マレー行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 13:49 UTC 版)
1915(大正4)年にマレー半島のジョホール王国・バトゥパハ(英語版)の三五公司のゴム園で働いていた弟・新三郎が独立を決意し帰国、支援を求められる。同年、商業学校に在学中だった下の弟・高田儀三郎は退学して新三郎と共にマレー半島へ渡り、石原は父を説得し農地を売却して資金を捻出、翌1916(大正5)年3月に家族とともにマレー半島へ渡った。兄弟3人はバトゥパハのパンチョールでゴム園を開拓するが、黒字化に時間を要し、生活費を賄うため雑貨商や水道工事の請負いを始めるがいずれもうまくいかなかった。石原は、ゴム園の経営や雑貨商を続けながら、鉄鉱山の存在の可能性に期待し、鉱山探索を続けた。
※この「マレー行」の解説は、「石原広一郎」の解説の一部です。
「マレー行」を含む「石原広一郎」の記事については、「石原広一郎」の概要を参照ください。
- マレー行のページへのリンク