大覚禅師とは? わかりやすく解説

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蘭渓道隆

(大覚禅師 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/24 15:33 UTC 版)

蘭溪道隆(らんけい どうりゅう)は、鎌倉時代中期の南宋から渡来した禅僧大覚禅師。俗姓は冉、名は莒章。法諱は道隆。号は蘭渓。涪州涪陵県蘭渓邑(現在の重慶市涪陵区藺市鎮)の出身。大覚派の祖。無明慧性の法嗣、建長寺の開山。


注釈

  1. ^ 村井(2004)p.74
  2. ^ なお、同じく蘭渓道隆賛の「達磨図」(向嶽寺蔵)も朗然居士に与えられている。
  3. ^ 経行とは座禅中に足の疲れと睡魔を払うため、静かに歩いて精神を調える所作のこと。

出典

  1. ^ a b 村井(2004)pp.67-89
  2. ^ 村井(2004)p.74
  3. ^ 村井(2004)p.79
  4. ^ 建長寺創建750年記念 鎌倉 禅の起源』展図録 36,196,221頁、東京国立博物館、2003年。
  5. ^ 浅見龍介 「蘭渓道隆の頂相 ―建仁寺西来院調査報告を中心に」(村井章介編 『東アジアのなかの建長寺-宗教・政治・文化が交叉する禅の聖地』 勉誠出版、2014年11月18日、pp.180-185、ISBN 978-4-585-22101-2)。
  6. ^ 指定文化財|県指定有形文化財|性西法身像 蘭渓道隆像 明極聰愚像 - 宮城県公式ウェブサイト
  7. ^ a b c d 中田勇次郎「日本7 鎌倉II」(『書道全集 第19巻』平凡社、新版1971年(初版1966年)pp..153-154
  8. ^ 中西慶爾編『中国書道辞典』(木耳社、初版1981年)
  9. ^ a b c d 新川晴風 飯島春敬編『書道辞典』(東京堂出版、初版1975年)
  10. ^ 峯岸佳葉「墨跡について」(角井博監修『決定版 中国書道史』芸術新聞社、初版2009年)ISBN 978-4-87586-165-2


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大覚禅師

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海と夕焼」の記事における「大覚禅師」の解説

蘭渓道隆仏教学びインド来て、ある機縁から奴隷となっていたアンリを自由の身にする。アンリはその恩返しとして禅師生涯仕えることに決め禅師故国従い日本にも伴っていく。

※この「大覚禅師」の解説は、「海と夕焼」の解説の一部です。
「大覚禅師」を含む「海と夕焼」の記事については、「海と夕焼」の概要を参照ください。

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