束投下している。 なお日本軍航空部隊攻撃前にレパルスからビル・クローザー准尉ウォーラス1機が発進している。この機は対潜哨戒を行うよう指示されていたがボート曳航する汽船発見したのみであり、レパルスの上空に戻って報告行った。このウォーラス日本軍陸攻部隊鹿屋空一式陸攻26機)が発見して追跡しており、結果的に攻撃隊を母艦誘導してしまった。日本軍の空襲が始まるとウォーラス対空砲火射程外へ逃れ、それからシンガポール向かった途中で燃料不足のため不時着水したが、イギリス領シンガポールから捜索のため派遣されカタリナにまず発見され、それから駆逐艦ストロングホールド (HMS Stronghold) が現れウォーラスシンガポールまで曳航する。このウォーラスプリンス・オブ・ウェールズウォーラスとともにイギリス空軍第205飛行隊 (No. 205 Squadron RAF) に引き取られた。

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マレー沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 17:45 UTC 版)

原田毫衛」の記事における「マレー沖海戦」の解説

伊165」は海大5型潜水艦の1番艦で、「日本式潜水艦はようやくその体をなし」と評価され海大3型改良型である。最新鋭艦ではないものの、やはり「呂65」から転任し原田後任艦長となる鳥巣建之助(海兵58期)は、「潜水艦長としては、天にも昇る思いであった回想している。「伊165」は南方作戦責任部隊であった第二艦隊近藤信竹司令長官隷下第五潜水部隊指揮官第五潜水戦隊司令官醍醐忠重)に属し、「伊166とともに第三十潜水隊構成した。同潜水隊司令レイテ沖海戦重巡鈴谷艦長として戦う寺岡正雄(海兵46期)で、原田にとって同郷先輩であった寺岡は「伊165」に乗り組み原田司令潜水艦艦長としてマレー作戦参戦する。 「伊165」は英東洋艦隊備えるため、開戦時にはマレー半島東方散開線についていた。イギリス東洋艦隊にはプリンス・オブ・ウェールズレパルスの2戦艦配備されており、その動向マレー作戦帰趨関わる考えられていた。その所在日本海軍大きな関心集めていたが、中央散開線の最東端にあった伊165」は両戦艦発見成功する1941年昭和16年12月9日15時15分原田発した発見電は次の通りであった。 敵レパルス戦艦二隻見ユ、地点コチサ一一針路三四〇度、速力十四節、一五一五 この発見電が端緒となり、翌日には帆足正音搭乗索敵機(九六式陸攻)によって2戦艦所在再発見されマレー沖海戦が生起陸上攻撃機部隊航行中の2戦艦撃沈したのである軍令部潜水艦担当していた井浦祥二郎はこの「伊165」の発見電につき、「世に秘められた潜水艦大きな功績というべき」としている。この後、「伊165」は乙潜水艦部隊編入され翌年1月にはフランス領インドシナカムラン湾から出撃インド洋方面交通破壊戦に従う。「伊165」の戦果1月に2隻(計6105t)、2月に2隻(計9961t)の商船撃沈とするものや、商船3隻(計6105t)、商船5隻とするものがある。

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マレー沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:14 UTC 版)

マレー作戦」の記事における「マレー沖海戦」の解説

詳細は「マレー沖海戦」を参照 1941年12月9日午前0時マレー第一次上陸作戦概成したと判断した馬来部隊指揮官小沢治三郎海軍中将は、マレー第二次上陸作戦英領北ボルネオ攻略作戦編制切り替えた海軍第一航空部隊による開戦初頭のシンガーポールに対す空襲は相当の成果収めた判断され陸軍第三飛行集団北部マレー方面航空作戦おおむね順調に経過している模様であった。英航空部隊活動一般的に低調なため、防備追われ消極作戦終始しているものと判断された。 9日午後2時30分、馬来部隊司令部は、英戦艦がセレター軍港に在泊しているという陸偵報告受信した。英艦隊将来的好機つかんで反撃に来る公算があるため、南シナ海哨戒強化、セレター在泊中の英戦艦航空攻撃加えて同港からの後退強要する必要があった。さらに作戦海面では敵潜出没の報が頻繁にあり、少なくとも3隻以上の潜水艦作戦従事している様子各部隊対潜掃蕩徹底してその制圧撃破を図る必要もあった。これらの情勢判断に基づき小沢中将は主に航空部隊潜水部隊をもって英海空部隊反撃備え水上部隊大部分次期作戦準備を行うと定めて発令した一方開戦前日本の船団の接近知った東洋艦隊司令長官トーマス・フィリップス中将は、英艦隊出撃して日本船団攻撃する決意をして、8日午後6時55分、戦艦2隻(プリンス・オブ・ウェールズ巡洋戦艦レパルス)、駆逐艦4隻(エレクトラエクスプレス、テネドス、オーストラリア籍のヴァンパイア)を率いてシンガーポールを出撃していた。 9日午後3時15分、伊65原田毫衛艦長)が艦影二を発見、英艦隊発見第一報打電したその後見失ったが、10日午前4時41分、潜水艦による再発見の報で英艦隊反転してシンガーポールに避退中と知った南方部隊指揮官近藤信竹海軍中将は、午前5時、これを追撃するとともに第一航空部隊及び潜水部隊対し「敵ハ〇三四地点フモロ四五ヲ「シンガーポール」ニ向ケ遁走ナリ 航空部隊及び潜水部隊極力此ノ敵ヲ捕捉撃滅スベシ」と命じた第一航空部隊による索敵攻撃が行われた結果午後1時頃、イギリス東洋艦隊戦艦プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦レパルス」が撃沈された。航行中戦艦航空機だけで撃沈した世界初海戦となった

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マレー沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 14:30 UTC 版)

陸上攻撃機」の記事における「マレー沖海戦」の解説

渡洋爆撃に続く陸攻晴れ舞台1941年12月10日対米開戦劈頭のマレー沖海戦におけるイギリス東洋艦隊撃滅である。 不沈艦と言われ新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦レパルス」を九六陸攻一式陸攻部隊沈めたこの戦いは、航空機だけで作戦行動中の主力艦沈めた初めての戦いとして世界驚愕させた。

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マレー沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/28 13:50 UTC 版)

帆足正音」の記事における「マレー沖海戦」の解説

元山空は第22航空戦隊に属しサイゴン基地として南方作戦従事していたが、英国東洋艦隊所属戦艦・プリンス・オブ・ウェールズレパルス出撃迎え陸攻部隊による攻撃企図した。1941年(昭和16年)12月10日午前6時帆足敵艦捜索にあたる索敵機(96式陸攻)の機長として出撃した。3番索敵線を飛行した帆足機は、帰途就いた午前1130分に艦隊発見。高度3000メートル接触し敵艦隊であることを確認し、"敵主力見ユ、北緯4度東経10355分、針路60度、1145"の無電発したその後も触敵を続け攻撃隊の攻撃確認英国2戦艦沈没見届けサイゴン基地帰還したのは午後7時20分である。燃料限界来ており、機を整列させる間にエンジン停止した。 この帆足機の行動絶賛を受け、戦中教科書掲載されたほどであった。なお、この時の帆足搭乗員田中喜作除き1942年3月帆足が行不明となった際に運命を共にしている。

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