第三十潜水隊とは? わかりやすく解説

第三十潜水隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/28 19:37 UTC 版)

伊百六十五型潜水艦」の記事における「第三十潜水隊」の解説

昭和7年11月10日呉鎮守府籍の伊67佐世保鎮守府籍の伊66の2隻で編成その後遅れて竣工した65編入した。昭和15年8月29日伊67事故により失われ残りの2隻は太平洋戦争参加しマレー作戦参加した後、主にインド洋活動した他、ミッドウェー海戦にも参加している。昭和19年3月25日解隊された。 1932年(昭和7年)11月10日:伊66伊67編成。第30潜水隊司令三輪茂義中佐第二艦隊第2潜水戦隊1932年(昭和7年)12月1日竣工した65編入第一艦隊第1潜水戦隊1933年(昭和8年)11月15日:第30潜水隊司令八代祐吉大佐第二艦隊第2潜水戦隊1934年(昭和9年)11月15日:伊65予備艦となる。第30潜水隊司令山崎重暉大佐1935年(昭和10年)12月20日:第30潜水隊司令福沢常吉中佐1936年(昭和11年)12月1日:第30潜水隊司令伊藤太郎大佐佐世保鎮守府部隊1937年(昭和12年)11月15日:第30潜水隊司令加藤与四郎中佐1937年(昭和12年)12月1日:伊66伊67予備艦となる。 1938年(昭和13年)9月20日:第30潜水隊司令福沢常吉中佐1938年(昭和13年)12月15日:第30潜水隊司令奥島三郎中佐1939年(昭和14年)11月15日第一艦隊第4潜水戦隊1940年(昭和15年)8月29日南鳥島南方沖で伊67事故沈没(奥島司令殉職)。11月1日除籍1940年(昭和15年)9月28日:第30潜水隊司令大竹寿雄中佐1940年(昭和15年)11月15日連合艦隊第5潜水戦隊編入1941年(昭和16年)8月11日:第30潜水隊司令寺岡正雄中佐1942年(昭和17年)3月10日解隊された第29潜水隊より伊64編入1942年(昭和17年)4月10日解隊された第28潜水隊より伊62編入1942年(昭和17年)5月17日九州南方沖で伊64戦没7月14日除籍1942年(昭和17年)7月10日:第5潜水戦隊解隊に伴い南西方面艦隊編入1943年(昭和18年)1月5日:第30潜水隊司令大山豊次郎大佐1943年(昭和18年)10月9日第六艦隊第8潜水戦隊編入1943年(昭和18年)10月31日:第11潜水戦隊より呂111編入1943年(昭和18年)11月10日:第11潜水戦隊より呂110編入1943年(昭和18年)12月25日:第11潜水戦隊より呂112編入1944年(昭和19年)1月7日:第30潜水隊司令高橋長十郎大佐1944年(昭和19年)1月31日:第11潜水戦隊より呂113編入1944年(昭和19年)2月12日ベンガル湾呂110戦没4月30日除籍1944年(昭和19年)2月20日:第11潜水戦隊より呂114編入1944年(昭和19年)3月25日解隊伊162は呉防備戦隊に、伊165伊166は第8潜水戦隊に、呂111呂112呂113呂114は第51潜水隊それぞれ編入。第51潜水隊については第51潜水隊の項で記述する。 (1944年(昭和19年)7月17日マラッカ海峡伊166戦没9月10日除籍。) (1944年(昭和19年)12月15日伊162伊165呉鎮守府部隊19潜水隊編入以降は第19潜水隊の項で記述する。)

※この「第三十潜水隊」の解説は、「伊百六十五型潜水艦」の解説の一部です。
「第三十潜水隊」を含む「伊百六十五型潜水艦」の記事については、「伊百六十五型潜水艦」の概要を参照ください。

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