大覚寺統寄りの定実一家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 08:29 UTC 版)
「土御門親定」の記事における「大覚寺統寄りの定実一家」の解説
『増鏡』第十一「さしぐし」では、後伏見天皇が後二条天皇に譲位した後、親定の父定実が前内大臣から太政大臣に任ぜられたことに関連して、定実一家が亀山院の信任が厚かったことが記述されている。このことから、定実一家は大覚寺統寄りであったことが推測される。また、親定は兄雅房と並んで学才があったとも記述されている。
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