たて座とは? わかりやすく解説

たて‐ざ【×楯座】

読み方:たてざ

南天の小星座(わし)座の南西天の川中にあり、8月下旬午後8時ごろ南中する学名(ラテン)Scutum

楯座の画像

たて座

分類:星座/神話


名称:たて座(楯座)
学名:Scutum
小分類:北半球
構成する主な星雲星団恒星:M11(散開星団)/M26(散開星団)
神話主な登場人物:−
日本観測できる時期:6月11月の約6ヵ月
見ごろ季節:夏(20時正中は8月下旬)

いて座北側にある小さな星座で、17世紀学者ヘヴェリウスによって命名されました。5つの星が、十字架あしらったの形をとるとされますが、星座自体暗くて形を見つけることは難しでしょう。ただ、たて座付近は、天の川明るく流れている場所です。いて座付近明るく幅のある銀河より少し狭くなっているので、この近辺は「スモールスタークラウド(小さい星の)」と呼ばれてます。

1.見つけ方ポイント
いて座から北方向へ天の川たどっていくと、4等星と5等星で作られた、細長い十字架のような形をした星の集まりあります。それがたて座です。暗く小さ星座なので、見つけるのは難しでしょうまた、わし座1等星アルタイルから、天の川沿って南へ目を下ろして行ってもたて座にたどりつきます

2.神話内容について
たて座は、17世紀ポーランド学者、ヨハンネス・ヘヴェリウスによって命名され星座で、剣から身を守るかたどってます。もとは「ソビエスキーのたて座」という名前で、1683年ウィーン攻め込んできたトルコ軍戦い、これを打ち破ったポーランド英雄ヤン3世ソビエスキー記念したものです。現在では単に、たて座と呼ばれてます。ギリシャ神話などとは関係ありません。

3.同じ時期見え星座について
天の川沿って、北にはわし座、南にはいて座さそり座見られます。また、東側にはやぎ座西側にはへびつかい座へび座を見ることができます

4.主要都市での観測について
全国で見ることができますが、暗い星ばかりなので確認難しでしょう

参考文献:「星座クラブ沼澤茂美著(誠文堂新光社)、「星のポケットブック」(誠文堂新光社)、「星座天体観測図鑑藤井旭著(成美堂出版)、「星座夜空四季小学館学習百科図鑑、「星座博物館・春」、「同・夏」、「同・秋」、「同・冬」、「同・星座旅行瀬川昌男著(ぎょうせい)、「星空ガイド沼澤茂美、脇屋奈々代著(ナツメ社)


たて座

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/07 20:29 UTC 版)

たて座
Scutum
属格 Scuti
略符 Sct
発音 [ˈskjuːtəm]、属格:/ˈskjuːtaɪ/
象徴 [1]
概略位置:赤経  18h 21m 35.8s -  18h 59m 10.5s[1]
概略位置:赤緯 −3.83° - −15.94°[1]
広さ 109平方度[2]84位
バイエル符号/
フラムスティード番号
を持つ恒星数
7
3.0等より明るい恒星数 0
最輝星 α Sct(3.83
メシエ天体 2
隣接する星座 わし座
いて座
へび座(尾部)

19世紀イギリスの星座カード集『ウラニアの鏡』に描かれたたて座(左下)。
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たて座(たてざ、Scutum)は現代の88星座の1つ。17世紀末に考案された新しい星座で、がモチーフとされている。全天で5番目に小さい星座で、明るい星はないがメシエカタログに登録された2つの散開星団がある。

主な天体

4等星より明るい星はないが、変光星メシエカタログにリストアップされた2つの散開星団はアマチュア天文家の観測対象とされる。

恒星

2022年4月現在、国際天文学連合 (IAU) が認証した固有名を持つ恒星は1つもない[3]

星団・星雲・銀河

由来と歴史

たて座は、ポーランド天文学者ヨハネス・ヘヴェリウスが、1684年8月刊行の学術誌『ライプツィヒ学術論叢 (Acta Eruditorum)』に「ソビエスキの盾」という意味の Scutum Sobiescianum として星図とその説明を掲載したことに始まる[14]。この「ソビエスキ」は、時のポーランド王ヤン3世ソビエスキ (ポーランド語: Jan III Sobieski) のことである[14]。ヤン3世は、前年の1683年に起きたオスマン帝国による第二次ウィーン包囲の際、「フサリア」と呼ばれる騎兵を率いてウィーン包囲中のオスマン軍を強襲し、これを潰走させるという戦史に残る武勲を立てたばかりで、Scutum Sobiescianum はその栄誉を称えたものとされる[15]。また、1679年にヘヴェリウスが観測施設を焼失した際、その再建をヤン3世が支援してくれたことへの個人的な恩義も動機になったと見られる[14]。ヘヴェリウスは、『ライプツィヒ学術論叢』に載せた説明文で1678年にエドモンド・ハリーが考案した星座 Robur Carolinum(チャールズの樫の木)を引き合いに出し、ヤン3世の威光と自身の正当性を強調した[14][16]。また、彼の死後の1690年に出版された『Prodromus Astronomiae』では、彼が考案した他の星座よりも多くの紙幅を割いてヤン3世の偉業とそれを讃えて星座とする意義を説明している[17]

『ライプツィヒ学術論叢』の誌上で Scutum Sobiescianumは、キルヒがザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク3世を顕彰するために考案した Gladii Electorales Saxonici(ザクセン選帝侯の双剣)と並べて掲載された[16]。ともに封建領主の威徳を称えるために考案された2つの星座であったが、Scutum Sobiescianum が名前を変えながらも「たて座 (Scutum)」として88星座の1つとして生き存えているのに対して、Gladii Electorales Saxonici はこれを採用する者もなく廃れてしまった[18]

Scutum Sobiescianum も後世の天文学者たち全てに受け入れられた訳ではなく、この多分に政治的な動機で設けられた星座を忌避する動きも見られた。たとえば、イギリスの初代王室天文官となったジョン・フラムスティードが編纂し、死後の1725年に出版された星表『大英恒星目録 (Catalogus Britannicus)』や1729年に出版された星図『天球図譜 (Atlas Coelestis)』では、ヘヴェリウス考案の他の星座が掲載される一方で、Scutum Sobiescianum の存在は完全に無視された[14][19][20]。しかし、ジャン・ニコラ・フォルタン英語版らが1776年にフランスで刊行した『天球図譜』の改訂版では l'Ecu de Sobieski として復活している[21][注 1]。また、1801年にドイツの天文学者ヨハン・ボーデが刊行した星図『ウラノグラフィア (Uranographia)』では Scutum Sobiesii の名称で[14]1822年にイギリスの教育者アレクサンダー・ジェイミソンが出版した『A Celestial Atlas』[注 2]では Scutum Sobieski という名称で[22]それぞれ描かれており、18世紀から19世紀にかけて星座の1つとして受容されていたことがうかがえる。

しかし、イギリスの天文学者フランシス・ベイリーは、彼が世を去った翌年の1845年に刊行された星表『British Association Catalogue』で現在使われている星座とほぼ同じ87の星座をリストアップしながら、Scutum Sobiescianum を除外していた[23]。このベイリーの姿勢は、後年アメリカの天文学者ベンジャミン・グールドから「天文学者たちによってあまねく採用されているヘヴェリウスのScutumを抑圧することに一体どんな利益があるのかわからない」と批判されている[24]。結局、1879年にグールドが刊行した著書『Uranographia Argentina』で、星座名を Scutum と短縮した上で採用され、バイエル符号風のギリシア文字の符号をαからηまで付された[25]ことにより、Scutum の星座としての地位が確たるものとなった[14]

1922年5月にローマで開催されたIAUの設立総会で現行の88星座が定められた際にそのうちの1つとして選定され、星座名は Scutum、略称は Sct と正式に定められた[26]。新しい星座のため星座にまつわる神話や伝承はない。

中国

古今図書集成に描かれた斗宿の図。たて座の星は右上の天弁に配されていた。

18世紀半ばにドイツ人宣教師ケーグラー(中国名戴進賢)らが編纂した星表『欽定儀象考成』では、たて座の星々は二十八宿の北方玄武七宿の第一宿「斗宿」に配された。たて座のα・δ・ε・β・ηの5星が、わし座の4星とともに天子のかぶる冠を表す星官「天弁」を成すとされた[27]

呼称と方言

日本では、明治末期には「」という訳語が充てられていたことが、1910年(明治43年)2月刊行の日本天文学会の会報『天文月報』第2巻11号に掲載された「星座名」という記事でうかがい知ることができる[28]。この訳名は、1925年(大正14年)に初版が刊行された『理科年表』にも「楯(たて)」として引き継がれた[29]。戦後の1952年(昭和27年)7月に日本天文学会が「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[30]とした際に、Scutum の日本語の学名は「たて」と定められ[31]、これ以降は「たて」という学名が継続して用いられている。

天文同好会[注 3]山本一清らは、既にIAUが学名を Scutum と定めた後の1931年(昭和6年)3月に刊行した『天文年鑑』第4号で、星座名を Scutum Sobiescianum、訳名を「ソビエスキの楯」と紹介し[32]、以降の号でもこの星座名と訳名を継続して用いていた[33]

現代の中国では盾牌座と呼ばれている[34]

脚注

注釈

  1. ^ フォルタンらによる『天球図譜』の第10図には2つの版が存在することが知られているが、いずれの版でも l'Ecu de Sobieski が描かれている[21]
  2. ^ いわゆる『ジェミーソン星図』。
  3. ^ 現在の東亜天文学会

出典

  1. ^ a b c The Constellations”. 国際天文学連合. 2023年1月28日閲覧。
  2. ^ 星座名・星座略符一覧(面積順)”. 国立天文台(NAOJ). 2023年1月1日閲覧。
  3. ^ Mamajek, Eric E. (2022年4月4日). “IAU Catalog of Star Names (IAU-CSN)”. 国際天文学連合. 2023年1月28日閲覧。
  4. ^ "alp Sct". SIMBAD. Centre de données astronomiques de Strasbourg. 2023年1月28日閲覧
  5. ^ "bet Sct". SIMBAD. Centre de données astronomiques de Strasbourg. 2023年1月28日閲覧
  6. ^ Samus’, N. N.; Kazarovets, E. V.; Durlevich, O. V.; Kireeva, N. N.; Pastukhova, E. N. (2017). “General catalogue of variable stars: Version GCVS 5.1”. Astronomy Reports (Pleiades Publishing Ltd) 61 (1): 80–88. Bibcode2017ARep...61...80S. doi:10.1134/s1063772917010085. ISSN 1063-7729. https://vizier.cds.unistra.fr/viz-bin/VizieR-5?-ref=VIZ63ce893c105a6&-out.add=.&-source=B/gcvs/gcvs_cat&recno=52194. 
  7. ^ Durlevich, Olga. “GCVS Introduction”. Sternberg Astronomical Institute. 2023年1月28日閲覧。
  8. ^ Samus’, N. N.; Kazarovets, E. V.; Durlevich, O. V.; Kireeva, N. N.; Pastukhova, E. N. (2017). “General catalogue of variable stars: Version GCVS 5.1”. Astronomy Reports (Pleiades Publishing Ltd) 61 (1): 80–88. Bibcode2017ARep...61...80S. doi:10.1134/s1063772917010085. ISSN 1063-7729. https://vizier.cds.unistra.fr/viz-bin/VizieR-5?-ref=VIZ63ce7b1739c7e3&-out.add=.&-source=B/gcvs/gcvs_cat&recno=51535. 
  9. ^ "UY Sct". SIMBAD. Centre de données astronomiques de Strasbourg. 2023年1月28日閲覧
  10. ^ a b Frommert, Hartmut (2013年12月19日). “Messier Object 11”. SEDS Messier Database. 2023年1月28日閲覧。
  11. ^ M11”. メシエ天体ガイド. AstroArts. 2023年1月28日閲覧。
  12. ^ "M 11". SIMBAD. Centre de données astronomiques de Strasbourg. 2023年1月28日閲覧
  13. ^ Frommert, Hartmut (2007年8月21日). “Messier Object 26”. SEDS Messier Database. 2023年1月28日閲覧。
  14. ^ a b c d e f g Ridpath, Ian. “Scutum”. Star Tales. 2023年1月28日閲覧。
  15. ^ 原恵『星座の神話 - 星座史と星名の意味 -』(新装改定版第4刷)恒星社厚生閣、2007年2月28日、154-156頁。 ISBN 978-4-7699-0825-8 
  16. ^ a b (ラテン語) Acta eruditorum anno MDCLXXXIV. Lipsiæ: Prostant apud J. Grossium & J.F. Gletitschium, typis Christophori Güntheri. (1684). pp. 395-397. OCLC 36452823 
  17. ^ Hevelius, Johannes (1690). “Catalogi Fixarum”. Prodromus Astronomiae. Gedani: typis J.-Z. Stollii. pp. 115-116. OCLC 23633465. https://www.e-rara.ch/zut/content/zoom/133607 
  18. ^ Barentine, John C. (2016-04-04). Uncharted Constellations: Asterisms, Single-Source and Rebrands. Springer. pp. 57-65. ISBN 978-3-319-27619-9. https://books.google.com/books?id=3MztCwAAQBAJ 2020年5月30日閲覧。 
  19. ^ Ridpath, Ian. “Flamsteed’s Atlas Coelestis”. Star Tales. 2023年1月28日閲覧。
  20. ^ Flamsteed, John; Crosthwait, Joseph; Flamsteed, Margaret; Hodgson, James; Sharp, Abraham; Gibson, Thomas; Vertue, George; Catenaro, Juan Bautista et al. (1729). Atlas coelestis. London. p. 52. OCLC 8418211. https://archive.org/details/atlascoelestis00flam/page/n51/mode/2up 
  21. ^ a b 竹迫忍 (2005年1月16日). “フラムスティード星座図絵(第2版,1776)の謎”. 古天文の部屋. 2023年1月28日閲覧。
  22. ^ Jamieson, Alexander (1822). A celestial atlas : comprising a systematic display of the heavens in a series of thirty maps : illustrated by scientific description of their contents and accompanied by catalogues of the stars and astronomical exercises. London: G. & W.B. Whittaker. p. 57. OCLC 3563446. https://catalog.lindahall.org/discovery/delivery/01LINDAHALL_INST:LHL/1288816050005961 
  23. ^ Ridpath, Ian. “The British Association Catalogue (BAC) 1845”. Star Tales. 2023年1月28日閲覧。
  24. ^ Gould 1879, p. 60.
  25. ^ Gould 1879, p. 219.
  26. ^ Ridpath, Ian. “The IAU list of the 88 constellations and their abbreviations”. Star Tales. 2023年1月28日閲覧。
  27. ^ 大崎正次「中国の星座・星名の同定一覧表」『中国の星座の歴史』雄山閣出版、1987年5月5日、294-341頁。 ISBN 4-639-00647-0 
  28. ^ 星座名」『天文月報』第2巻第11号、1910年2月、11頁、 ISSN 0374-2466 
  29. ^ 東京天文台 編『理科年表 第1冊丸善、1925年、61-64頁https://dl.ndl.go.jp/pid/977669/1/39 
  30. ^ 『文部省学術用語集天文学編(増訂版)』(第1刷)日本学術振興会、1994年11月15日、316頁。 ISBN 4-8181-9404-2 
  31. ^ 星座名」『天文月報』第45巻第10号、1952年10月、158頁、 ISSN 0374-2466 
  32. ^ 天文同好会 編『天文年鑑』4号、新光社、1931年3月30日、6頁。doi:10.11501/1138410https://dl.ndl.go.jp/pid/1138410/1/11 
  33. ^ 天文同好会 編『天文年鑑』10号、恒星社、1937年3月22日、4-9頁。doi:10.11501/1114748https://dl.ndl.go.jp/pid/1114748/1/12 
  34. ^ 大崎正次「辛亥革命以後の星座」『中国の星座の歴史』雄山閣出版、1987年5月5日、115-118頁。 ISBN 4-639-00647-0 

参考文献

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、たて座に関するカテゴリがあります。
ウィクショナリーには、たて座の項目があります。


たて座

出典:『Wiktionary』 (2021/08/15 08:19 UTC 版)

固有名詞

たて (たてざ)

  1. 南天星座一つにちなむ。旧名ソビエスキー楯座

別表記

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