マレー方面出撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:49 UTC 版)
そのような中で、日本は本土からアメリカのハワイに比べ比較的近い対イギリスやオランダの植民地に対しても隠密裏に進軍を開始し、12月4日、中華民国の三亜で、作戦の全船団の出撃を確認した日本海軍の馬来部隊指揮官・小沢治三郎海軍中将も出撃した。 さらに山下奉文陸軍中将以下約2万人の第二十五軍先遣兵団の乗船する輸送船も艦艇に護衛され、ついにイギリス領マラヤとオランダ領東インドを目指して進撃を開始した。対するイギリス軍やオランダ軍は全く油断しており、これらに気づく者は皆無であった。 このように対英米蘭開戦を決定しながら、その裏ではマレー半島とハワイに向かう日本海軍機動部隊をいつでも反転できるようにしたまま、日本政府はぎりぎりまで来栖三郎と野村吉三郎の両大使にコーデル・ハル国務長官との交渉を進めさせたが、ついに打開策は見つけらなかった。
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