Uボート Uボートを題材にした作品

Uボート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/22 08:44 UTC 版)

Uボートドイツ語: U-Boot英語: U-boat)は、ドイツ海軍の保有する潜水艦の総称。一般的には特に第一次世界大戦から第二次世界大戦の時期のものが語られる。

ドイツ潜水艦隊の華々しい活躍により、Uボートの名はドイツ潜水艦の代名詞として広く普及した。第一次大戦では、約300隻が建造され、商船約5,300隻を撃沈する戦果を上げた。第二次大戦では、1,131隻が建造され、終戦までに商船約3,000隻、空母2隻、戦艦2隻を撃沈する戦果をあげ、引き換えに849隻のUボートの損失を出した。

後に連合国が有効な対策を編み出した事もあり、全ドイツ軍の他のあらゆる部署よりも高い死亡率であった[1]

U9(1914年)

概要

ドイツ語の「U-Boot(ウーボート)」は「Unterseeboot(ウンターゼーボート、水の下の船)」の略語であり、潜水艦を意味する。本来のドイツ語では、U-Bootは時代・国籍を問わず全ての潜水艦を意味する言葉として使われているが、英語でU-boat(ユーボート)と言った場合は専ら第一次大戦・第二次大戦時期のドイツの潜水艦を意味する言葉として使われる[2]

潜水艦の用兵には、さまざまなものがあるが、第一次第二次の両世界大戦におけるドイツ海軍のUボートは、共に通商破壊を目的として使用された。ドイツ海軍は十分な水上艦戦力をもたないため、制海権は絶えず英国側にあった。そのため、海上封鎖を水上艦では行えず、敵の強力な水上艦隊の勢力下でも作戦行動が可能な潜水艦が、この任に最適だと考えたのである。

潜水艦は「敵に発見されにくく、大型船を撃沈できる魚雷をもち、建造費が大型艦に比べれば安価である」とのメリットの反面「速度が低く、会敵の機会が少なく、接敵できても強力な護衛のつく水上艦との戦闘では不利」とされた。また、潜水艦の隠密性を最大限活用するため、Uボート戦では、商船に対しても無警告撃沈という戦法がとられた。主な標的となったのは、両大戦を通じて、敵国のイギリスなどと、植民地とを往来する商船であった。第一次世界大戦にアメリカが参戦した後は標的にアメリカからヨーロッパへの物資・兵員を積んだ商船が追加され、第二次世界大戦においては援ソ船団も加わった。

第二次世界大戦においては、連合国側は様々な対潜水艦戦略および戦術を展開し、最終的に旧型Uボートは劣勢に追い込まれていった。「対Uボート戦の末期(と初期)では立場が逆になった。狩られるのは商船ではなくUボートになったのである」(チャーチル・世界危機)は、両大戦のUボート戦を端的に表している。

また、Uボートの正確な位置は上層部も知らず乗組員たちにしか分からなかったため、定時連絡が無くなってようやく「どうやら沈んだらしい」程度の事しか分からなかった[1]

また、通商破壊以外の用途としては、技術や物資の隠密輸送などに使用されたりもした。第二次世界大戦時には、同盟国の大日本帝国海軍に寄贈され複数が運用された他、ドイツの敗戦後大日本帝国海軍に接収された艦もある。

戦役

第一次世界大戦

第一次世界大戦1914年 - 1918年)において開戦時期のUボートの評価はそれほど高いものではなく、あくまでも補助艦艇という位置づけであった。その評価を一変させたのは、開戦から3か月後の1914年9月22日にオットー・ヴェディゲン大尉が指揮するU9が、イギリス海軍の装甲巡洋艦クレッシー級「アブーキア」、「クレッシー」、「ホーグ」の3隻を立て続けに撃沈してからであった。この戦果に各国海軍は驚愕し、取り分けイギリスが受けた衝撃は多大なものであった。ガリポリの戦いではオットー・ヘルジンク大尉が指揮するU21がイギリス海軍の戦艦「トライアンフ」と「マジェスティック」を撃沈しており、Uボートの勇名は世界に轟いた。

これらの戦果に自信を付けたドイツ海軍は、1915年2月にイギリス周辺の海域を交戦海域に指定し、イギリスに向かう商船に対する無制限潜水艦作戦を開始する。その3か月後の1915年5月、ドイツのU20が戦時禁制品の火薬類運送中の英国船籍の豪華客船ルシタニア号を無警告で撃沈し、1,198人の犠牲者を出す。この中に123人のアメリカ市民が含まれており、著名な舞台演出家であるヴァンダービルト家の一人も犠牲になった。この出来事は、イギリス側の外交戦術に最大限に利用され、アメリカ世論を反ドイツへと揺り動かし、連合国側に立って戦争に参戦する重要な要因となってしまう。その為、ドイツは1915年8月に商船への無警告攻撃を禁止する布告を出し、Uボートが活躍する場は大幅に制限される。この布告を巡ってはドイツ首脳陣の間に軋轢が生じ、海軍大臣のティルピッツが辞任する騒ぎにまで発展する。最終的にUボートによる無制限潜水艦戦は1917年1月に認められ、この年の2月から3月にかけて500隻近い商船がイギリス周辺や地中海で撃沈された。しかし、同年にアメリカが連合国側に立って参戦し、更にイギリス首相ロイド・ジョージが強力に推進した護送船団方式と対潜技術の向上でUボートの戦果は急速に低下していく。

だが、イギリスが被った損害は重大で、戦後のヴェルサイユ条約でドイツは潜水艦の保有を禁止された。

第二次世界大戦

第二次世界大戦1939年 - 1945年)においては、終戦に至るまでUボートは大西洋の戦いなど、図らずもドイツ海軍の主力兵器でありつづけ、戦後イギリス首相ウィンストン・チャーチルに「私が本当に怖れたのは、Uボートの脅威だけである」と言わせる働きをみせた。

第二次大戦の開戦の日1939年9月3日、ドイツ潜水艦隊司令カール・デーニッツは57隻のUボートを擁していた(大西洋に派遣できたのは26隻)。デーニッツは1939年9月28日ヒトラーに「Uボートは英国を屈服させられます。しかしそれには300隻(100隻が哨戒、100隻が戦場への往復、100隻が整備)が必要です。しかも早急に」と説いたが、もともと海軍と疎遠だったヒトラーは「ゲーリングが英艦隊を追い回すであろう」と空軍への信頼を語り、イギリス側が備える時間を与えてしまった(この300隻体制は、ついに実現しなかった)。

Uボートの建造は開戦後もしばらくは進まなかったが、フランス占領後はトート設営相によりフランスの資源と人員を使った迅速なブンカーの設置がなされ、英国近海をとおらず大西洋へ出撃することができた。ブロック方式で大量の潜水艦が建造され、VII型のみに限っても最終的に1,162隻が就役した。緒戦では一部のUボート部隊が大西洋で通商破壊戦に投入され、イギリスへの商船に対し大きな被害を与えた。その他、アメリカ本土へスパイを送り込んだり、機雷封鎖作戦にも投入された。

作戦に投入されたUボートには様々な種類があり、初期の「丸木舟」と呼ばれた沿岸用II型から大西洋を中心に各方面で活躍したVII型、大西洋を横断できるIX型日本海軍の呂号潜水艦程度)、補給用の「乳牛」と呼ばれる大西洋での潜水艦補給用のXIV型Uボート、ヴァルター・ボートの外形だけを取り入れた、水中での行動が有利な艦型のXXI型、沿岸作戦用のXXIII型などがあった。

撃沈された輸送船とUボート by Willy Stöwer(1917年)
開戦初期は撃沈した独航船を浮上観察する余裕があった。第二次大戦後期では潜望鏡での長時間の観察さえも撃沈される原因となった。

一部のUボートは、日本軍占領下のマレー半島ペナンなどを基地としてインド洋で英連邦諸国の商船に対して通商破壊戦を行っていた。ヒトラーは、同通商破壊戦を強化するために同盟国日本に協力を呼びかけ、日本がUボートを手本として同様の潜水艦を量産することを期待して日本へ2隻のIX型Uボートを贈与した。1隻が日本に入港して呂号第五〇〇潜水艦として連合艦隊に編入されたが、小型で用兵上の不足があると判断された上に、日本の工業技術では1隻も製作不能とされた。また、日本は伊号潜水艦を5次に渉ってドイツに派遣、ドイツの必要とする工業原材料、技術を交換した(遣独潜水艦作戦)。参加した5隻の内、無事日本 - ドイツ間を完全往復できたのはわずか1隻だった。

開戦以来、対潜戦闘に不慣れな英国は膨大な損害を蒙ったが、1942年に入ると、連合軍はUボートに対して

などあらゆる対策を実行した。これらが進展するにしたがって、大西洋の戦いはUボート部隊に不利となっていった。ドイツはとりわけ電子戦において後れをとっていた。ドイツ側はレーダー電波を逆探知する警戒装置(メトックス)を開発し連合軍の対潜哨戒機の探知を回避することができるようになったため、1942年夏に一時的に優位に立ったが[4]、翌43年春には連合軍がメトックスでは探知できない波長を使用するレーダーを実用化したためその優位も失われた[5]。またドイツ側は連合軍が新型レーダーを投入したことを見逃し、逆に警戒装置から漏れる電波を連合軍が探知していると誤解していたため、対抗手段の開発はさらに後手にまわることになってしまった[6]

対空兵装を強化するなどの策もとられたが、対空戦闘での少しの損害でも潜航不能になり、最終的に撃沈される例が相次いだ。このためシュノーケルの装備などで対抗した。これらの対策を施した潜水艦の大量投入で、一時的に戦果の低下を防ぐことができたが、護衛空母による哨戒が開始されるとUボートの損害は再び増加した。航空機に襲撃されては急速潜航などは無意味で、たとえ間に合ったとしても、航空機から放たれる爆雷かホーミング魚雷に粉砕された[7]。充電のために浮上航行していればレーダーか航空機に捉えられ、潜航していればソナー類に捉えられた。夜間に浮上している場合は、はるか遠方からレーダーに捉えられ、レーダー搭載機に忍び寄られて、気づいた時にはリー・ライト[8]を照射されて撃沈された。1944年になると在来型のVII型、IX型などは事実上無力化し、大戦初期の様な戦果は望めなくなった。しかし、大西洋からUボートを撤退させることにより、Uボートに振り向けられる連合軍の資源が都市爆撃や陸軍の戦術支援に回ることが予想されたため、連合軍を海に釘付けにするためにUボートの出撃は続けられた。

最終的な結果として、大戦全期を通じたUボートとその乗組員の損失は、743隻、約3万人に上った。一方、連合軍はその数倍に上る損害を受けたが、ついにUボートによる通商破壊で連合国側を屈服させることは出来なかった。

Uボート戦について、デーニッツは、「1938年から大Uボート艦隊を用いて戦争に入っていれば戦いの推移に決定的影響を及ぼせた(勝利できた)であろう。もし2倍のUボートを生産していても大きな影響を与えられた。しかし、第二次大戦では軍備不十分のまま対英戦に突入した」と戦後総括しているが、そもそもドイツの生産力では、それだけの艦隊を建造する事はできなかった[9]

大戦中にドイツが培った革新的な潜水艦技術は戦後、連合国側に吸収され、世界の潜水艦開発に大きな影響を及ぼした。

戦後のUボート

第二次大戦後(1945年以降)、東西に分裂したドイツは東西冷戦の最前線となり、主権の回復と共に再軍備が認められた他、西ドイツはUボートの保有も認められた。しかし、戦勝国のUボートへのトラウマは東西を問わず全く払拭されておらず、1954年に西ドイツと戦勝国との間で結ばれた軍備制限議定書により、Uボートは大戦中よりも大幅に小型化されたものしか保有が許されなかった。この制限は冷戦の終結まで続き、輸出用のものを除けば排水量500tクラスの小型潜水艦が細々と就役していた。

1990年代半ばに制限が解除されると共に水中排水量1830トンの中型潜水艦212A型潜水艦の建造が開始され、現在2隻が就航している。

損耗率

第二次大戦を通じて、Uボート乗組員の死傷率は、63%という数字だった。捕虜も含めると、73%になる。第二次大戦の最後の5か月、連合国商船の損耗は世界中で46隻で、しかもこの46隻は船団を組まずに単独航行していた船だった。だが、Uボートは151隻が撃沈された[10]

種類

第一次世界大戦

第二次世界大戦

以下、型式番号なし

第二次世界大戦後

現存艦

現存する沈没艦

2008年、"Adolf Hitler's lost fleet"(アドルフ・ヒトラーの失われた艦隊)と呼ばれる黒海で活躍したUボート3隻が発見されたとのニュースがイギリスデイリー・テレグラフ誌で報じられた[16]

発見の経緯

発見された艦はU-19、U-20、U-23の3隻で、トルコの海洋技師Selçuk Kolayがドイツ海軍の古い記録や当時の生存者からの聴取で沈没地点を割り出し、ソナー調査で発見した。沈んでいた3隻のうちU-23はかつてUボートのエースであったオットー・クレッチマーの指揮していた艦で、この3隻の他に合計6隻が黒海で活躍し、2年間の作戦行動中に沈めた艦船数は50隻、総トン数4万6500トンを沈めたが作戦中に逆襲に遭い発見されたU-19、U-20、U-23以外の3隻が沈められた。1944年8月ルーマニアが連合国側の一員としてドイツに宣戦布告したため黒海から出られなくなり、残った上記3隻は廃棄処分となり同じ場所で自沈した[16][17]

U-864

U-864は軍事物資などを積んで日本に向かうも、機関の故障により引き返す途中で英軍に撃沈されたが、2003年にノルウェー南西部ベルゲン沖でノルウェー海軍によって発見された。船内には大量の水銀がつまれているのが確認され、環境への影響が懸念されている。船体の引き揚げや石棺による封じ込めが検討されていたが、費用などの問題から目途は立っていない。また2013年には同艦から2km離れた地点でU-486が沈没しているのが石油パイプラインの調査中に発見されている。

Uボートを題材にした作品

映画

脚注

  1. ^ a b 「ナチス潜水艦U745の謎」ナショナルジオグラフィックチャンネル
  2. ^ タイムズ紙1914年4月25日号でUボートの呼称が確認でき、第一次大戦の早い段階で認知されていたことがわかる。
  3. ^ 「第二次世界大戦影の主役」 (“Engineers of Victory”) Paul Kennedy p. 85
  4. ^ Roskill, War at Sea, Vol. 2. p. 205
  5. ^ Roskill, War at Sea, Vol. 3, Part 1. pp. 28-29
  6. ^ Roskill, War at Sea, Vol. 3, Part 1. pp. 32-33およびPrice, Aircraft Versus Submarine in Two World Wars, pp. 160-162
  7. ^ 「第二次世界大戦影の主役」 (“Engineers of Victory”) Paul Kennedy p. 95
  8. ^ 「第二次世界大戦影の主役」 (“Engineers of Victory”) Paul Kennedy p. 87
  9. ^ 「第二次世界大戦影の主役」 (“Engineers of Victory”) Paul Kennedy p. 41
  10. ^ 「第二次世界大戦影の主役」 (“Engineers of Victory”) Paul Kennedy p. 97
  11. ^ Uボート入門, p. 6
  12. ^ Uボート総覧, p. 175
  13. ^ Uボート総覧, p. 176
  14. ^ The Type IXC/40 boat U-534 - German U-boats of WWII - uboat.net
  15. ^ Uボート総覧, p. 183
  16. ^ a b Adolf Hitler's 'lost fleet' found in Black Sea(英語) - デイリー・テレグラフ誌、最終更新日2008年8月28日
  17. ^ 「ヒトラーの失われた艦隊」と呼ばれるUボート3隻が黒海海底で発見される - GIGAZINE, 2008年02月05日 14時17分00秒

文献

  • 総論
    • Wolfgang Frank、Non-fictions『Uボート作戦』実松譲(訳)、図書出版社、1970年
    • レオンス・ペイヤール、Non-fictions『大西洋戦争(全2巻)』長塚隆二(訳)、早川書房、1981年
    • レオンス・ペイヤール、Non-fictions『潜水艦戦争1939-1945』長塚隆二(訳)、早川書房、1983年
    • カール・デーニッツ、回顧録『10年と20日間 デーニッツ回顧録』山中静三(訳)、光和堂、1986年、ISBN 4-87538-073-9
    • Robert C. Stern『UボートVII型 ドイツ潜水艦テクノロジーの全貌』津久部茂明訳、1995年、ISBN 4-499-22656-2
    • エドウィン・グレイ英語版、Non-fictions『潜水艦の死闘 彼らは海面下で戦った』秋山信雄(訳)、光人社、1997年、ISBN 4-7698-0830-5
    • 学習研究社編集部 (Pictorials)『大西洋戦争』、学習研究社、1998年、ISBN 4-05-601784-0
    • デヴィッド・ミラー『Uボート総覧―図で見る「深淵の刺客たち」発達史』、大日本絵画、2001年、ISBN 4499227526
    • 広田厚志『Uボート入門―ドイツ潜水艦徹底研究』、光人社、2003年、ISBN 4769823835
    • ゴードン・ウィリアムソン『ドイツ海軍のUボート1939‐1945(オスプレイ・ミリタリー・シリーズ 世界の軍艦イラストレイテッド)』、大日本絵画、2006年、ISBN 4499229154
  • Uボート視点
    • エドウィン・グレイ英語版、小説『Uボート西へ』種子島洋二(訳)、白金書房、1975年
    • Heinz Schäffer、Non-fictions『U-ボート 977』横川文雄(訳)、朝日ソノラマ、1984年、ISBN 4-257-17038-7
    • アレクサンドル・コルガノフ、Non-fictions『Uボート、出撃せよ』内藤一郎(訳)、早川書房、1993年、ISBN 4-15-050098-3
    • ペーター・クレーマー英語版、回想録『Uボート・コマンダー 潜水艦戦を生き抜いた男』井坂清(訳)、早川書房、1995年、ISBN 4-15-050181-5
    • ロータル=ギュンター・ブーフハイム『Uボート(全2巻)』松谷健二(訳)、早川書房、2000年、ISBN 4-15-040616-2
    • ギュンター・プリーン『スカパ・フローへの道 ギュンター・プリーン回想録』濱野修(訳)、中央公論新社、2001年、ISBN 4-12-003174-8
    • Jordan Vause、Non-fictions『Uボート・エース The Story of Wolfgang Lüth』雨倉孝之(訳)、朝日ソノラマ、1997年、ISBN 4-257-17317-3
    • ヘルベルト・A・ヴェルナー、回想録『鉄の棺 Uボート死闘の記録』鈴木主税(訳)、中央公論新社、2001年、ISBN 4-12-003108-X C0098
    • エーリッヒ・ギンペル『Uボートで来たスパイ あるナチス・ドイツ諜報員の回想』、扶桑社、2006年、ISBN 4-594-05121-9
  • 連合軍視点
    • D.A.Rayner、小説『眼下の敵』鎌田三平(訳)、西武タイム、1985年、ISBN 4-8275-1233-7
    • Kenneth Poolman、Non-fictions『シーハンター』矢嶋由哉(訳)、朝日ソノラマ、1986年、ISBN 4-257-17071-9
    • Geoffrey Jones、Non-fictions『狼群作戦の黄昏』土屋哲朗・光藤亘(訳)、朝日ソノラマ、1990年、ISBN 4-257-17222-3
    • Stephen Roskill War at Sea Vol.2 Period in Balance, Naval & Military Press, 2004, ISBN 1-84342-804-0
    • Stephen Roskill War at Sea Vol.3 Offensive, Part1, Naval & Military Press, 2004, ISBN 1-84342-806-7
    • Alfred Price Aircraft Versus Submarine in Two World Wars Pen & Sword, 2004, ISBN 1-84415-091-7
  • 軍服

関連項目

外部リンク


U・ボート (映画)

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(Uボート から転送)

U・ボート
Das Boot
監督 ウォルフガング・ペーターゼン
脚本 ウォルフガング・ペーターゼン
製作 ギュンター・ロールバッハ
音楽 クラウス・ドルディンガー
撮影 ヨスト・ヴァカーノ
編集 ハンネス・ニーケル
配給 日本の旗 日本ヘラルド映画
公開 ドイツの旗 1981年9月17日
日本の旗 1982年1月23日
上映時間 135分
製作国 西ドイツの旗 西ドイツ
言語 ドイツ語
フランス語
英語
製作費 $14,000,000
興行収入 $11,487,676[1]
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U・ボート』(原題:Das Boot、英題:The Boat)は、1981年に公開されたドイツ戦争映画ウォルフガング・ペーターゼン監督。コロンビア映画制作。日本での公開は1982年、日本ヘラルド映画配給。1997年(日本では1999年5月1日)には、ペーターゼン自ら編集したディレクターズ・カット版が公開された。

概要

第二次世界大戦中に原作者ロータル=ギュンター・ブーフハイムがU96(U 96(ドイツ語)に同乗して取材した経験を基に、当時大西洋を席巻したドイツ潜水艦Uボートの艦内を舞台として、極限状態における人間のありようをリアルに描写した戦争映画。当初はテレビシリーズとして製作が開始され、これを編集したものが1981年にドイツで映画として公開、それから4年後の1985年2月からテレビ版が放映された。

1982年アメリカで公開されると、同年のアカデミー賞で6部門にノミネート(監督、撮影、視覚・音響効果、編集、音響、脚色)されるなど、国際的に広く評価された。また、監督・脚本を手がけたウォルフガング・ペーターゼンは、本作をきっかけにハリウッドへと進出することになった。

構想から完成まで4年の歳月を費やし、3200万マルク(当時のレートで1850万ドル)という巨額の製作費の下[2]でUボートの実物大レプリカが建造された。このセットを用いたリアルな艦内描写が作品の中心に据えられており、物語が進むにつれ薄汚れ・髭だらけになり匂い立つばかりにまで演出される乗組員の有り様が、他に類を見ない迫力を出している。本作の出演者は当時無名の俳優たちであったが、本作を出世作として以後活躍している者も少なくない。

また、クラウス・ドルディンガーによるテーマ曲は、1991年にテクノ風にリミックスされヨーロッパを中心にヒットした。

あらすじ

第二次世界大戦中の1941年秋、ナチス・ドイツの占領下にあったフランス大西洋岸のラ・ロシェル港から、1隻のUボート「U96」が出航する。彼らに与えられた任務は、大西洋を航行する連合国護送船団への攻撃であった。報道班員のヴェルナー少尉はUボートの戦いを取材するため、歴戦の艦長と古参のクルー、若者ばかりの水兵を乗せたU96に乗り込む。荒れ狂う北大西洋での孤独な索敵行、ようやく発見した敵船団への攻撃と戦果、海中で息を潜めながら聞く敵駆逐艦のソナー音と爆雷の恐怖、そして目の前に突きつけられた死に行く敵の姿。疲労したU96の乗組員たちはクリスマスには帰港できることを願うが、母国から届いた指令はイギリス軍の地中海要衝であるジブラルタル海峡を突破してイタリアに向え、という過酷なものであった。中立国スペインビゴにて偽装商船から補給を受けたU96は、敵が厳しく警戒するジブラルタル海峡突破に挑む。艦長、ヴェルナー少尉、そして乗組員たちの前には非情な運命が待ち受けていた。

本作は、「海の勇者」、「灰色の狼」、「深海の英雄」と美辞麗句で持て囃され、優秀な人材を投入されながら、実際には出撃した将兵のうち実に4分の3にも及ぶ犠牲を出したUボート乗組員たちの生き残りを賭けた苦闘を描く、戦場の物語である。

スタッフ

  • 原作:ロータル=ギュンター・ブーフハイム
  • 監督・脚本:ウォルフガング・ペーターゼン
  • 音楽:クラウス・ドルディンガー
  • 製作:ギュンター・ロールバッハ
  • 製作助手:ミヒャエル・ビティンス
  • 撮影:ヨスト・ヴァカーノ
  • 製作総指揮:ルッツ・ヘンクスト
  • プロダクション・デザイナー:ロルフ・ツェートバウアー、ゲート・ヴァイトラー
  • 編集:ハンネス・ニーケル
  • ディレクターズ・カット プロデューサー:オートウィン・フレイヤマス

主な登場人物

艦長のモデルとなった、ハインリヒ・レーマン=ヴィレンブロック大尉(写真中央)。1940年から1942年までU96の艦長に就任、エース級の戦果を出した者のみに与えられる騎士鉄十字章を叙勲している。
艦長
ドイツ海軍Uボート潜水艦U96」の艦長。歴戦のベテランであるが故に、前線の状況も知らずに大言壮語する上層部には冷ややかで、出撃に浮かれる若い乗組員には憂いの目を向ける。劇中では自国のプロパガンダ放送に嫌気がさして、敢えて敵国イギリスの愛唱歌「ティペラリー・ソング」のレコードをかけさせたこともあった。戦争前は帆船の船乗りで、生粋の海の男である。モデルは、U96艦長でUボートエースの一人だったハインリヒ・レーマン=ヴィレンブロック大尉。彼も潜水艦乗りの前は水上艦勤務の経歴を持っていた。
ヴェルナー少尉
Uボートを取材するために同乗した海軍報道班員。海軍報道班員だった原作者のブーフハイムが潜水艦を取材した際の体験が投影されたキャラクター。専用のベッドを与えられるなど序盤は“お客様”扱いされていたが、徐々にUボートの戦いの過酷な現実を知る。テレビドラマ版では物語の語り部を務めている。
機関長
多くの航海を艦長と共にしてきた、ベテラン機関長。妻が出港前日に出産のため入院し、出撃前夜祭でそれを気遣っていた。今回が12回目の出撃で、これを最後に艦を降りる予定。艦長の命令通りに舵を操るため、艦橋下の発令所にいることが多い。
先任士官
メキシコ育ちで農園の若旦那だったが、ドイツ国内の情勢変化に伴い帰国。ヒトラー・ユーゲント団長を経て海軍士官に任官した青年。生真面目な性格で、常に髭を剃って小奇麗にしているため、むさ苦しい艦内の雰囲気から浮いている。手の空いているときは士官候補生たちに講義を行っている。口先だけの人物というわけではなく、魚雷発射時には照準指揮をとる。
次席士官
元銀行員で、先任士官とは対照的に陽気で空気の読めない冗談好き。暗号で届く指令をエニグマで解読し報告するのが仕事の一つ。発令所その他においてヴェルナーの取材に積極的に協力し、現在の状況を素人であるヴェルナー(及び視聴者)に説明する。
航海長
機関長同様に、長らく艦長と航海を共にしてきた下士官。浮上中には艦橋で天測を担当し、それを元に艦の現在位置を測定する。クールな性格で淡々と仕事をこなす。後にジブラルタルで敵機から機銃掃射を受け重傷を負う。
ウルマン
ヴェルナーの向かいの寝台を割り当てられている士官候補生。フランスの花屋の娘を妊娠させ、周囲には内緒で婚約している。写真を眺めながら彼女の身を案じつつ、暇をみては手紙を書きためている。
ヨハン
機関兵曹長。発令所から機関部に指示を出す機関長に対して、機関科の現場責任者。滅多に機関室から外に出ないため、(機関室の)“幽霊”と渾名される。出撃経験も少なくないが、敵駆逐艦からの激しい爆雷攻撃に錯乱してしまう。しかし、ジブラルタルでは自分の職責を果たした。
ヒンリッヒ
聴音・通信を担当し、衛生兵も兼ねる。潜行中はヘッドフォンを耳に当てて音を頼りに外部の様子を探り、負傷者には献身的な手当てをする。持ち場が艦長室の向かいにあるため、艦長と会話する場面も多い。
兵曹長
水兵をまとめあげる役目を担う。出港後すぐヴェルナーに艦内を案内する。魚雷命中の際に興奮して水兵を騒がせてしまい、あわてて黙らせた。無線で届いたサッカーの試合の結果に激しく落胆するなど感情豊かな人物。ディレクターズ・カット版の冒頭では泥酔しており、出撃前夜祭に向かう艦長の車を止めた。
ピルグリム
下士官。髪につけているグリースがとても臭いらしい。荒天下の浮上航行中、艦橋に打ち寄せた波にさらわれて転落しかけ、骨折した。尻毛で結び目が作れるのが自慢。
アリオ
機関兵。短気な男で、作業中の艦内を取材していたヴェルナーにイラついて汚れた布を投げつけたり、戦闘中に神に祈っていた兵士を殴りつけたりする。
その他の兵士
平均年齢19歳で構成される経験の浅い水兵。現実主義者の艦長からは「子供十字軍」だと思われている。

キャスト

役名 俳優 日本語吹き替え
ソフト版 フジテレビ版 テレビ東京版
艦長 ユルゲン・プロホノフ 羽佐間道夫 内海賢二 大塚明夫
ヴェルナー少尉 ヘルベルト・グレーネマイヤー 池田秀一 野沢那智 堀内賢雄
機関長 クラウス・ヴェンネマン 小林恭治 樋浦勉 金尾哲夫
第一当直士官 フーベルトゥス・ベンクシュ 松本大 津嘉山正種 大滝寛
第二当直士官 マルティン・ゼメルロッゲ 桑原たけし 鈴置洋孝
一等航海士 ベルント・ダウバー 西尾徳 池田勝
ヨハン アーウィン・レダー 池田勝 青野武
ウルマン少尉 マルティン・マイ 岸尾大輔 塩沢兼人
ヒンリッヒ ハインツ・ヘーニッヒ 緒方文興
兵曹長 ウーヴェ・オクセンクネヒト 遠近孝一 千田光男
アリオ クロード=オリバールドルフ 大友龍三郎 郷里大輔
ピルグリム ヤン・フェダー 山中一徳
トムゼン オットー・ザンダー

潜水艦U96

ドイツのハンブルク国際海事博物館に展示されているVIIC型U96の模型。左上には「笑うノコギリ鮫」のエンブレム、右下にはブーフハイムの原作本「Das Boot」がある。
フランスラ・ロシェルで撮影に使用されたUボート・ブンカー(整備と防空機能を兼ねた係留施設)。

本作で主人公艦として扱われるUボートは一般に「U96」と称される。原作では「UA」と表記されているが、作者のブーフハイムが戦時中にそのU96に同乗取材していたことや、艦橋両舷に描かれた「笑うノコギリ鮫」のマーキングが実在のU96のものと同一であることから、DVDの字幕などでも「U96」の表記が見られる様になった。

実在のU96は、第二次世界大戦期に最も多い659隻が建造されたVIIC型と呼ばれる中型Uボートの1隻である。1939年9月16日起工、1940年9月14日竣工し、本作の「艦長」のモデルとされるヴィレンブロック大尉が初代艦長を務めた。同艦長のもと1943年3月28日までに8回出撃し、28隻・199087tを撃沈破した。この功績により潜水戦隊司令へと栄転したヴィレンブロックが下艦した後も別の艦長の指揮のもと活動を続け、1943年3月に前線を退いて訓練艦となり、1945年2月に除籍となったあと、1945年3月30日ヴィルヘルムスハーフェンにてアメリカ軍の攻撃により沈没。連合軍の対潜戦術向上により作戦行動中に撃沈されたUボートが多い中、計11度もの作戦行動を生き延びた稀有な例である。

「U96」という明確なモデルは存在するものの、劇中に描かれる哨戒行動及び戦闘は概ねフィクションである。物語中に描かれる1941年秋頃には、実艦のU96もヴィレンブロック艦長のもとで哨戒任務を行っていたが、連合軍の対潜戦術の向上や船団護衛方針の転換によってか、戦果虚しく帰港している。また、登場人物の運命もモデルとなった人物のものとは少なからず異なっている。

撮影背景

1979年より制作が開始され、完成まで2年の歳月を費やした。長期間に及ぶ撮影により出演者はしだいに疲労し、伸び放題の髪に無精ひげを生やし青白い顔をした実際のUボートの乗組員の姿を再現することになった。

艦内シーンの撮影は実物大のセットで行い、特撮シーン及び特殊効果は模型を用いて撮影された。なお、このレプリカUボートは後に、アメリカ映画『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』にも登場している。現在はミュンヘン郊外のバヴァリアフィルム(Bavaria Filmstadt)のガイド付き見学コースで、艦内セットに入ることができる。

音楽

クラウス・ドルディンガーによるテーマ曲は、1991年にテクノ風にリミックスされヨーロッパを中心にヒットし、海釣り、海上危機管理など、海にまつわる日本ドキュメンタリー番組BGMとしてしばしば使われる定番楽曲でもある。

劇中で2度に渡り流れる「遙かなるティペラリー(ティペラリー・ソング)」は戦前戦中期に収録された音源ではなく、1956年ソビエト連邦の赤軍合唱団(Alexandrov Ensemble)によって収録された物である。この時ソロを務めたのはコンスタンチン・ゲラシモフ(Konstantin_Grigorievich_Gerasimov)であり、特に2度目の演奏の際の赤軍合唱団とのコーラスパートはU96乗組員の歓喜の合唱シーンと相まって名シーンとして名高い。なお、映画と同じ音源は現在も幾つかのCDにて入手可能である[3][4]

関連媒体

書籍

  • 『Uボート』(ロータル=ギュンター・ブーフハイム著、松谷健二訳、早川書房、1977年
  • 『Uボート(上)』(ロータル=ギュンター・ブーフハイム著、松谷健二訳、早川文庫<NV616>、1991年4月19日)ISBN 4-15-040616-2
  • 『Uボート(下)』(ロータル=ギュンター・ブーフハイム著、松谷健二訳、早川文庫<NV617>、1991年4月19日)ISBN 4-15-040617-0

DVD

  • 『U・ボート ディレクターズ・カット』(パイオニアLDC(現ジェネオン・エンタテインメント))、1999年11月26日
  • 『U・ボート ディレクターズ・カット』(ジェネオン・エンタテインメント、2005年1月26日)※上記のリパッケージ版。
  • 『U・ボート パーフェクト・コレクション』(ジェネオン・エンタテインメント、2005年1月26日)『ディレクターズ・カット』、『TVシリーズ』、『オリジナル劇場版』を同梱した限定セット。
  • 『U・ボート TVシリーズ完全版』(ジェネオン・エンタテインメント、2005年1月26日)
  • 『U・ボート ディレクターズ・カット』(角川書店、2011年11月25日)※『ディレクターズ・カット』の廉価盤

ブルーレイ

  • 『U・ボート ディレクターズ・カット』(角川書店、2011年11月25日

サウンドトラック

  • 『Uボート オリジナル・サウンドトラック』(1998年)※廃盤

脚注

  1. ^ Das Boot (1982)” (英語). Box Office Mojo. 2010年2月8日閲覧。
  2. ^ ドイツ映画としては「メトロポリス」に次ぐ規模。
  3. ^ CD:EMI:Soviet Army Chorus & Band, CDC-7-47833-2 DIDX-1015, "Tipperary".
  4. ^ CD:EMI Classics:Red Army Ensemble, 0946-3-92030-2-4, "Tipperary".

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