子供十字軍とは? わかりやすく解説

少年十字軍

(子供十字軍 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/28 10:09 UTC 版)

少年十字軍(ギュスターヴ・ドレ画)

少年十字軍(しょうねんじゅうじぐん、フランス語: Croisade des enfants)は、第4回十字軍の後、フランスドイツにおいて神の啓示を受けたとする少年エティエンヌの呼びかけにより少年・少女が中心となって結成された十字軍

1212年のフランスの少年十字軍では、少年少女が十字軍として聖地奪還に向かう途中、船を斡旋した商人の陰謀によりアレクサンドリア奴隷として売り飛ばされた

概略

第4回十字軍1202年 - 1204年)は、聖地エルサレムではなくキリスト教正教)国家東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)を攻め落としラテン帝国を築くなど、諸侯・騎士の領土拡大とその支援者であるヴェネツィア商人の商圏拡大を目的とした、極めて私利的な遠征となってしまい大失敗に終わった。そのため当時のローマ教皇インノケンティウス3世は、新たな十字軍を編成するためにヨーロッパ各地に説教師を派遣し兵員を募るよう命じた。十字軍の主体は栄誉と金品・土地を求める諸侯や騎士が中心であったが、説教師に煽られた熱心な信仰者など民間人も参加することが多かった。

少年十字軍もそのような熱心な民間人の遠征隊の一つで、北フランスの少年エティエンヌが「神の手紙」を神から手渡され聖地回復をするようお告げがあったと説いて回り、それに感化された少年少女らが集まり結成された。最終的には数千人から2万前後の少年少女が集まったといわれている。マルセイユへと出発した彼らだったが、聖地へ向かうための船がなかったのは勿論のこと、満足な遠征費すら持ち合わせていなかった為、大抵極めて酷い食糧事情だった。無償で船を提供すると接近してきた商人の支援により聖地へ向かったものの、7隻の船のうち、2隻の船がサルディニア島付近で難破、無事だった船もアレクサンドリアで奴隷商人の手に渡ってしまうという悲劇的な結末となった。

ドイツでも、狂信的な青年ニコラスに煽られた少年達が同様の悲劇に巻き込まれている。エティエンヌの少年十字軍が平均年齢12歳程度だったのに対し、こちらは15歳程度だったとされる。ニコラスはイタリアを目指し、アルプス山脈を越えてローマにたどり着いたが、教皇の説得によって故郷へと引き返した。結局、彼を含め故郷に戻れた仲間はほんのわずかであったという。

名称

少年十字軍の名で知られているが、現在の主流の解釈では、大人の庶民も多く含んだ民衆十字軍だと考えられている。少年が神の啓示を受けて呼びかけたことと、後世の記録者が感動的な話にするために、主に少年・少女で構成された十字軍という話にしたとされる。

また、当時の用語で貧しい庶民を軽蔑的に「少年」と呼んだ(人種差別の激しかった頃のアメリカで、黒人のことを「ボーイ」と呼んだのと同様)ため、後の記録者が誤解したと考える研究者もいる。

関連項目


子供十字軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 01:38 UTC 版)

海と夕焼」の記事における「子供十字軍」の解説

海と夕焼』の主人公安里が、少年アンリだった1212年に、キリストお告げにより同志率いてマルセイユ向かったという設定は、実際にあった「子供十字軍」の歴史的エピソードとほぼ合致しており、三島がこれを元にしていたことが看取され、実際に三島自身も、翻訳者ジョン・ベスター交えた対話中で、〈チルドレンズ・クルセイドの話〉を題材にしている旨を語っている。 歴史書によればフランスヴァンドーム住んでいた牧童エティエンヌが、1212年に「十字軍」を勧請する神秘的告知語り聖地エルサレム奪還するために周囲の子供らと「子供十字軍」を結成してマルセイユから船出するが、船主騙され奴隷としてチュニジアエジプト売り飛ばされてしまったとされている。 しかし、エティエンヌインド売られ、そこで大覚禅師救われ日本やって来るというエピソード歴史書にはなく、これは三島創作したオリジナル設定となっている。また、牧童エティエンヌヴァンドーム出身だが、三島アンリ出身地トゥールーズ伯爵御領地セヴェンヌにあえて設定している。 このセヴェンヌの地では、「子供十字軍」が結成される3年前に「アルビジョア十字軍」が起ったという歴史があり、セヴェンヌは「第1回十字軍」の英雄レーモン・ド・サン=ジル出身地でもあった。三島蔵書には独逸浪漫派叢書があり、その中の1冊であるティークの『セヴァンヌの叛乱』(青木書店1943年刊)には、「アルビジョア十字軍」の熾烈な戦い綴られている。 三島そういった十字軍」の壮絶な戦いの背景を、より強調するために牧童エティエンヌ出身地セヴェンヌ改変したのではないかと小埜裕二考察している。

※この「子供十字軍」の解説は、「海と夕焼」の解説の一部です。
「子供十字軍」を含む「海と夕焼」の記事については、「海と夕焼」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「子供十字軍」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「子供十字軍」の関連用語

子供十字軍のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



子供十字軍のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの少年十字軍 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの海と夕焼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS