大覚寺所蔵の薄緑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 11:08 UTC 版)
太刀の付属する『薄緑太刀伝来』によると、安井門跡に代々伝わっていたものであり、明治維新後に門跡が廃された後には大覚寺に移されたものと記されている。茎(なかご、柄に収まる手に持つ部分)の上部に「□忠」と銘が切られている。一字目の□部分は大きく破損しているため判読不明な箇所となっている。目釘穴の上の方に銘がある特徴は古備前派刀工の作品にまま見られるものであり、長船派の祖である光忠の父にあたる古備前派近忠、もしくは同派の実忠や家忠によって作られたと推測される。しかし、古備前派近忠の在銘確実な作例が存在せず決定打にかけるとされている。本作は刃長87.6センチメートル、反り3.72センチメートル。 薄緑の刀箱は菊と桐の飾り金具がついた長さ約160cmの箱であったが、2018年に京都国立博物館が調査したところ、大覚寺に伝わる別の刀のために作られた箱であることが判明した。2020年には勧進により刀箱とハバキを新調することとなった。
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